透明人間たちのひとりごと

老子とディオゲネスの樽

 朝から手に汗を握り捲ったコンフェデレーションズカップ
の対イタリア戦に悔しさが残るなかでの出勤となりました。

 大健闘大善戦 あるいは 惜敗 という言葉
が繰り返し空しいエコーを響かせていますが、これほどに
その言葉の持つ意味や文字面(づら)が似つかわしく思え
たゲームはありません。

 夢にまで影響が出たとされる失望のブラジル戦を憂いて
いた1号 さんも今朝はなんだか爽やかさで饒舌です。 

 果たして 危惧していたような 嘆きのイタリア戦 flag7 とは
ならなかったとしても、それに相手が相手だったといっても

 「2試合で7失点はいかんせん取られ過ぎでしょう」

 そうツッコミをいれると …

 「まあ、ザックJAPANには勝たせてあげたかったけど、
来年のワールドカップまでは 『お預け』 ということで …」

 と、すこぶる機嫌がいいのです。

 手ごたえと言うか、可能性が開けた感触に満足なのかquestion2

 ツッコミに反論をするでもなく、今は欲張る必要はないと
ばかりに、「これでいいのだ」バカボンのパパ
気取りで頷(うなづ)いているのです。

 ところで、

 「これでいいのだ」 を言い換えると 「足るを知る」 という
ことですが、老子ディオゲネスが今朝の試合を
見ていたなら何と言ったのでしょうか

 『老子』 第三十三に …  知人者智、自知者明。

   勝人者有力、自勝者強。知足者富、強行者有志。

     人を知る者は智、自らを知る者は明なり。
     人に勝つ者は力有り、自らに勝つ者は強し。
    足るを知る者は富み、強めて行う者は志有り。

 また、第四十四には、足るを知らば辱められず、止まる
 を知らば殆(あや)うからず、以って長久なるべし。

 … とあります。

 これを、孫子の有名な言葉と併用してあらわせば …

 symbol2彼を知り、己を知り、(さらに足るを知りさえすれば)
 百戦して殆うからず」 といったところでしょうか
peace

 一方、古代ギリシャの哲人ディオゲネスはアテナイ
の近郊で、足るタルでも大きなを住まいとして、その樽
を転がしては好きな場所に移動しながら暮らしていました。

   


 以前に記事にした 『ゴルディオンの結び目』
の主人公のひとりであるアレキサンダー大王をして 「私が
アレクサンドロスでなければ、ディオゲネスになりたい
」 と
まで言わしめた彼を、プラトンは 「狂ったソクラテス」である
と表現したわけですが …

exclamation http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/287.html(参照)

 外貌ではなく奇異で特異な暮らしぶりから (魂において)
「美しい人」 と呼ばれたディオゲネスは、これという持ち物
もなく、何かを為したわけでも、何かを説いたわけでもなく、
言わばその日暮らしの乞食のようなホームレスです。

 まったくの無為徒食で、天気のいい日には樽の中から
這い出して河原で日向ぼっこをしていたそうですが、壊れ
かけて誰も使わなくなった樽に野良犬のように棲みついて
いたので、彼は 「犬の哲学者」 とも呼ばれていました。

   

 そこで、彼を標榜する一派は 「犬儒派」 と称されたわけ
ですが、弟子が存在したわけではありませんし、持ち物と
いったら粗末なランプと水を入れる皮袋くらいのものです。

 その皮袋も、ある日、子どもが素手で水をすくっている
のを見て、「私は何という馬鹿者だ。子どもに大切なことを
教えられた」 と天を仰ぎ、その場で水の入った皮袋を捨て
てしまったのだそうです。

 犬儒派のことをシニシズムといいますが 「辛辣な」 という
意味で使うシニカルの語源はここから来ています。

 彼は真昼からランプに火を灯してアテナイの町をさまよい
歩き、「私は犬と呼ばれているが、それでは人間はどこに
いるのか」 とランプをかざしながら市中を探し回った末に
「アテナイに人がいなくなった」 と嘆いていたそうです。

 彼にすれば、プラトンでさえ人間ではなかったのですね。 

 現在では、ディオゲネスのランプは「賢者の象徴」
とされ、アテネ大学の徽章にもなっているとのことです。  

 著作物も弟子もなく、説教をするわけでもない乞食同然の
デイオゲネスが、「哲学者」 の代名詞ような存在として
後世に名前を残しているのは、彼が自分の生き方を通して
人々に大きな感化を与えたからで、彼ほどに数多くの逸話
を提供してくれる人物は他に知りません。

 辛辣で傍若無人な振舞いのディオゲネスにもかかわらず
、多くの市民に愛された男でもあったようで、ただ樽の中に
住んでいただけなのに、晩年には彼の名声はギリシャ中に
響き渡っていたようです。

 そんな折です。風変わりで高名な哲学者に興味を抱いた
アレキサンダー大王が自ら訪ねて来たのです。

 その時の逸話としては、

 5号 の記事、『世界連邦・国連軍縮会議』
のなかで、世界で最初のコスモポリタンの提唱者としての
ディオゲネスを紹介していますので、ここでは割愛します。

exclamation http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/288.html(参照)

 とにかく逸話の多い人物なので、紙幅に余裕がある時に
いくつかお話することにしましょう。

 ですから今日は …

 ただ、(足る) 知る ということで … ase2

 「これでいいのだ」

コメント一覧

ソフィーの仲間
「樽(足る)を知る」なるほど、初めてディオゲネスの存在を知ることができました。
バカボンのパパのパパ
むむっ、曾孫の登場なのだ!
バカボンの息子
曽祖父(ひい爺)ちゃん!
意味不明なのだ!
バカボンのパパのパパ
 息子と老子とディオゲネスと1号さんとは別ものなのだ!

 だが「足るを知る」なら「それでもいいのだ!」
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