
恋愛至上主義の時代、今や愛の教祖様的存在である渡辺淳一はエッセイにこんなことを書いている。
きわめて高度化した近代文明社会とは裏腹に、われわれ人間は所詮動物であり、地球上の他の生物となんら変わることのない雄と雌なのだという原点が見失われている。明治以来ヨーロッパ・キリスト教社会の影響を強く受けてきた現代の日本は、精神的なものを一方的に上位に置き、肉体的なものを下位に見る傾向がすすみ、精神と肉体とは本来一体であるべきなのに、いつの間にかこの2つが分断されてしまった。「一夫一婦制は近代社会が作り上げた相当無理のある制度だが、西洋諸国のように離婚・再婚を繰り返すことにあまり抵抗のない社会では、それなりに制度が人間の本質に合った形に修正されてきたといえる。
また書評には、「一人の男と一人の女が生涯を共にし、脇目もふらず一緒にいる形」が「果たして人間を幸福にしたか」ということに「いささかの疑問」を感じ、それはむしろ、「人間を息苦しくし、苛だちをつのらせ、生きものとしての生彩を失わせることになった」のではないかと考えさせられる。とある。
田舎で赤ん坊の人形を抱いたお婆さんをみたことがある。恐らく認知症を患っていらっしゃった思うが、その姿を見て、女性の根源とは「母性」ではないかと感じた。
自らを認識出来なくなった時、男の私はどんな本性を露にするのであろうか?
結婚も経験則のようなものだと私は思う。
興味があるなら、結婚してみて、良くなかったらやめればよい。
しかし、この国では容易に離婚できない風土や仕組みがあることも確かである。
女性の思惑が優先される時代がますます進んでゆく。
野坂の「黒の舟歌」を思い出した。
男の女の間には深くて暗い河がある。
誰も渡れぬ河なれど、エンコラ今夜も舟を出す。
きわめて高度化した近代文明社会とは裏腹に、われわれ人間は所詮動物であり、地球上の他の生物となんら変わることのない雄と雌なのだという原点が見失われている。明治以来ヨーロッパ・キリスト教社会の影響を強く受けてきた現代の日本は、精神的なものを一方的に上位に置き、肉体的なものを下位に見る傾向がすすみ、精神と肉体とは本来一体であるべきなのに、いつの間にかこの2つが分断されてしまった。「一夫一婦制は近代社会が作り上げた相当無理のある制度だが、西洋諸国のように離婚・再婚を繰り返すことにあまり抵抗のない社会では、それなりに制度が人間の本質に合った形に修正されてきたといえる。
また書評には、「一人の男と一人の女が生涯を共にし、脇目もふらず一緒にいる形」が「果たして人間を幸福にしたか」ということに「いささかの疑問」を感じ、それはむしろ、「人間を息苦しくし、苛だちをつのらせ、生きものとしての生彩を失わせることになった」のではないかと考えさせられる。とある。
田舎で赤ん坊の人形を抱いたお婆さんをみたことがある。恐らく認知症を患っていらっしゃった思うが、その姿を見て、女性の根源とは「母性」ではないかと感じた。
自らを認識出来なくなった時、男の私はどんな本性を露にするのであろうか?
結婚も経験則のようなものだと私は思う。
興味があるなら、結婚してみて、良くなかったらやめればよい。
しかし、この国では容易に離婚できない風土や仕組みがあることも確かである。
女性の思惑が優先される時代がますます進んでゆく。
野坂の「黒の舟歌」を思い出した。
男の女の間には深くて暗い河がある。
誰も渡れぬ河なれど、エンコラ今夜も舟を出す。

では、男性と女性のどちらを擁護している制度か考えた事はあるだろうか?
自ら浮気はしても、女性の浮気を許さないという男性がほとんどであろう
いわば、一夫一婦制は、女性を縛り付けつつ自らは浮気をしてもどうにでもなると言う
男の怠慢が生み出した、男の為の法律と言えよう。どうだろうか?