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1110・分家(a branch family)

日々の出来事、その他モロモロ

14年。

2025-03-11 23:57:31 | Weblog
14年経った。

記憶は確実に薄れて来ている。
忘れた訳ではないが、なんかこう、色の濃さというか。

被災地の方々に申し訳なく思った。

「ほらな」

と言われてる気がした。

でも、そんなこと言うはずないとすぐに思った。
自分の小ささを改めて感じた。

恥ずかしくないように生きたいな。


13年

2024-03-11 22:03:16 | Weblog
13年。
一歳だった次男坊も、14歳。

被災したとき子供だった人達も、大人になった人も多く。
大人になれなかった子供たちも、多く。。

年の始めには能登での大地震もあり。
最近では千葉での地震も多く発生しており。
落ち着かない。。

平穏な日々がどれだけありがたいことか。。

12年。

2023-03-11 14:46:21 | Weblog
もう12年経ったか、と思った。

でも、テレビで当時の映像を観たら
当時の気持ちを思い出して、胸が苦しくなった。

あの年に産まれた子供達は、もう12歳。

時が経つことで癒える事もあるけど
忘れてしまうこともある。
忘れずに、伝え続けないといけないこと。
そんな日。


11年目

2022-03-11 14:46:21 | Weblog
11年が経ちました。

数えれば長い年月。

それでも、小さくても地震の揺れが起きる度に、毎回この日のことがフラッシュバックします。

そのうち、この地震を知らない子どもも増えてくるだろうな。

同じような、悲しいことが起こらないと良いな。

10年間。

2021-03-11 23:03:36 | Weblog
10年が経った。

あの時間に、黙祷した。

目を閉じると、10年の月日は感じられない。まだ少し怖い。

あのときの映像を思い出していて、家族が現れて、そこでやっぱり10年が経ったんだと気づかされた。

「少し怖い」でよかったのだろうか?

でもなんとなく、一区切りのタイミングであるようにも感じる。


誰かが、今年の5月頃に大きな地震がくるかも、と言った。

いつきてもおかしくないんだよね。


9年。

2020-03-11 22:31:03 | Weblog
もうそんなに経ったのですね。
確かにまだ足元のおぼつかなかった次男坊も、今は10才。

でもあの時から年を取らなくなってしまった人達が、15,000人以上もいる。
改めて考えると、信じられないような数。

黙祷しながら、やはりあの時の映像が甦ってきて。。


Twitter上で、若者3人が気仙沼を訪れている記事をみて、
自分にできそうなことを、
できる限りでやれるようにしようって
それでいいのかも
そんなことを
自分勝手に思った。

8年目。

2019-03-11 20:54:16 | Weblog
もう、いやまだ、8年。
ここ数年、地震だけでなく台風や大雨などの
自然災害による被害が多いように思います。

でも「あの日」からの教訓がやっぱり多いように
感じています。

前を向いて、足元を見て。
しっかりと歩んでいこう。

当たり前の幸せなど無いのです。

丸7年。

2018-03-11 14:50:16 | Weblog
東日本大震災から丸7年が経ちました。

自分達は、教訓をいかせているのでしょうか?


2,539人がまだ行方不明とのこと。
まだそんなにいることを、知らなかった自分。

他人事になってしまっていないだろうか?



繰り返さないために
出来ることを。

6年。

2017-03-11 18:14:18 | Weblog
6年が経ちました。

もう、なのか。
まだ、なのか。

まだどちらとも言えないです。

未だに地震があると、
あの時の感じが思い出されます。

二度と起きてほしくないけれど、
防ぐ術がない。

起きたときに、
いかに被害を最小限にするか。
悲しむ人を少なくできるか。

そういう努力を
これからもするべきなんだろうな。



5年ですね。

2016-03-11 23:19:33 | Weblog
あれからもう5年も経ちました。
自分の周りはだいぶ変わりました。

でも、5年前から時が止まったままのところ、たくさんあるんでしょうね。

それでも時は過ぎていく。
人は歳をとっていく。
記憶は薄れていく・・、のかなぁ。

今日も黙祷させてもらったけど、眼を閉じるとあのときのショッキングな映像がよみがえりました。

いま、生きていることに感謝。