新しい人生のために

78歳6ヶ月 60年間働いた仕事やめました

親父のこと  6

2023-04-15 10:14:27 | 日記
本家に残ったのは
1町歩の田畑と 親父のお袋であるあ婆さん 戦死した長男の嫁 いとこに当たる4人の男兄弟 田畑を耕す男手は居ない。

親父は半分の5反の分け与えら得られた土地で生活を強いられた
開墾するような地は何処にもない

兄弟の運命とはいえ 不意に始まった戦争がここまで悲惨を生んだのだ。

食うに食えない思いをしながら麦飯生活
次男坊が高松の高校に入って間もなくして両親の口から出た言葉は,,,


この家を継いでくれ


中学2年の秋のことだった。

まさに不意打ちである

世の中にテレビジョンなるものが出来ても我が家にはなかった。
本家にはそれがあり 美空ひばり主演の「柔」を見せてもらっていた。

親にしてみれば 高松までの定期代の捻出さえ出来ない状況だったのかも,,,

世間では 中卒生を金の卵と呼んでいた。「ああ上野駅」も大ヒットした。

田舎者の中学2年の頭には 県外に就職という逃げ道はなかった。

交通費のかからない近くの農業高校に3年間歩いて通った。

卒業前に就職活動もしなかった。

食っていけるはずのない
米と麦を育てる百姓を選んだ


その後 余裕ができたのか四男坊の弟は高松の高校にかよい 県外に彼も就職した。


どうにもならないやりきれない親子3人の生活が始まった,,,

6年経って
一人神戸に移った

老いた親父らを残して,,,


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