下記、案内で実施しました。
午前中は雨模様でしたが、午後は、上がり快適になりました。
写真集を掲載します(全員写真はリンク拡大できます)。
今回の幹事は、内田さん、前島さんでした。
名幹事でした。ご苦労様でした。
ーーーーーーーーーーー記ーーーーーーーーーー
1. 日
平成18年5月28日(日)
2. 集合場所&時間
土浦駅 9:20(土浦着 上り9:12,下り9:05) (車の手配は別途)
3. コース
土浦駅(発9:30) ~小田城跡(10:15発) ~平沢官衙跡(11:20発) ~
筑波神社(12:10発) ~国民宿舎つくばね(昼食)手打ちそば定食(13:30発) ~
峰寺山西光院(14:20発) ~板敷山大覚寺(15:40発) ~善光寺楼閣(16:00発) ~
石岡方面(石岡駅16:30着) ~土浦方面(土浦駅16:40着)
4.みどころ
1)小田城跡: 鎌倉~戦国時代、常陸国南部城主小田氏の居城跡です。国指定になっており発掘が今なお続いておりますが、近く一部復元して史跡公園になるという。
2)平沢官衙跡: 約1300年前、奈良時代~平安時代筑波郡の役所跡(郡衙跡)で此処には沢山の倉庫跡が見られます。現在昔の姿を復元してあります(国指定)。
3)峰寺山西光院: 徳一和尚の開山として伝えられ、懸崖寺として珍しい寺です。眺めは、遠く霞ヶ浦まで見渡すことの出来るほどの素晴らしい眺めです(県指定)。
4)板敷山大覚寺: 親鸞上人謂われの遺跡です。大覚寺の庭園は「裏見(うらみ)無しの庭」として有名です(右写真)。大覚寺では和尚さんに大覚寺の由来など1時間程お話を聞く予定です。
5)善光寺楼門: 815年弘法大師が常陸国筑波郡小田郷に信州善光寺の阿弥陀如来を安置して「無量寿院」と称した。後に小田城を築いた小田氏が守護神として祭り、その後は小田氏の菩提樹として続いたが小田氏12代城主の世に母堂の願いからこの地、太田月光山麓を安穏の地として此処に移したと言われている。(国指定)
小田城跡の看板 今後一部を復元して史跡公園の予定という
平沢官衙跡で説明を聞く。
今年の11月11日にはオカリナ演奏者宗次郎を招聘し演奏会を実施予定
平沢官衙跡の前で
板倉、土壁双倉、校倉が復元されている。
平沢官衙跡の看板
千年以上の奈良・平安時代の筑波郡の役所跡
校倉の作り
ねずみが入らないように工夫されている。
釘の使わないすばらしい寺院建築技術である。
土壁双倉の前で
穀物などを格納していたという。
正倉院作り
遺跡を再現 L字型、コ字型と規則正しく並んでいる。
国民宿舎つくばねで蕎麦を堪能。おいしかった。
八郷地方は蕎麦があちこちで食べられる。
国民宿舎つくばねの前で全員集合
玄関には、つくばねの実が瓶の中においてあった。
羽の形の実で実が遠くに飛ぶように羽になっている。
一山超え、境内を通って西光院へ
立木十一面観音菩薩像
高さ5.9m 高照院の本尊だった。
西光院の中で看板を見る皆様
峰寺山標高380mの中腹にある。
関東の「清水寺」と言われている。
眺めは最高。
西光院の前で笑顔。
西光院の基礎柱である。
岩に張り付いて建造されている。
昔は下に下りられたが、現在は通行止め。
風雨にさらされながら、耐えている。
落雷で折れた木が近くにある。
西光院の境内の竹林 タケノコが出ていました。
駐車場から板敷大覚寺に行く途中
板敷大覚寺でお参り
「親鸞聖人法難の地」として全国に知られている。
和尚さんの奥様から、縁起の説法をお聞きした。
大覚寺和尚さんの奥さんから接待をしていただいた。
感謝感激。
暖炉でお餅と山菜料理をごちそうになりました。
いろいろなお話を伺いました。
戦争中で兵隊さんが宿泊されたこともあるという。
話に花が咲き、時間オーバしてしまいました。
暖炉の明かりが雰囲気を和ませる。
昔は研修にも使用していたが、消防法の関係上
(スプリンクラーの設置)できなくなったという。
うらみ無しの庭
親鸞聖人と山伏の弁円の「うらみ無し」と
どこから見ても「裏がない」庭の2つの意味という。
大覚寺の前で全員集合写真を撮影
善光寺楼門全体。こちらはよく整備されていた。
崩れた善光寺本堂
住職さんがいない時期があり、善光寺本堂は崩れかかっている。
由緒ある善光寺が復元不可能の状態。
善光寺楼門の前で集合写真