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ブランメルサポーターミーティング

1996年の仙台でのサッカー観戦は10月に終わった。

しかし最後の試合の際にもらったサポーターミーティングの話に興味をそそられ、11月に参加することになった。

最初の出席日はちょうどJリーグ最終戦で、NHKが中継をしていた。名アナウンサー山本浩はちょうどこの時代だった。オラはミーティング開始までの時間つぶしと称して一番町の電気店でTV観戦。浦和の試合で、野人と呼ばれた岡野雅行のゴールがあったことは覚えている。

試合が終わってから、会場の東一番町市民センターへ。すでに数人のサポーター有志が到着していた。その中には今なお活動しているサポーターがいる。
この日はまずサポーター団の具体的な紹介から始まった。目印となる横断幕、ポジションを説明し、ブランメルサポーターズの中でのあり方について語るというもの。そこでオラの「岩手レボリューション」は東北初のJチームを応援する岩手の人を増やしたいと宣言した。
さらに「東北電力が絡むのなら、東北全体にサポートの輪を」と主張、それに代表者も同調した。これがオラの掲げる大東北サポーター団構想の手始めだった。これは仙台、山形、福島、秋田、青森、そして岩手(=オラ)と(それに新潟も加えるかどうか。これは議論の対象となるだろう)1県1サポーターを基本とし、その結集体としての大東北サポーター団を作り上げたかったのだ。

しかしオラのそんな構想とはうらはらに、仙台は様々な問題を抱え込んだ。クラブはリティなど選手を50人も雇ったせいで財政逼迫、サポータークラブもオラを幹部とすると決めた矢先に代表者とコアなサポーターが対立するという事態に。
これを機にオラは仙台サポーターから離れ、我が道を探る方向をとった。その方向性こそ盛岡ゼブラへの応援活動だったことは言うまでもない。

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