このページの画像は、故あって表示されませんが、
連続性を担保する意味合いからも、そのままで公開し、
別途、新しく作り直すことにしました。
同じ内容ですが、画像はその限りではありません。
新たなページは、
(以下、本文)
起きてはならないのが、戦争やテロですが、
すべての戦争は「悪」なのでしょうか?
□
Photo: Adobe Stock 画像元:diamond.jp
戦争は絶対にやってはダメだと言われて
育った戦後生まれの小生は、戦争は「悪」
であると教育されてきました。
戦争につきものである〝殺人〟は、
どうなのでしょう?
戦時下でも殺人は許されざる重大な犯罪
行為です。
戦争でも人を殺して罪に問われない場面
は、厳密には「兵士が」、「戦闘で」、(敵の)
兵士を殺した場合だけに限られるはずです。
しかしながら、
愛の宗教と言われるキリスト教の聖典の
ひとつである『旧約聖書』の「神」は、
□
『モーセと十戒の石板』 レンブラント amazon.co.jp
シナイ山でモーセに授けた「十戒」に
おいて、自ら〝殺人〟を禁じているにも
かかわらず、約束の地(カナン)において
平然とカナン人の大量殺戮を命じます。
□
モーセと十戒の石板 jp.freepik.com
言わば、それは、女、子供を含むカナン人
のすべてに対する虐殺命令でした。
□
(MATTHEW W. CHWASTYK, NGM STAFF, SOURCE: CELL PRESS)
出典:natgeo.nikkeibp.co.jp
ところで、
★ 戦争にはいくつかの種類があります。
● 予防的戦争(自衛戦争の一種)将来的
に相手が侵略してきそうなので、先手を
打って攻撃する。
● 制裁的戦争(経済制裁など)相手の国
に懲罰を与えるために行われる戦争。
● 自衛的戦争(すべての戦争)地球上で
行われるすべての戦争は自衛戦争として
の方便で処理され実行されている。
● 侵略的戦争(すべての戦争)侵略戦争
はいけないが、自衛戦争ならば仕方ない
というパリ不戦条約(欠陥条約)以降、
すべての国は侵略する際に自衛行為だと
主張するようになった。
「これから侵略する」と宣言しない限り
正式には侵略戦争とは、認められないが
ゆえに、実際上、侵略戦争は存在しない
ことになってしまう。
結果として、自己防衛の拡大解釈が幅を
利かせることになるのですが ・・・
さて、
そもそも、この時代に確率の概念があった
のかどうかさえ、不明であり疑問なのですが
レオナルド・ダ・ヴィンチは自らが仕掛けた
壮大な「罠」の構造が解き明かされる確率を
どの程度に踏んでいたのでしょうか
「う~む ・・・」
というのも、
確率は、いまでは中高生が数学の授業で
習うもので、それほど難しい概念のものとは
思われず比較的簡単なように見えますが、
その理論が発明されたのは 17世紀のこと
で、当時は必要不可欠ならざる概念でした。
その原点は、
会計学の父と言わしめるルカ・パチョーリ
(1445-1517)の提示した「点数の問題」で、
ルカ・パチョーリの肖像画1495年 wikipedia
これが、確率論が発明されることになった
キッカケであり、「歴史的瞬間」でした。
「点数の問題」とは、目標点数を先に獲得
した人が掛け金を総取りする賭博ゲームの
途中で突然ゲームが中断されたら、掛け金
はどうなるのかという問題です。
たとえば、
Aが5点、Bが3点とった段階で火事が起き、
ゲームが中断されて再開できなかった場合、
賭け金はどうやって分けるのか。
単純に考えれば、Aが勝っていたのだから
Aの総取りでいいということになるでしょう。
でも、パチョーリはそれでは不当であるとし、
途中の点数が5:3なら掛け金も5:3の比率で
分けなければならないと考えました。
ちなみに、ルカ・パチョーリは修道僧にして、
数学者であり、ダ・ヴィンチの友人でした。
これが15世紀における見解です。
しかし、その後の16世紀に活躍した数学者
のニコロ・タルタリア(1499年または1500年-
1557年)はこれに異を唱えました。
ニコロ・タルタリア Wikipedia
彼は、「点数の問題」は私たちが思っている
以上にずっと難問だと言ったそうです。
時が流れ、科学革命時代になった17世紀。
「フェルマーの最終定理」で有名な数学者
で物理学者のピエール・ド・フェルマーと、
ピエール・ド・フェルマー wikipedia
数学者で哲学者であるブレーズ・パスカル
が、手紙で「点数の問題」を議論しました。
ブレーズ・パスカル ja.wikipedia.org
そして、2カ月間にわたるこのやりとりで、
2人はそれを完全に解決しました。
詳細は、
「老人と子供の命、どちらが大切か」
答えの出ない難問に答えを出すのは
数学的思考である
完全自動運転のプログラムに不可欠
PRESIDENT Online /PRESIDENT BOOKS
数学者キム・ミニョン
https://president.jp/articles/-/51288?cx_testId=7&cx_testVariant=cx_1&cx_artPos=2#cxrecs_s
を参照してみてください。
のかどうかさえ、不明であり疑問なのですが
レオナルド・ダ・ヴィンチは自らが仕掛けた
壮大な「罠」の構造が解き明かされる確率を
どの程度に踏んでいたのでしょうか
「う~む ・・・」
というのも、
確率は、いまでは中高生が数学の授業で
習うもので、それほど難しい概念のものとは
思われず比較的簡単なように見えますが、
その理論が発明されたのは 17世紀のこと
で、当時は必要不可欠ならざる概念でした。
その原点は、
会計学の父と言わしめるルカ・パチョーリ
(1445-1517)の提示した「点数の問題」で、
ルカ・パチョーリの肖像画1495年 wikipedia
これが、確率論が発明されることになった
キッカケであり、「歴史的瞬間」でした。
「点数の問題」とは、目標点数を先に獲得
した人が掛け金を総取りする賭博ゲームの
途中で突然ゲームが中断されたら、掛け金
はどうなるのかという問題です。
たとえば、
Aが5点、Bが3点とった段階で火事が起き、
ゲームが中断されて再開できなかった場合、
賭け金はどうやって分けるのか。
単純に考えれば、Aが勝っていたのだから
Aの総取りでいいということになるでしょう。
でも、パチョーリはそれでは不当であるとし、
途中の点数が5:3なら掛け金も5:3の比率で
分けなければならないと考えました。
ちなみに、ルカ・パチョーリは修道僧にして、
数学者であり、ダ・ヴィンチの友人でした。
これが15世紀における見解です。
しかし、その後の16世紀に活躍した数学者
のニコロ・タルタリア(1499年または1500年-
1557年)はこれに異を唱えました。
ニコロ・タルタリア Wikipedia
彼は、「点数の問題」は私たちが思っている
以上にずっと難問だと言ったそうです。
時が流れ、科学革命時代になった17世紀。
「フェルマーの最終定理」で有名な数学者
で物理学者のピエール・ド・フェルマーと、
ピエール・ド・フェルマー wikipedia
数学者で哲学者であるブレーズ・パスカル
が、手紙で「点数の問題」を議論しました。
ブレーズ・パスカル ja.wikipedia.org
そして、2カ月間にわたるこのやりとりで、
2人はそれを完全に解決しました。
詳細は、
「老人と子供の命、どちらが大切か」
答えの出ない難問に答えを出すのは
数学的思考である
完全自動運転のプログラムに不可欠
PRESIDENT Online /PRESIDENT BOOKS
数学者キム・ミニョン
https://president.jp/articles/-/51288?cx_testId=7&cx_testVariant=cx_1&cx_artPos=2#cxrecs_s
を参照してみてください。
「私の芸術を真に理解できるのは
数学者だけである」
(レオナルド・ダ・ヴィンチ)
ところで、
繰り返し上演される仮想の「時空劇」は、
「アルファであり、オメガである」が
ゆえに 因果律が無視される事態に遭遇する
と突如としてバランス(結晶化状態)が崩れて
アモルファス化します。
アモルファス www.mech.kanagawa-u.ac.jp
それが、
『受胎告知』での聖母マリアの右手に
見られるアナモルフォーズだったり、
『受胎告知』アナモルフォーズ fc2.com
『東方三博士の礼拝』での混沌
とした量子論的な「無」の世界と多次元
時空(異空間)を意図した構図であったり
するわけですが、
同時に、それは、
『最後の晩餐』における人物配置の
先駆けとなる実験的な結晶化への布石で
あって、
『最後の晩餐』での最大の「謎」
のひとつであるナイフの真の持ち主
に直結するアナモルフォーズにして、
異空間から投影されたメタモルフォーゼ
する人物たちの射影でもあるのですが、
『最後の晩餐』ヨハネ 『岩窟の聖母』マリア
マグダラのマリア
それらは因果律の乱れと、仮説としての
四次元立方体図(小)
超次元立体パズルにおける透過面上の
変化や流動性、またはその過程における
透過投影体(射影)でもあるのです。
四次元立方体図 d.hatena.ne.jp2
この辺りのことが意味不明の方は、
『ダ・ヴィンチの罠 次元枠1』
を参照してみてください。
たとえば、それは、
4次元立方体の各面(半透明の膜状面)
に相当する作品内の人物たちの振舞いや
四次元立方体図 Wikipedia
「え、俺っ !!」
明らかに首の長さに食い違いをみせる
失われた『レダと白鳥』の模写やデッサン
(ラファエロ)の中に見ることが出来ます。
『モナリザ』と『レダと白鳥』の模写デッサン(ラファエロ)
『レダと白鳥』模写チェーザレ・ダ・セスト
やけに首の短い白鳥と異様に長い首をした
ダ・ヴィンチの弟子のチェーザレ・ダ・セストに
よる『レダと白鳥』の模写のイメージは、
ラファエロのデッサンとダ・セストの模写の加工
ダ・ヴィンチが自ら廃棄処分にしたとされる
『レダと白鳥』におけるダ・ヴィンチ
のメタファ(暗喩)的なモチーフの双方が
彼の目算通りにそれらの模写やデッサン画
に反映されているように見受けられます。
言わば、これらは、
漫画 『ONE PIECE』(ワンピース)
の主人公ルフィーのように、
伸縮するヨハネの右腕はナイフを握り、
その手をガシっと抑え込んでいるのが、
ペテロの右手の習作
ペテロの右手というトリックです
その後、舞台は『最後の晩餐』から
イエスの顕現におけるガリラヤでの
朝餉の場面へと移り変わり、
画像元 レオナルド・ダ・ヴィンチの小部屋
使徒ヨハネの身体は移動してイエスの
左側に枝垂れかかるように寄り添い、
ググっと伸びた左腕がテーブルの淵に
そっと置かれることになります(黄丸印)。
さらに、
ガリラヤでの朝餉にトマスはいないので、
この場面ではトマスは消えて、
トマスのものとされる左手(赤丸印)は、
トマスの左手と思われる素描
ヨハネに投影されたマグダラのマリアの
左手に変わります。
すなわち、これが『最後の晩餐』であるのに
窓の外が明るい理由であり、
『最後の晩餐』における謎のナイフを持つ
右手の正体であり、
テーブル(食卓)の縁に、それとなくそっと、
否、いかにもわざとらしく添えられたトマス
の左手に仕掛けられた「罠」でもあるのです。
この点に関する補足ページとしては、
『ダ・ヴィンチの罠 匙加減』
が参考になるかもしれません
大ヤコブの左手とトマスの左手と思われる素描
それにしても、どうして、
これらの習作がこうも都合よくピンポイント
で残されているのか
ペテロの右腕の習作
また、ちょっとしたメモ書きや手稿の中にも
これは、と思われる記述が散見されます。
実に、不自然で奇妙だと思いませんか
トマスの左手とされる習作
当然の帰結として導かれるのは、
よくよく考えてみるまでもなく、伏線や布石の
ための作品であるだけでなく、この辺りに「罠」
を仕組んであるので「刮目せよ」とばかりに
POP 吹き出し 宝の地図 illust-box.jp
まるで宝探しの地図における目印や符合の
如く、あるいは所謂(いわゆる)水先案内用の
暗号としての習作なのかもしれませんね。
たとえば、
このケースにおいては他の誰の手であるとも
言えないようにペテロの右腕の習作を用意
して、メモ書きにはナイフを持つ人物の存在
を臭わせているのです。
しかも、
その習作にしても、決して、ハッキリとは
その肝心要となる手首から先を描かずにいる
わけですね
ペテロの右腕の習作
要は、追及の余地を残しているのです。
つまり、それが彼一流の「罠」における
「匙加減」(さじかげん)なのです。
ユダの右手の場合もそうですが、巾着を
絞った口らしき部分だけは描いてあっても肝心
の袋の部分はないのです。
ユダの右手の習作
たとえば、メモ書きにある
「振り向いているもう一人の者は、手に
ナイフを握り、テーブルの上のグラスを
ひっくり返している」
この文に該当する人物は見当たりませんが
ユダの手の中にナイフがあったと仮定
すればメモの内容とほぼ合致します。
相違点はひっくり返すものがグラスなのか、
塩壺なのか、の違いだけです。
さらに言えば、
この巾着を絞った袋の頭と思われる部分が
ナイフの柄頭を描いたものであったとしても、
何らの不都合も不思議も感じないわけです。
しかも、
これがまた憎い演出だと思えるのですが、
その袋にあたる部分にペテロの右腕を
思わせるようなかたちのラフ・スケッチを
そっと差し込んでいるわけです。(黒枠内)
さあ、このパズルを「解いてくれ」と
言わんばかりのサービスぶりですね
はてさて、
究極の「ネバー・エンディング・ストーリー」
(終わりのない物語)を永遠に繰り返している
【時空劇】(仮想劇):『最後の晩餐』に
おいて、ウロボロスとなった魂の輪廻が
ウロボロスの蛇(切折り紙)by Kawai Msakazu
第二次世界大戦の戦禍から、この不朽の
名作(名画)を残す「奇蹟の中の超奇跡」を
演出してくれたのかもしれません。
「超奇跡」の詳細については、
『ダ・ヴィンチの罠 超奇跡』
『ダ・ヴィンチの罠 矛盾点』
などを参照してみてください。
畢竟するに、
朽ちかけていた『最後の晩餐』なくしては、
『聖アンナと聖母子』『モナリザ』『洗礼者聖ヨハネ』
最後まで手もとに置いていた3枚の油彩画
だけでは、「罠」の輪郭さえ、朧気(おぼろげ)
で、到底、その存在の尻尾にすら触れること
が適わなかったに違いありません。
謂わば、それはそこに、
解かれなければならない謎の「罠」の存在
があると考えれば、合点がいくし、モヤモヤ
もストンと腑にも落ちるわけです。
「十分に終わりのことを考えよ。
まず最初に終わりを考慮せよ」
(レオナルド・ダ・ヴィンチ)
・・・ って、ねえねえ、
… to be continue !!
(… to be continued !!)
ではまた、次回に ・・・
(なんでトランプ元大統領が・・・)
出典元 レオナルド・ダ・ヴィンチの小部屋
『聖アンナと聖母子』『モナリザ』『洗礼者聖ヨハネ』
『洗礼者聖ヨハネ』部分 smartoizu.com
ダ・ヴィンチ作品の一部(美の巨人たち)
imagesCAVD5WC2
『洗礼者ヨハネの斬首』カラヴァッジョ(1608年)
出典:muragon.com
「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」
(ヨハネの福音書 1:29)
出典:blog.livedoor.jp
出典:www.diwanmsr.com
パリ・ルーブル版 ロンドン・ナショナルギャラリー版
出典:trilltrill.jp
出典:sinefil.tokyo
洗礼者ヨハネ(サンドロ・ボッティチェッリ)
荒野で説教をする洗礼者ヨハネ
サンヴァトル・ローザ 画
銃口と引き金 104ban.info
出典:businessinsider.jp
サンヘドリン(長老会) biblestory.jugem.jp
イスカリオテのユダ
出典:windychaple.com
ジョヴァンニ・ファット―リ画
(んなわけないがな)
イエスの洗礼 出典:blogs.yahoo.co.jp
おしべが花粉を出して、
めしべが花粉を受ける。
それが受粉(受精)であり、
人間においては受胎となる。
出典:blog.livedoor.jp
出典:www.lets-bible.com 出典:shanti-phuia.net
「え~、やだぁ、わたし妊娠するの」
(ゲロゲロ ・・・)