大相撲初場所での大関 琴奨菊の初優勝に日本中が
沸き返りました。
2006年初場所の元大関栃東(現玉ノ井親方)以来、
実に10年もの間、「待った」を掛けられ続けていた末の
日本出身力士の優勝ですから、
言わずもがなのことではあるのですが…
裏を返せば、58場所連続で外国勢に優勝を独占されて
いたわけで、「国技」の名に恥じるような不甲斐ない
日本人力士の姿に切歯扼腕していた大相撲ファンの溜飲も
これで少しは下がったものと思われます
これといった相撲ファンでもない小生ですら、日本人力士
の活躍と優勝に心躍らされ、日本人の横綱誕生を
切望してやまない気持ちに駆られてしまうのは、まったく
もってどうしたことだというのでしょうか。
これがナショナリズムという厄介な代物なのですね
それと似て非なるものに、否、根底にあるのは同じような
ナショナリズムの発露としての悲しい性(さが)なのですが、
日本及び日本人とは「こんなにスゴイぞ」
と喧伝する風潮があります。
「日本人とは何か」として自画自賛
を目的とするテーマ設定の書籍や言説、あるいは、
そうした類のTV番組が数多く見受けられる昨今 ・・・
書店を覘(のぞ)けば『世界が絶賛する日本』
とか、『世界から尊敬される日本人』といった
タイトルのベストセラーが棚に並び、似たような題が付けら
れた本が立て続けに発売される様子は利に目敏いだけの
出版社や売らんがなの商売根性丸出しの拝金的な卑しさ
のどこにいったい尊敬される日本人がいるのかと
疑いたくもなるサモシイ光景なわけです
こうしたジャンルに人気が集まる理由(わけ)として、
生まれた国である「日本」が称賛されると自分自身
が誉められているように感じて気持ちが好くなるからなの
でしょうが、一歩間違えれば国家や民族間の諍いのもと、
ひいては紛争や戦争の火種にもなりかねない危険性
を孕んでいるのです。
自画自賛の愛国本だけならまだしも、2012年~2014年に
かけては夥(おびただ)しい数の「嫌韓本」や「嫌中本」
が書店に並び、『死ぬほどにタチの悪い☆国』など
といった醜悪なるタイトルの罵詈雑言が容赦なく
浴びせかけられていました。
かく言う小生も韓国や中国に腹立たしい感情が湧かない
わけではありませんし、皮肉のひとつやふたつを呟くのは
日常茶飯事のことですが、消えてなくなるような言葉による
嫌味とは違って活字では隠しようもありません。
しかるに、活字のみならず「日本はこんなにスゴイ」を謳う
TV番組も日増しに増えてきているようにも思えるのです。
そして、決まって
日本人の繊細さと勤勉さと技術力の高さを称えたあとの
定番のコメントが「日本に勇気と希望と誇りを与える」 と
して、日本および日本人の世界一ぶりが大袈裟に
宣伝(プロパガンダ)されるというわけです。
しかしながら、どの分野にも世界に通じる才能をもった
人たちが世界の国々にはいるわけで、他のカテゴリーでは
日本人が皆無であるということは珍しくもない現実
の姿なのですが、
こうした特定の分野における秀でた能力と技術を普遍性
のあるものとして定番化した褒め言葉で繰り返し称賛する
行為は、まやかしとまでは言えないものの八百長まがいの
出来レースで、国威発揚や愛国心の育成のための演出に
利用される恐れがないとは言えません。
「日本人に勇気と誇りを与えてくれる」
というような言い回しは、ややもすると“上から目線”
となって日本の優秀性を喚起させるだけでなく他の民族に
対する優位性を秘かに増幅させることにもなるわけ
で、行き過ぎればナチス的な「選民思想」につながる
危険なイデオロギーにもなり兼ねません。
正直、平和な国「日本に生まれてよかった」
と思ったことは何度となくありましたが、
しかし、
そのことと「日本はスゴイぞ」系の言説が支配的
になった場合の他の民族に対する優位思想、とりわけ
アジア諸国やアフリカ系に対する“上から目線”が
知らず知らずのうちに醸成されてしまい権威志向と
排外主義が蔓延(はびこ)ることになってしまうのです。
しかしこうしたことはなにも日本に限らず世界のどこの国
でも大同小異の状況にあるものだとは思うのですが、
プロパガンダと聞くと、一種の反民主主義的な思想背景
のもとでの宣伝活動のように思われがちですが、実際には
あらゆる国々や組織で用いられていて、体制側も反体制も
なく対立する両者のほかにもほとんどすべての政治的権力
がプロパガンダを必要としているわけです。
もちろん
ダ・ヴィンチの生きた時代においてもそれは例外ではなく
「プロパガンダ」という言葉がカトリックから来ている
事実に即せば、むしろその根底に潜む老獪さと狡猾さ
をルシファー(サタン)たる龍蛇のDNAに転化
させ、人々の耳目を「嘘の真実」に向かわせる
ことを目的とし、それを普遍(あまね)く公同とする
ことを是とする組織がローマ・カトリック教会
であると見破ったのが、「罠」の仕掛け人でもある
レオナルド・ダ・ヴィンチなのです。
※ プロパガンダ 1622年に設置されたカトリック
教会の布教聖省(現:福音宣教省)の名称で、ラテン語の
propagare(繁殖させる、種をまく)に由来する。
ちなみに、カトリックとは普遍的、公同、世界的という
意味ですが、ダ・ヴィンチの指摘が事実だとするならば、
これを最大にして最悪の「八百長」と言わず
して、いったい何をそう呼べばいいのでしょうか
中世カトリック世界に起こった異端騒動がバチカン的
な権威主義と排他(排外)性の裏に蠢(うごめ)く
策略と虚偽の実体を浮き上がらせることになるわけ
ですが、ダ・ヴィンチの時代には、まだまだカトリック教会の
横暴なる世俗的な権力志向が続いていました。
ダ・ヴィンチの生きた時代のローマ・カトリックの専横は
「ブラック教会」と呼んで差し支えがないほどに酷く
醜いもので、現代で言えば、究極の「ブラック国家」
と断罪されるような奇怪なる独裁体制を確立した
北朝鮮的なイデオロギーと五十歩百歩の状態、
いや、それ以上だったのかもしれませんが ・・・
ダ・ヴィンチが切望してやまなかった思いは彼の作品
に「罠」と「謎の暗号」として託されまましたが、
その思いは我々、日本人がミーハー的に日本人横綱を
期待し待望するパワーとは雲泥の差であって、
「死」を賭したものであったことは言うまでもありません。
だからこそ、それは安易に見破られるようなものではなく、
十人いれば十人が、百人いれば百人が、「偶々(たまたま)
そう見えるだけ」、「無理やりこじつければ、そうとも言える」
といった程度の微妙な細工で誤魔化しが効き、言い逃れが
可能な仕掛けにとどめているわけで、
そうしたダ・ヴィンチの切なる思いを酌量すれば、あらゆる
可能性を吟味し追求する姿勢を怠るわけにはいきません。
なかんずく、世俗的な権威・権力としての王制や国家運営
にまで手を広げて独占しようとする教会組織の政治的野心
に異を唱え真実の暴露に挑むからには、
生半可な覚悟だけではなく知恵の限りを尽くした
真の「悪魔」との闘いがあったわけです。
そう言えば、
制限時間いっぱいの仕切りの前に、両手を広げ豪快に
上体を反らして大量の塩をまく、琴奨菊のルーティンが
フィギュアスケートの技になぞらえて「琴バウアー」
と呼ばれているとTVニュース等で紹介されていましたが、
「それ以近づくと危険だぞ」と威嚇をする
コブラのようにも、強くて優しいゴリラのドラミングの
バンダイ製 フィギュア(キングコング)と琴奨菊
ポーズにも、そして盛大に塩をまく一連の動作は
クジラのジャンプや潮吹きを連想させるかのようです。
得意技の“がぶり寄り”もどこかで龍蛇の動きを
イメージさせるものがありますしね
コブラに、ゴリラに、クジラ ・・・
確か、
ゴジラは、ゴリラとクジラの合成語である
とか、伝説の海神(架空)呉爾羅に由来するとも言われ
ていますが、度重なる水爆実験によって安住の地
を追われ姿を現したとも、核実験の放射能で変異
した恐竜の生き残りであるとの説もありますが、
いずれにしても、
「核の落とし子」や「人類が生み出した
恐怖の鬼っ子」であることに違いはありません
偶然ですが、ここにもダ・ヴィンチの潜在的なエネルギー
が作用して、彼の意図を時空を超えて伝えようとしている
ように感じ取れてしまいます。
その昔、コブラのような爬虫類系の容姿をもった異星人と
ゴリラ(猿人)のような地球の未開人との間で異種交配が
行なわれた事実を、クジラに飲み込まれた生命をもった
人形ピノキオ(人造人間)がクジラの潮吹きによって体外に
放出される物語として再現されているというのですが …
こうした奇妙にリンクする無理やりのこじつけを、
我田引水とか牽強付会と言いますが、この場合
は郢書燕説(えいしょえんせつ)の方が近いかも ・・・
そうそう「流れに漱(くちすす)ぎ石に枕(まくら)す」と言う
べきところを、「石に漱ぎ流れに枕す」と言い間違えたのに
ああだこうだとこじつけをして誤りを認めなかった故事から
漱石枕流(そうせきちんりゅう)という四字熟語が
生まれましたが、「さすが」という言葉に「流石」を
当てたのも、夏目漱石の号もこの熟語が由来です
これまた、「蛇足」であると叱責されそうですが ・・・
さてさて、
今回は大関 琴奨菊 の優勝にかこつけて、かつて
角界でも揺れに揺れた『八百長』を副題に、今後
の解説をより理解しやすくするための準備としての
予備知識をサブリミナル的に植えつけておこう
との魂胆をもって構成してみたわけですが、
「真実」を知ろうとすると案外なことに肝心要な
ところがスッと抜け落ちていて「画竜点睛を欠く」
ものですので、フィギュアスケートのイナバウアーのように
上下を逆転させた視点から物事を見て、反転補正
するテクニックが必要になります。
これもまた、ある種の拡大解釈や「八百長」行為
だと言われそうですので、この辺にしておきますが、
次回こそは『レダと白鳥』の謎(白鳥の首の秘密)
と『受胎告知』の聖母マリアの正体に迫ります。
琴奨菊が優勝して大相撲が盛り上がってきそうな時に、
故「北の海」前理事長の遺言を守らずに相撲協会内での
内部抗争がまたぞろ勃発しそうな状況です
「八百長疑惑が、やっと晴れてきたというのになあ」
「だが、神こそが八百長の張本人なのじゃ」
ピノキオにとっての父がゼペット爺さん
なら人間にとっての父とは誰なのか!?
… to be continue !!

コメント一覧(10/1 コメント投稿終了予定)

透明人間2号

おいら

小吉

餃子ライス

ココナン

むらさき納言
最新の画像もっと見る
最近の「ノンジャンル」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事