透明人間たちのひとりごと

先んずれば人を制すのか

 季節に向かってまっしぐら といった感じで
わき目も振らずに 一気に駆け抜けようとしています。

 しかるに、

 一向に前に進もうとしないのが日本の政治状況です。

 そんななかで、「日本維新の会」 の橋下徹氏の動きが、
ここに来て、俄(にわ)かに活発化して来ました。

 先日(10月15日)には、「日本維新の会」 の東京事務所
を開設し、各党へのアイサツ廻りを済ませ、いよいよ国政を
見据えた活動を本格化させてきた様子が窺(うかが)えます
が、そうした折も折のことでした。

 『週刊朝日』(10月16日発売)には、ノンフィクション作家の
佐野眞一氏と取材班による緊急掲載として …

 「ハシシタ、 救世主か、愚衆の王か、橋下徹のDNAを
さかのぼり本性をあぶり出す
」 と題し、橋下徹氏の出自に
関する記事が掲載されたのです。

 ある種の意図を持ったネガティブキャンペーンだろうけど、
タイトルからして極めて中傷的で下劣な印象を受けます。

 この件に絡んで橋下徹氏が朝日新聞グループの取材を
拒否すると表明した問題をめぐる本日(18日)の記者会見
では、彼の先祖を徹底的に調査して無理やりにでも何かを
暴き出そうとする行為が強調されていて、どこかで 一線
越えてしまったような不快感を覚えたのです。

 記事の中身については読んでいないのでわかりませんが
血脈や身分によるいわれのない差別や偏見等を助長させる
のではないかと危惧されるのですが …

 さて、話を 「日本維新の会」 に戻せば、

 一時は自民党に次ぐ第2位の支持率を得ていた勢いも
厳しかった残暑がいつのまにか消えてしまったように、秋の
訪れを迎えた現在においては、その人気にも翳(かげ)りが
生じ、勢いもまた急速に萎(しぼ)んでいる気がするのです。 

 夏の盛りの頃には、政界の勢力地図を塗り替えるのでは
ないかと見られたほどの勢いにあった 「日本維新の会」 と
既存の 「民主党」 と 「自民党」 の二大政党を併せてみた
ときに、魏・呉・蜀の三国志の時代の相関図式が見えてくる
とした1号 さんに倣って …

exclamation http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/271.html(参照)

 これから台頭するであろうとされる日本の若き政治指導者
を、魏・呉・蜀の三国志の主役たちになぞらえて、それぞれ
魏の曹操に自民党の小泉進次郎氏を、呉の孫権に民主党
の細野豪志氏を、蜀の劉備には日本維新の会の橋下徹氏
を、当てはめてみたのが 2号 さんでした。

 さらに、性格や実質的な要素(出自)などの背景からは、
むしろ、魏の曹操が橋下徹氏で、呉の孫権が世襲である
小泉進次郎氏、そして蜀の劉備が細野豪志氏なのかも …

exclamation http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/272.html(参照)

 と加筆し修正を加えた 2号 さんでしたが、政治情勢は
その後も日々刻々と転変している模様で …

 政界版図(勢力地図)に、「天下三分の計」
実践した蜀漢の劉備を連想させ、その性格やカリスマ性
からは魏の曹操さえをも 彷彿 とさせる活躍が期待され
ていた橋下徹代表の率いる 「日本維新の会」 の注目度
は、どうやら急速に衰えてきているような情勢なのです。

 第三極の主役中の主役だと目されていたのにねase

 「日本維新の会」が人気を集めたのは、3年前に自民党
に見切りをつけた国民の多くが民主党に希望を託して
みたものの何も変わらないどころか、むしろ悪くなっている
ような現実に失望したからに他なりません。

 自民党も民主党もできなかった「官僚支配からの脱却
や「地方分権」に「統治機構の改革」も橋下氏ならやって
くれるのではないか、 官僚依存をただ強めていく 一方の
民主党政権の体たらくを見るにつけても、国民の期待を
ものの見事に裏切ってくれたという反動が、橋下氏をして
日本維新の会」 を国民の新たな希望の星として認知し、
押し上げていったのではないでしょうか。

 自民・民主の両党が構造改革や地方分権を推進できない
理由は、業界団体を票田とする柵(しがらみ)から抜け出す
ことが出来ないからですが …

 橋下氏たちにはそれがないのです。  その意味からは、
共通する政策の多い 「みんなの党」 も同じです。

 同じ目標を持つ 柵(しがらみ)のない両党が手を結んで
「日本を変えてやろう」 と言う意気込みを示せ
ば改革の機運は高まり、「日本維新の会」の支持率も当初
の数字を維持できたはずなのです。

 ところが、8月の会談で両党は主導権争いで決裂をして
互いに別々の道を歩くこととなり、国民の期待感は徐々に
萎(しぼ)み始めたのです。

 「日本維新の会」 が国民から見捨てられる格好となった
のは、「みんなの党」 との決裂問題と橋下氏自身が国政に
出ないこと、それに大阪から国政を遠隔操作でコントロール
しようしていることなどです。

 15日の各党へのアイサツ廻りの際に、第三極を意識して
再び 「みんなの党」 との連携を模索している様子が見られ
ましたが、このままだと橋下氏がいかに声を大にして改革を
叫んでみたところで支持率が上がる気配は見えてきません。

 そこで、1号 さんたちに倣って中国史的に考察すると、

 こうした状況を見る限りにおいては、三国志の時代から
遡ること400年前の秦から漢への動乱期の項羽劉邦
出現前夜のような雰囲気だとボクは捉えてみたのです。

 「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」
 (燕や雀のような小鳥には、大鳥の大志はわからない)

 若い頃の陳勝の言葉ですが橋下氏の志にも通じます。

 始皇帝が亡くなり二世皇帝・胡亥(こがい)の世になると、
秦の暴政に反抗して蜂起したのが陳勝・呉広の農民軍で、
彼らは破竹の勢いで秦の首都である咸陽をめざして進撃
していました。

 「王候将相いずくんぞ種あらんや」
 (誰も皆、同じ人間だから王候にも将相にもなれるのだ)

 陳勝・呉広の反乱軍は行く先々の城や街を攻め落とし、
各地の豪族たちも陳勝たちに呼応します。

 この辺りは、夏の盛りの頃の橋下氏と「大阪維新の会
が国政を目指して「日本維新の会」を結党する件(くだり)
を彷彿とさせますが、やがて陳勝は殺されてしまいます。

 そして、

 陳勝たちの次というか、ほぼ並行して立ち上がったのが、
項羽劉邦なのです。

 このまま行くと橋下徹氏は、陳勝呉広の役回りに
終わってしまうのかもしれません

 そうなると、近い将来における項羽劉邦は誰なのか

 ということに、俄然、興味が注がれますが …

 ちなみに、

 陳勝に呼応しようとした江東の会稽郡の郡守だった殷通
は有力者の項梁を招いて相談をもちかけたのです。

 「形勢から察すると、もはや天が秦を亡ぼす時運となった。
先んずれば則ち人を制し、後るれば則ち人の制する所と
なる
」 と言って項梁に挙兵の指揮を委任しようとした時です。

 項梁は甥の項羽を呼び入れて目配せをしたかと思うと …

 項羽は、「先んずれば人を制す」 とばかりに
サッと剣を抜いて殷通の首をバッサリと切り落としたのです。

 これにより項梁は、会稽郡守となり、八千の兵をごっそりと
手に入れて鮮やかに挙兵したのです。

                     『史記(項羽本紀)』より

 結局、最後には、項羽劉邦に敗れてしまうのですが …

 さすれば、本当に、

 「先んずれば人を制す」 のかeq

 いささかの疑問が生まれます

 … ですが、まあ、それはそれとして、これから先に、

 誰が 項羽 で、誰が 劉邦 になるのかは、

 皆さんのご想像にお任せしたいと思います

コメント一覧

燕雀鴻鵠
先手必勝とは限らないので、先んじても有利なだけで、現に項羽は劉邦に敗れています。

「先んずれば人を制すかも・・・」が正確ですね!
バカボンのパパのパパ
わしがバカボンのパパのパパなのだから…
誰が項羽で、誰が劉邦でも構わないのだ!
ココナン
誹謗中傷以外のなにものでもなく完全に朝日側の負け。
初回のみで連載も中止となり橋下さんの完全勝利でしょう。
話題になったことで判官びいきの庶民からの応援も増えて
低迷していた支持率も上昇に転じるかもね?
転んでもタダで起きそうもない人だし …
皮肉のアッコちゃん
橋下氏への侮蔑記事に関して週刊朝日の編集長が謝罪するよう
だけど、連載を続けるつもりなら謝罪するのは変だよね。

それにしても、見出しの「ハシシタ」は卑劣な表現そのもので
差別的な境遇を受けた「橋の下の河原●●」を暗喩している
わけで酷い言いようです。
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