見出し画像

透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 聖淑女

 このページの画像は、故あって表示されませんが、

連続性を担保する意味合いからも、そのままで公開し、

別途、新しく作り直すことにしました。

 同じ内容ですが、画像はその限りではありません。

  新たなページは、

 『ダ・ヴィンチの罠 聖淑女(改)』です。

 (以下、本文)

 

 イギリスの画家ジョンコリアの創作に
おけるインスピレーションが何処から齎されて
いるのかについて、小生の見解を述べるのは
やぶさかではないが、それには議論百出
ならぬ異論百出(噴出)を覚悟しなくては
ならないことになるでしょう。 

 ただ、間違いなく言えることは、

 そのなかに「ファム・ファタール」
チラついて見えるということです。

 symbol2 『Lady Godiva』(ゴダイヴァ夫人)



 この耽美エロスに包まれた伝説は、



 ハートフォードシャーの聖オルバンズ大聖堂
の二人の修道士によって、ラテン語で記された
のが始まりのようなのですが ・・・



 伝説によると、



 900年前(11世紀)のイギリス・コヴェントリー
が舞台で、領主であるマーシア伯レオフリック
は、慎み深く、慈愛に満ちた美しい女性である
ゴダイヴァ夫人を妻に迎えていました。


 『ゴダイヴァ夫人』エドモンド・ブレア・レイトン

 一方、夫のレオフリックは横暴な政治を行い
領民には重税を課し、教会をも自分の手中に
収めていました。

 ある時、ゴダイヴァ夫人は夫の暴政に苦しむ
領民を思い重税を止めるよう夫に懇願したが、

 レオフリックは貴族の婦人には到底のことに
無理な要求となる難題を用意します。

 「全裸となって、馬にまたがり、コヴェントリー
の街中を隅から隅まで歩けたら考え直そう」と
持ちかけたわけです。

 慎ましやかな彼女にそんなことが出来るわけ
がないと高を括っていたわけですね

 ところが意に反して、ゴダイヴァ夫人は、恥を
忍んで領民のためにそれを決行したわけです。



 一糸まとわぬ姿になって長い髪をからだに
垂らし馬に乗って街中を回ったのです。

 領民たちはその気遣いに感謝をし、夫人の
姿を見ないよう家中の窓を閉めたのでした。

 こうして誰にも目撃されることなく無理難題
をクリアしたゴダイヴァ夫人の勇気ある行動
に心を動かされたレオフリックは、税を軽減し
教会の支配からも手を引くことにしたのです。


 コヴェントリーにあるゴダイヴァ夫人の像

 その後、領主レオフリックとゴダイヴァ夫人
は、コヴェントリーにベネディクト派の修道院
を建立し、二人は亡くなった後にそこに埋葬
されたとのことですが、



 残念ながらこの修道院は、いま現在残って
いないとのことです。

 慎み深い夫人が領民のために全裸で街
を歩いたという行為もそうですが、

 それを誰もが見ようとはしなかったという
点に聖なるエロスと夫人に感謝する領民の
心が偲ばれる話として伝説となったのです。

 ところが、実際のところでは、領民には
「家に籠って、窓を閉めろ」
との御触れが前もってあったとのことで、

 だからこそ、どうしても辛抱できずにただ
ひとり、こっそりと覗き見ていた仕立て屋の
トムという男が「ピーピング・トム」
(英語で「覗き魔」の意味)と呼ばれて、
蔑まれることになるわけですが、

 領民たちはレオフリックを嫌っていた半面
で妻のゴダイヴァ夫人を大変に慕っていた
ので、彼女の愛ある勇敢なる行動に感謝し、
お達しの通りに家に籠っていたわけです。

 ただ一人、

      

 トム(トマス)を除いては ・・・

 

 「あなたがたのうちの一人
   わたしを裏切るでしょう」


        

 そんな風に、

 「Lady Godiva」が嘆いていたとか、

      
    (そんなアホな・・・)


   「Lady Godiva」

   
   『洗礼者聖ヨハネ』 1513-1516年

 いずれにせよ、

 この伝説史実であろうがなかろうが、
その聖性「Lady Godiva」に重ねる
芸術家は数多く存在し、エロスという
モチーフは格好の題材となったわけです。



 聖淑女たるレディ・ゴダイヴァ
自己犠牲の精神と恥じらいのこころの葛藤が、
触れてはいけない「禁忌的な美しさ」
を醸し出すわけで、



 「人は見てはいけない、暴いてはいけない」

 いわゆるタブーとされるものをどうしても
犯してみたくなるわけです。

 そうした意味からは  

 「聖淑女」=「Lady Godiva」
魔性的魅惑としてのデカダンス
「ファム・ファタ-ル」めていた
ということになるわけですね。

 そして、

  「ファム・ファタ-ル」といったら、
彼女たちを抜きに語ることは出来ません。

 アダムの最初のにして人類初の女性
として創造されたとされるリリス(Lilith)、


   『Lilith』 ジョン・コリア画

 さらに

 ギリシャ神話では、神々によってつくられ、
人類の災禍として地上に送られた
人類最初の女性とされるパンドラです。




 ところで、

   
   『The Land Baby』(地上の子)

 そうした寓意が込められていると思われる
作品が『The Land Baby』なのですが、


 『パンドラ』 ジュール・ジョゼフ・ルフェーブル

 つまり、「地上の子」 ・・・



 この幼い少女がパンドラのメタファであり、



 あるいは、また、



 リリスと娘(リリム)やラミアと人間の
子供などの寓意の表象かもしれません。



 大地母神ガイアや娘の女神テミス
ポイベとともに神託を授けていた
ガイア化身たる聖蛇ピュトン
(竜の肢)を象った三脚椅子に座る


 『デルフォイの巫女』 ジョン・コリア画

 この『デルフォイの巫女』の絵は、



 アポロンの収奪も瞑目の彼方に消え入る



 歴史必然を悟っているようで ・・・

  
  『デルフォイの巫女』 ジョン・コリア

 この3枚の絵画からは共通するテーマ
としての「運命」を感じます。




 ごく初期の歴史(人類創世)の重要なる
出来事のカット・シーンのような印象
受けるわけですが、

    

 ジョン・コリアのイマジネーションを刺激
すべく照射された「運命の女性」
としての「ファム・ファタ-ル」
は、そのまま「ダ・ヴィンチの罠」
にも直結するものです。

 さらには、

 ジョン・コリアのもうひとつの作品である
『バッコスの巫女』についても、

   
  『バッコスの巫女』 ジョン・コリア

 無意識のうちにダ・ヴィンチが発した



 メッセージを感知して描かれた可能性を



 完全排除することはできません。

 ジョン・コリア自身には何も意識させずに
イマジンさせられたようなかたちですが、


 赤像式酒杯(キュリクス)『テミスとアイゲウス』

 ある程度まで「ダ・ヴィンチの罠」
の仕組みを理解したうえで、自身の作品に
隠しつつ紡いでいた画家がいました。

 もう、ご存じですよね



 以前にも触れた


 『アポロンと大蛇ピュトン』ルーベンスの下絵

 ピーテル・パウル・ルーベンス


 『アポロンと大蛇ピュトン』コルネリス・デ・フォス

 フィリップ・ド・シャンパーニュです。

 特にルーベンスはその生涯において
1200点もの作品を残すわけですが、


 『飛ぶパエトーン』 ピーテル・パウル・ルーベンス

 その大部分は工房の作品か他の画家
との共作であって、


 『パンとシュリンクス』 ヤン・ブリューゲル&ルーベンス

 その中に紛れて自己の特別な作品を
見事に隠し描いているのは、彼自身が
外交官でもあったということもあってか、


『聖家族』 ピーテル・パウル・ルーベンス

 諜報員(スパイ)としての技量
超一流であったのかもしれません。



 ダ・ヴィンチの『受胎告知』での



 「謎の肢」の問いかけに対して、





 ルーベンスは『最後の晩餐』にて


 『最後の晩餐』 ピーテル・パウル・ルーベンス
             up_slow
 ユダが座る椅子の脚にが咥える
を思わせるが如くに ・・・

 また、

 ラファエロの『聖チェチリア』での
使徒ヨハネの三本指に対しては、


 『聖チェチリア』 ラファエロ・サンティ

 同じタイトル『聖チェチリア』での


 『聖チェチリア』 ピーテル・パウル・ルーベンス
  up up_slow
オルガンの脚にスフィンクス
った獅子


             up_slow
 右隅のの前足に重ねて応えています。
       down_slow


 『聖家族』でもダ・ヴィンチの訴える
「罠」趣旨意図違和感
なく、ごく自然表現していますね。



 一方で、

 シャンパーニュの『エマオの晩餐』


 『エマオの晩餐』 フィリップ・ド・シャンパーニュ
           up_slow
 ではイエスの足もと近くにある食卓
の脚が子猫を襲うが如くに、

 さらに、そのシャンパーニュが描き出す
『アウグスティヌス肖像』での


 『アウレリウス・アウグスティヌの肖像』
   up
 書見台の脚に見られる三本指と、

 おそらくは、

 同じテーゼ模索するルーベンスの
『聖アウグスティヌスの幻想』


 『聖アウグスティヌスの幻想』 ルーベンス

 三位一体論の思索中に浜辺の砂
に穴を掘って、大海の水をカラにしようと
している少年に出会うというシーンです。

 天使が持つ司教帽双頭
如き彫金をあしらった変形の十字

 これらが「VERITAS」「真理」
の探究につながると同時に、

 そこに

 ルーベンス「謎の肢」の正体を
見たのかもしれません。

 それは、

 モーセが持つ「十戒の石板」


 『預言者モーセ』 フィリップ・ド・シャンパーニュ


 「アロンの杖」に秘められた
とも決して無縁ではありません。

 さて、次回では、

 万能の天才にして画聖の誉れ高き
ダ・ヴィンチが発信したスピリチュアルな
パワー(作意の潜在的エネルギー)
を敏感に感知した「王画家にして
画家王」と称されるルーベンス
を中心に考察を深めたいと考えます。

 
 ピーテル・パウル・ルーベンスの肖像

 ある画家は意図して、またある画家は
無意識に謎の肢秘密を描いて
いたとの推理ですが、

 確実に何かを感じ取っていた画家の
代表がルーベンスやシャンパーニュで、
無意識的に受信をしていたと思われる
のがジョン・コリアやヤコポ・バッサーノ
であり、ダ・ヴィンチに幾久しく協力して
いたのがラファエロ・サンティであること
をあらためて確認しておいてください。

 だから



 「裏切ったのはユダではない」

 覗き見たのは、

 

 「仕立て屋のトム(トマス) !!



    !!

 出典:www.lets-bible.com 出典:shanti-phuia.net

 それにしても、

 ゴダイヴァ夫人エロいのぅ。

 しかし、

 「ピーピング・ペテロと
      呼ばれてものぉ」


 

 そだねー  じゃあ、

 「スヌープ・ペテロなら
        どうかしら」




 なるほど、

 これが人の子なのか
 


 … to be continue !!



 むむ、この場面は


 『洗礼者ヨハネの斬首』 カラヴァッジョ 1608年

  ナイフを握っているからといって、
切り裂きジャックじゃないよね


 こりゃあ、完全なる     
 
       (印象操作だな)
 


   (ゲロゲロ ・・・)

コメント一覧

むらさき納言
謎に関連するアナグラムがたくさん出来ることで、そのことが、逆に計画され意図されたものではないことを物語っていると、ケイシさんたちは力説しますが、確率論的にはどうなのでしょう?

偶然が支配する出来事って、こんなにも重なるものでしょうか?

今回のココナンくんの指摘も含め、謎は広がっているように見えても、実は、僅かながらも収斂する方向に向かっているのではないでしょうか?

漠然としてますが、そんな気がします。
ココナン
偶然が呼んだ予期せぬ騒動だったのか、きくらげさんが『半神人』で言ったようなことなのかはわかりませんが、シナリオがあるのだとしたら、スゴイとしか言いようがありません。

何かすっかりシラケてしまった「スヌーピーの謎」のアナグラムですが、むらさき納言さんが言っていたポントルモの『エマオの晩餐』における「プロビデンスの目」=「神の摂理」が浅間山、御嶽山、富士山がつくる三角形の中央部の諏訪湖や八ヶ岳などの諏訪地方に相当すると考えると興味深い事実に突き当たります。

そこが、「仮面の女神」や「縄文のビーナス」など日本最古や縄文時代を代表する土偶の出土場所で、その造形から推測される事実としてシュメール文明との関連性が指摘されることです。

このことは、「ダ・ヴィンチの罠」とも密接に関連しているようにも感じるのですが・・・
江戸川ドイル
「鬼さんこちら、手の鳴る方へ」って、言ってた「目隠し鬼ごっこ」はどうなってるの?

もう終わりってこと・・・???
ポヨヨン
タッチで鬼は交代だよ。

次は、隠れ鬼ごっご!
ゴスペル999
まあまあやけど、そんなオチじゃ、イガンダーラ! なんちゃって・・・

アカンかったか、ほな、さいなら!
ココナン
いつも記事の最後の方でペテロ爺さんの「オチ」があるけど、

今回の記事の別バージョンを考えてみました。

銭湯の女湯を覗く出っ歯の亀太郎のショボい話とは違って、英語版「出歯亀」のルーツには、美しい物語がありました。

「確か、お台場夫人 ...  いや、後醍醐夫人 とか...」

あっ、そうそう、「ゴダイヴァ夫人」でしたね。

チャンチャン♪
透明人間2号
そうですね。 整合性がないといわれても仕方ありませんが、「スヌーピーの謎」が勝手に増殖していて、このままでは、あらぬ落とし穴に嵌まってしまうことと拡大解釈の罠に陥ってしまう恐れを感じたので、矛盾することは承知のうえでアナウンスしたわけです。

「奇妙な偶然があるものだ」とか「不思議と偶然が重なるものだ」くらいでおさめておかないと強迫観念にとり憑かれてしまうのです。
ゴスペル999
そりゃあ、オカシイで、2号はん!

ダヴィンチからのスピリチュアルパワーがどうやとか、それを感知したとか、言うとるわけやから、そりゃ大概やで、この段階で科学的には完全にアウトやろ!

ワイは傍観者やさかい、この件にはノータッチやけど、

それを言うからには、むらさきはんの言葉にも耳を傾けんとアカンちゃうやろか?
透明人間2号
『半神人』でのココナンさんのコメント(3/28)などがあったので、どうしようかと悩みましたが、一部内容を縮小してアップしました。

更新が遅くなり申し訳ございません。

むらさき納言さんの未知の力にコントロールされているという意味が運命とか宿命とかの話ならば、さもありなんの範疇ですが、もっと別のものを指しているとしたら、非科学的というか現実的ではありません。

やはり、セレンディピティやシンクロニシティ(共時性)に解を求めるべきでしょう。

こちらも非科学的だとされる場合もありますが、現時点ではそう考えるしか手がありません。
むらさき納言
やはり、何か未知の大きな力に支配されコントロールされているような・・・

ココナンくんが言っていた「十戒の石板」や「アロンの杖」も、ジョン・コリアの絵画とアナグラムとの接点も少なからずあるし、

急いで、ゴダイヴァ夫人やコヴェントリーを調べてみたけど、地理的には随分と北(北緯52度40分)なんで、関係なさそうですが、あとで何か見つかるかもしれません。

一応、札幌(千歳)からコヴェントリーへの直行ツアーがあるんですね。

いろいろと調べ事に夢中になっていたら、もう、こんな時間、随分と夜更しをしてしまいました。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「ノンジャンル」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事