新しい人生のために

78歳6ヶ月 60年間働いた仕事やめました

自動車免許返納

2023-04-27 20:24:22 | 日記
近所に住む81歳になった家内の友人のご主人
今日ばったりお会いして 車を廃車にしたこと、免許証も延長しないで消滅した。

え?
自主返納しなかったの?
つい聞いてしまった。

神戸市の場合 今年5月31日までは自主返納すれば5000円のICOCAカードがもらえる

私もつい最近ネットでそれを知ったのだが、平成2年から始まっているが 今後のことは未定とか記載があるのを見ていた。

4月20日で切れるのだったら 5月20日まで更新期間があるけど,,,
救いの言葉を出したが 誕生日が3月20日なので既に更新も不可能 自主返納も受け付けられない状況。

奥さんに知られたら大変やでー
脅し一発,,,
黙っといてな‼️

世間には 色々な人がいるもんだ



イタドリ

2023-04-22 21:56:29 | 日記
さつきの花が咲き始めましたね
その中から 首を出してるのはイタドリ
遠い昔 ポキッと折ってほとばしる液体を拭いながら皮を剥いて口に頬張った思い出がよみがえります。

言葉を選びながらも 酸っぱい味が口の中に広がります。

何年か前 思い出して手にして噛っていると 数人の小学生が怪訝な顔で 管理員さん何食べてるの?
ポキッと一本折って持たせるが 口には持っていかない。

時代が違うか,,,

あれ以来口にして無いが、
目に止まると 秋のマンジュシャゲの花の茎を棒切れで折って遊んだ日々 
紫に熟れた桑の実を口にして 夏にはヤマモモの実を,,,

豊かな自然の中で遊んだ思い出が過りました。

二ヶ月足らずで79歳か,,,
遠いところまで来たもんだ,,,

親父のこと  6

2023-04-15 10:14:27 | 日記
本家に残ったのは
1町歩の田畑と 親父のお袋であるあ婆さん 戦死した長男の嫁 いとこに当たる4人の男兄弟 田畑を耕す男手は居ない。

親父は半分の5反の分け与えら得られた土地で生活を強いられた
開墾するような地は何処にもない

兄弟の運命とはいえ 不意に始まった戦争がここまで悲惨を生んだのだ。

食うに食えない思いをしながら麦飯生活
次男坊が高松の高校に入って間もなくして両親の口から出た言葉は,,,


この家を継いでくれ


中学2年の秋のことだった。

まさに不意打ちである

世の中にテレビジョンなるものが出来ても我が家にはなかった。
本家にはそれがあり 美空ひばり主演の「柔」を見せてもらっていた。

親にしてみれば 高松までの定期代の捻出さえ出来ない状況だったのかも,,,

世間では 中卒生を金の卵と呼んでいた。「ああ上野駅」も大ヒットした。

田舎者の中学2年の頭には 県外に就職という逃げ道はなかった。

交通費のかからない近くの農業高校に3年間歩いて通った。

卒業前に就職活動もしなかった。

食っていけるはずのない
米と麦を育てる百姓を選んだ


その後 余裕ができたのか四男坊の弟は高松の高校にかよい 県外に彼も就職した。


どうにもならないやりきれない親子3人の生活が始まった,,,

6年経って
一人神戸に移った

老いた親父らを残して,,,


親父のこと  5

2023-04-14 21:27:37 | 日記
器用な面

何故か 何でも出来る人だった。
そして物知りでもあった。
ただ、親父から教わったことは?
何故か 思い出せない。

お袋の気丈さが目立っただけに 影に隠れたのかも解らないが 余り大声を出すことなく静かな人ではあった。

親父の兄弟は男4人
長男は本家となる家に住んで結婚して4人の男の子を儲けた
親父は次男であって 本家から分家して(新屋)を親に建てて貰って5反余りの水田を分けてもったようだ。
三男四男につては余り記憶にない。

お袋が嫁に来たのは19才だったと言っていたけど昭和13年になるのかな? 新築の家を建てるにのに白木の桧に柿渋を毎日塗ったと言っていたけど 何処に住んでいたのだろう?結婚するまでに納屋が先にできていたのかも,,,
恐らく 何にもない畑に建てたのだろうから先に収穫したものを格納する納屋をつくってそちらに住みながら母屋を作ったのか,,,

ここで 第二次世界対戦に巻き込まれるとは想像もしなかったはず。
昭和16年12月真珠湾攻撃でそれは始まったのだから,,,

親父は敗戦後に戦地から帰ってきたが 本家の長男は南方で戦死したと聞く。

結婚して僅か7年で 本家と新屋の運命が別れた。

本家にも新屋にもそれぞれ幼い男の子が4人ずつ居るわけだが
本家にはおばあさん(親父のお袋)がいた。
跡取り息子を亡くし 悲惨な毎日であったと思う。

つづく



親父のこと 4

2023-04-13 09:59:06 | 日記
つづきです

新卒サラリーマンの初任給が13800円で有れば 地方出身者の家賃は天引き(当時は社宅生活)なので住む家には困らない。

5反の土地から収穫できる米は 40俵に過ぎない 自宅の飯米を残して出荷できる米は30俵余り=現金にして12ー3万円 麦にしても 取れ高6俵ほど すべて現金化しても6万円
家族全員で働いた結果がこれである。

町に出た若者の給料と比べればわかるが 作業服支給される現業者の場合を比較しても,,,当時は神武景気 岩戸景気 そしてオリンピック景気に入った時代である。

既に 使う当てない年金制度の積立金に余剰が出来ると 政府は箱物と言われる鉄筋の建物に使い始め、金余り政策は一気に加速してくる。
10年後には5倍に給料が増えることになって行くことになる。

親父も 農閑期は土方仕事に出るようになった。
現金収入が増えると生活に潤いができるはずだが,,,
家畜として飼っていた牛が 牛小屋から消えた。

牛が耕していた田圃は耕運機という機械に変わっていった。
親父の給料もすべて 日本経済の発展に尽くす現金を手に入れ農業機械購入の費用を稼ぐために 働きに出たようなものである。

生活は潤ったか?

何一つ 生活には潤いは感じない。

思春期の私は 相変わらず兄貴のお下がりの制服を着て 田んぼ道を肩から下げたカバンに麦飯弁当を入れて中学校に通っていた。

続きます