盛岡ゼブラはルサンチマンの塊なのだろうか?
ではグルージャ、ガンジュ、アンソメットは何なのか?
これは神の考え方である。
しかし「神は死んだ」という言葉で知られるニーチェは「生きることは実験であり、高揚する生き方を目指そう」と語った。
そこで自分がどうしたら高揚するか。つまりゼブラが面白い、すばらしい、逆につまらない、と。そういう境地を考えるべきだ。
だが、ニヒリズムという言葉が次に出る。
「どうせゼブラはグルージャに負けるだろうし」
「どうせゼブラはJリーグなんて行かずにT1安住のぬるい奴らだし」
これがニヒリズムである。先日はわたしもこの倦怠感で花巻をサボったことをお詫びする。
出演した教授の言葉をスポーツ世界に例えるなら国体強化のあとのサッカークラブ(福島FCはいい例だ)、J昇格を果たした後のサッカークラブ(FC岐阜などがこれか)の話がこれに当たる。
…それを考えると盛岡ゼブラというものは何なのだ。ゼブラは神ではなく、それでいて信じられる偶像的存在。そうなのか?
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