1996年、仙台はジェフを退団したピエール・リトバルスキーを獲得した。その他に元浦和レッズで芸能人としても活躍した水内猛、柏レイソルからは草野修治(現仙台大学サッカー部監督)が加入している。
この時期オラは仙台のファンクラブに加入した。きっかけは盛岡市大通りにあるさわや書店のスポーツ雑誌コーナーだった。
「月刊ブランメル仙台」という小冊子で、当時はまだ選手の写真が表紙を飾っていなかったと記憶している。
その後ファンクラブ入会手続きを済ませ、4月の開幕を待つばかり。というところでオラは前年のことを自慢げに書いてしまった。つまりオラが見た試合は全勝だ!ということである。
開幕したあたりはバックスタンドの芝生席に陣取っていたが、やがてゴール裏のサポーター集団に接近するようになる。
そして月刊ブランメル6月号にオラは募集広告という名の記事を投稿した。
その投稿に早くも葛巻の女性から反応があった。彼女とは一度葛巻のお家で話をしたことがあったが、彼女との文通が記念すべきサッカーを通じた交流の第一歩となった。
また、この当時JFL(とはいうものの、当時は「日本」ではなく「ジャパン」フットボールリーグという名称)にはNEC山形(現モンテディオ山形)と福島FCが参加しており、南東北がすべてJを目指す格好になっていた。そんな中オラは福島FC戦でサポーターに挨拶してきた。このとき山形のサポーターもスタジアムに来ていたから、ここで東北3チームのサポーターの会話が交わされたことになる。
そこで福島FCのサポーターの中にいたのが五十嵐大志さん。のちにFCプリメーロのサポーターとして名を轟かせ、東北屈指の名サポーターとなる人物も、当時は元浦和の選手を見つめるファンだった。
しかし現実は、岩手出身の電力組は当時参加していたサテライトリーグに参加せざるを得ず、また平、根子、中村はベンチ入り要員となった。他方福島FCでは遠野出身の菊池直喜が活躍、ジュビロ磐田ではまったく出番のなかった彼が生き生きとしていたことがオラの溜飲を下げることになった。
ところが、夏に入り連勝を続けていたブランメルは失速。オラのさすがの神通力も失せてしまった。それを感じたのは10月に仙台市の宮城陸上競技場で行われた対コンサドーレ札幌戦だ。この年札幌は吉原宏太を獲得、また北朝鮮国家代表の金鐘成も加入してFWの層を厚くした。
試合は前半、仙台が水内のゴールで先制。1-0で折り返した後半にも再度水内が決めて2-0としたが、直後に札幌はパベルのゴールで1点を返し、さらにDFペレイラ(元ヴェルディ)の同点ゴール、吉原の逆転ゴールと立て続けに決めてしまった。
終わってみれば2-4、札幌にあっさりひっくり返されてしまった。このときのオラはもう愕然と現実を見るしかなかった。オラはもう仙台の守り神様じゃないと思った。
そんな時期、風の噂に天皇杯の話を聞いたのだが、それはまた別の話だ。
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