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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 仮舞台

 中東の歴史を知らなければ、誰も現実世界の
真実と形而下における地政学上の真理はおろか
、形而上の学問的意義や神学的意図を見い出す
ことは出来ないように思えるのだが・・・!?

 たとえば、現時点において、

 世界中の耳目を集める中東パレスチナ問題
 (イスラエル VS ハマスの戦い)は、1948年
のイスラエルの建国に、その段階的なルーツを
見つけることが出来ますが、

 そもそもは、

 もっと、ずっと以前の紀元前15世紀頃に
書かれ、紀元前5~6世紀頃に編集された
とされる『創世記』において、
 
            『創世記 』 subsplash.com
 
 すでに、「イスラムが世界を苦しめる」
ということが書かれているわけです。
 
 いまを遡ること、約4000年前にユダヤ人
の父祖アブラム(アブラハム)は「神」
言葉に従って、シュメールの主要都市
ウルを出て、“約束の地”とされていた
カナンへと移り住みます。
 
   約束の地(カナン)を目指すイメージ diamond.jp(Photo: Adobe Stock) 

 アブラハムの血統は、イサクヤコブ
(後に、イスラエルと呼ばれる)と続き、彼の
12人の息子たちがイスラエル12部族のもと
になるのですが、息子のうちの一人がユダ
で、この名前からユダヤ人という呼び名
が生まれます。

  
          イスラエル12部族 soku30.jp

 ユダヤ教キリスト教イスラム教
「姉妹宗教」と呼ばれていて それぞれが
奉ずる「神」は、名こそ違えど同一です。

 にもかかわらず、 

 イスラム教徒の一部は、キリスト教徒を
サルと呼び、ユダヤ教徒をブタと揶揄する
という噂もあるくらいに、彼らの仲は実は
あまりよくないようです。  

 そこで、話を昔に戻し、その原因や経緯
(いきさつ)について、探ってみることに

 しましょう! 

 アブラハムの妻の名はサラと言います。
「神」は、アブラハムに対して、彼の
子孫を「空の星のように浜辺の砂のように
生み増やす」と約束されました。 

 しかし、サラは石女(うまずめ)で子供
に恵まれず歳月だけが過ぎ去っていく中で
二人は日夜、「神」に祈り求めましたが
願いは叶いませんでした。

 もはや望みは絶たれたと断念したサラは、
当時の掟に従い自分の女奴隷(エジプト人)
のハガルを、アブラハムの側女として彼に
与えることにしました。  

 ある時、天使はハガルに、こう告げます。

 主の使はまた彼女に言った、「あなたは、
みごもっています。あなたは男の子を産む
でしょう。名をイシマエルと名づけなさい。
主があなたの苦しみを聞かれたのです。
 
 彼は野ろばのような人となり、その手は
すべての人に逆らい、すべての人の手は彼
に逆らい、彼はすべての兄弟に敵して住む
でしょう」 (創世記16章11-12)
 
 
             イシュマエル ameblo.jp
 
 イシュマエルの子孫であるイスラム教徒
が、すべての兄弟(世界中の人々)に対し
て、テロや戦争を引き起こすようになると
いう預言です。 

 やがてハガルは身籠りますが、ハガルは
驕り高ぶって、女主人であるサラを見下す
ようになります。

 サラはとても悩み苦しみました。 

 時が満ち、ハガルは長男(イシュマエル)
を生むことになります。

 しかし、やがて、サラも高齢(約90歳)
になって、待望の子供を授かるのです。 

 超、超、超高齢出産になるやないか❓
 
 なにか嫌な予感が ・・・

 生まれた子供はイサクと名付けられますが
世継ぎをイサクにしたいサラはアブラハムに
イシュマエルとその母のハガルを追い出して
欲しいと懇願します。

 アブラハムは悩み抜いて「神」に祈り
求めました。

 「神」はアブラハムに言いました。 

 「心配することはない。サラの言うこと
を聞き入れなさい。私はイサクを大いなる
国民にするだけでなく、イシュマエルをも
大いなる国民にするであろう。二人ともに
お前の子供だからである」

 しかしながら、結局、アブラハムは、

 ハガルと長男であるイシュマエル親子
 を追放する事にしました。

 追放されたハガルとイシュマエルは後に
民族を起こし、今日のアラブを形成する基
となります。

 つまり、

 イシュマエルは今日のアラブ民族の祖先
となったわけです。

 一方、サラが生んだイサクの子ヤコブは、
天使との相撲に勝利し、イスラエルの称号
を与えられます。


   「天使とヤコブの戦い」アレクサンドル・ルイ・ルロワール note.com

 彼らイスラエルが信奉するのがユダヤ教
であり、前述の12部族が生まれます。

 そのイスラエル民族によるユダヤ教から
ダビデ、ソロモンを経て、パレスチナの地
は、さまざまな民族の支配下に置かれます
が、ローマ帝国時代のユダヤ属州にイエス
が生まれ、彼の共同体(ユダヤ教ナザレ派)
は、
   やがて、異邦人が

 主体となるキリスト教へと、その摂理
や信仰の対象を変化させて行くのです。

 それから、さらに、

 7世紀になると、最後の預言者とされる
ムハンマドが現れてイスラム教が生まれる
わけですが、 


   イスラエル12支族(士族・氏族) w.atwiki.jp

 果たして、

 現在において、預言通りにイスラムに
立脚する過激なテロ組織が世界中を混乱
させていることは紛れのない事実です。

 しかも、

 この地は地政学的上からも重要な位置
にあるだけではなく、宗教的にも極めて
複雑な問題を有しています。

 それは、

 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教が
「アブラハムの宗教」と呼ばれる一神教
であり、名こそ違えど同一の「神」
崇拝し、エルサレムにある3つの聖地が
それぞれに神聖なるデリケート・ゾーン
となっているからです。


 Photo: Adobe Stock ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地エルサレム diamond.jp

 たとえば、

 トランプ前大統領の仲介によって 締結
された2020年8月13日のアラブ首長国連邦
(UAE)とイスラエルとの間に交わされた
平和条約および国交正常化の合意は、

 ユダヤ民族(イサク)とアラブ民族
(イシュマエル)との共通の父祖である
アブラハムの名に因み「アブラハム合意」
と名付けられていますが、一神教である 
「アブラハムの宗教」には絶え間のない
対立の歴史しか思い浮かばないのです。

 とはいえ、

 小生は「イスラミック・テロリズム」と
いう表現には違和感があって、イスラムと
いう宗教がテロを生み出していると思って
いるわけではありません。

 パレスチナ問題について、一般的には
どのように解釈されているのかと言えば
、双方が対等の立場でそれぞれの言い分
を主張して争い続けているように感じて
いると思われがちですが、事実はかなり
違っているようです。

 ガザ地区を実効支配する武装テロ組織
である「ハマス」がテロを起こす動機は
「抑圧された怨みの感情」が根底にあり、
その原因はイスラエルの占領政策と入植 
による収奪行為の実態に問題があるわけ
で、イスラムとテロリズムを結び付けて
語るのは不適当であると思われます。 

 「ハマス」はイスラエルがパレスチナ
を攻撃するための口実として作った、と
いうような話も聞き及びますが、

 
         イスラム組織「ハマス 」www.tokyo-np.co.jp

 「ハマス」はスンニ派のイスラム原理
主義組織であり、武装(テロ)組織です
が、同時に社会奉仕的な側面や救済活動
を推進する政治的組織でもあります。

 但し、それは、福祉的な組織でもある
一面を世界中の人々に認知させるための
プロパガンダであると想像されますが、
内実は定かではありません。   

 また、「ハマス」はイデオロギー的な
悲憤慷慨から発生したともいえるもので
組織を崩壊させて解体すればなくなると
いう種類のものでもありません。

 事実、イスラム聖戦などパレスチナに
ある他の組織以外にも2022年8月に出現
した占領下のヨルダン川西岸地区で活動
するイスラム武装組織〝ライオンの巣〟
の例もあり、現状が続く限り抵抗組織の
根絶は不可能で、これからも雨後の筍の
如く派生するものと考えられます。

 ここで素朴な疑問が生じます!

 話は冒頭に戻りますが、
 
 「神」はなぜ、アラブ諸国に囲まれる
パレスチナ(カナン)を約束の地として
選んだのでしょうか❓
 
人を動かすナラティブ:「おもちゃ」で破られたハイテク神話 ...

 さらに言えば、

 イスラエル軍の無慈悲で非人道的なガザに
対する攻撃が、『旧約聖書』における
約束の地を巡るプロセスと酷似していること
をどのように考えればいいのでしょうか?

      
 『旧約聖書』の「神」は、約束の地で
平然とカナン人の大量殺戮を命じています。
 
 たとえば「神」は、カナン人に関して
、こう命令されました。
 
             『申命記』 subsplash.com
 
 「しかし、あなたの神、主が相続地として
与えようとしておられる次の国々の民の町
では、息のある者を一人も生かしておいて
はならない。すなわち、ヘテ人、エモリ人
、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人
は、あなたの神が命じられたとおり、必ず
滅ぼし尽くさねばならない」 

    (申命記20:16-17)

 こうして虐殺の果てに得られた約束の地
(カナン=パレスチナ)を彼らは12部族の
それぞれに割り当てました。


 イスラエルの各部族への土地の割り当て osusowake.hatenablog.com 

 こうした『聖書』の記述をいいことに、
いまやイスラエルの傍若無人ぶりは甚だしく、

 現在のネタニヤフ政権の閣僚たちの一部は
『聖書』に根差した幻想と絶対的な正義
に固執していて、平和的な妥協にはほとんど
関心を示しません。

 畢竟、そうした幻想と頑迷なる正義の裏側
には、悪魔的な思惑が見え隠れしています。

 狡猾なる二面性を駆使して、エトス(倫理)
を完膚なきまでに喪失してしまった共同体は、
ダ・ヴィンチの時代にパトス(感情、情熱)が
作り出す欺瞞を芸術の域にまで高め、昇華と
還元のサイクル(循環)の過程で 嫉妬と憎悪
の胤をあまねく世界中の国々に撒き散らして
いたものと思われるのですが ・・・

 その共同体(組織)こそがローマ・カトリック
教会(バチカン)であって、

 「世界平和を乱しているのはイスラム教徒
(ムスリム)の中の原理主義者たちではなく
キリスト教こそが、その元凶ではないか!」

  

 予(かね)てより、そうした疑問に憑かれて
いる小生には、


         イスラム国(ISIS)www.huffingtonpost.jp

 レオナルド・ダ・ヴィンチの作品に見られる
不可解な「謎」の数々が、奇しくも「罠」
というかたちで、その答えを明示してくれて
いるように思えて仕方がないのです。

 言い換えれば、




 不可思議な「謎」の軌跡が絶妙なる
軌道を描いて、その答えにリンケージ
していると考えられるのです。


   『洗礼者聖ヨハネ』 の鏡絵 deskgram.net

  
 『洗礼者聖ヨハネ』 1513-1516年

 そこには、

 
 画像元:レオナルド・ダ・ヴィンチの小部屋

 綿密に計画され、巧妙かつ慎重に仕掛け
られた『ダ・ヴィンチの罠』の存在が現に
あるからに他なりません



  『最後の晩餐』ミラーイメージングしたイエス

 そうした思いが、「このブログのシリーズを
スタートさせた」というようなことを、

 url『ダ・ヴィンチの罠 異端者』

 に記しましたが、

 その意味では、レオナルド・ダ・ヴィンチは
明らかなる「異端者」であり、かつ「確信犯」
でもあるわけです。

 唐突ですが、ここで、

 イエス・キリストは「神」なのか❓

 に関するレオナルド・ダ・ヴィンチの見解を
小生なりに推理するとなれば・・・



 唯一絶対なる存在が「神」である以上、
そこには始まりもなく終わりもない。

 ゆえに、生まれることもなく死ぬこともない。

 然るに、

 イエスは生まれ来た者であり、「神」
同一であろうはずはない。

 仮に、

 イエスが「神」の子であったとしても、
それは「神」の意志によって存在した
のであって 「神」のような唯一絶対的な
神性など、有してはいない。

 而して、

 「解剖して分かったことだが、
     人間は死ぬように
          出来ているのだ」

    (レオナルド・ダ・ヴィンチ)



 ならば、十字架上で死んだイエスとは、
100%の人間であり、もし仮にイエスが
「神」であるならば、死んだイエスを、
一体、誰が復活させたというのだ。

 そもそも

 イエスが、100%の人間でなければ、
決して、死ぬことなど出来ないのです。

 事実、「死」は当初より設計されていて、

「免疫細胞は、年を取ると自分自身を
攻撃するようにプログラムされている」

 にもかかわらず、

 「死」は、病気や痛みの苦しみ等から解放
させるためにあるとの詭弁を弄し、「死」に
それらしい意味を持たせたり、パウロのよう
に 「救世主」にして「神」の子なる
イエス・キリストを無理やりにでも創作して、
傀儡の「神」とする輩もいるわけです。

   
      使徒パウロ      

 思えば、使徒パウロの出現がなければ、
キリスト教の教義はなく、異邦人への伝道
も行なわれずにイエスの共同体はユダヤ教
の一分派(ナザレ派)としてのみ、その名
をわずかに歴史に残すだけのちっぽけな
存在に終わっていたのかもしれませんが、


    出典:blog.livedoor.jp

 甘い蜜に誘われるひとひらの蝶(🦋)が、
、迂闊にも見えない蜘蛛の糸に絡まるように、
パウロの思い描く、謀略の罠(シナリオ)
に掛かったイエスは、洗礼者ヨハネを裏切り
、贖(あがな)いの十字架にかかるという
大芝居の主役を演じてしまうのです。


      出典:blog.goo.ne.jp

 「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」

 (わが神、わが神、なぜわたしを
     お見捨てになったのですか)


      出典:blog.goo.ne.jp


  『コルゴファの夕べ』(イエスの埋葬準備の光景)ヴァシーリー・ヴェレシチャーギン1869年

 そして、その延長線上には、結果としての
我々の知る現実世界があるのですが ・・・

 
イスラミック・ステート militarywardiplomacy.blogspot.com

  
   イスラム国(ISIS)www.aajtak.in 

       

 はてさて、

 ダ・ヴィンチが、絵画になかに「罠」
仕組んだ目的のひとつには、キリスト教から
の「脱構築」がありました。

 イスラムは、キリスト教に公然と正面から
敵対し迫害してきますが、まやかしや欺瞞を
用いてキリスト教を騙すのはイスラエルです。

 イスラエルとパレスチナの争いは、単なる
領土紛争ではなく、何者かが仕組んだ歴史的
スパンでの皮肉な「罠」かもしれません。

   right 

 我々は、目に見える表面的な現象や事柄に
だけ捉われないで、その裏で起きていること
にも注意を払わなくてはならないのです。

 イスラエル側につくのか? パレスチナに
味方するのか? という問題ではありません。

 そもそも、

      

 イスラエルの建国は、本当に聖書の預言の
成就でしょうか?

 だとしたら、イスラエルが実行する数々の
無慈悲で非人道的なガザへの攻撃も「神」
主導する摂理だと言うのでしょうか?

 ガザ地区を支配する「ハマス」が 10月7日
の早朝に仕掛けたイスラエルへの奇襲攻撃は
言い逃れのできないテロ行為で、戦闘員たち
は各地で、戦争犯罪を繰り広げていました。

 その残忍な手口には、目を背けるばかりで
到底、容認できるものではありませんが、

 
            民家から遺体を収容するイスラエル軍 www.cnn.co.jp

 インターネットを通じて、世界中の出来事
が瞬時に映像で見られる時代にあって、何故
にイスラエルの蛮行は見逃されてきたのか?

 そして、

 連日に亘るガザへの攻撃(パレスチナ人に
対する残忍な虐殺行為)が、臆面もなく堂々
と展開されるなかで、そうした映像が微妙に
隠されている現実はどうしたことでしょう?

  ・・・だよね!

 この辺りの詳細につきましては、後日に
別の記事にて詳述したいと思います。  

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              画像元:note.com

 
         
   (新世界秩序!)    (ワン・ワールド・オーダー)

 所詮(しょせん)、この世は「仮舞台」! 
「本舞台」のための稽古場だと割り切れば 

   
 (戦争だって怖くない!?)


     銃口と引き金 104ban.info

    
    おしべが花粉を出して、
  
    めしべが花粉を受ける。
 
   それが受粉(受精)であり、

   人間においては受胎となる。

 所詮(しょせん)、

 この世のすべてのシナリオ
「仮舞台(虚構劇)なんじゃ

   

 フィ、フィ、フィクション!
 

   ・・・ っておいおい


       (ゲロゲロ ・・・)

 表現が適切ではありませんが、

 ハマスにとっての「檜舞台」だった
10月7日の無差別テロ ・・・

 そして、そして、そして、      

 

 イスラエルの「本舞台」である
ガザへの攻撃やヨルダン川西岸地区への

収奪入植事件


   パレスチナとイスラエル国旗の対立イラスト:barks / PIXTA(ピクスタ) diamond.jp

 
   20200807mispronnunciation-w640

 然るに、而して、

  「解剖して分かったことだが、
      人間は死ぬように
           出来ているのだ」


     (レオナルド・ダ・ヴィンチ)

 

 … to be continued !!

      所詮、この世は「仮舞台」!
   「本舞台」や「檜舞台」のための稽古場
   だと割り切れば、戦争なんて怖くない!! 

         (by ハマス一同 )

コメント一覧

小吉
AIでイエスを復元できないかな。
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