まで筆を入れ続けていたという話は有名ですが、他に、もう
2作品、合計3枚の絵画を彼は終生、手放しませんでした。
ひとつは『聖アンナと聖母子』で、サイズは3枚
のなかで一番大きく(タテ168cm、ヨコ112cm)、もうひとつは
『洗礼者聖ヨハネ』(タテ69cm、ヨコ57cm)です。
ちなみに、
『モナ・リザ』(タテ77cm、ヨコ53cm)は想像していた
よりもはるかに小さく、意外な感じが拭えません
それぞれの大きさを見比べると …
他の2作品に比較して、『聖母子と聖アンナ』が
際立って大きいことがわかります。
3枚の中では1503年に制作を始めた『モナ・リザ』が
一番古く、あしかけ4年を費やし、結局、未完のままに最後
まで筆を入れ続けたと言われていますが、3作品を実寸で
観て、漸(ようや)くその謎が解けたような気がします
それというのも、
『モナ・リザ』のなかに『最後の晩餐』の謎を
解き明かす“鍵の鍵”が、それも マスターキーが
見つかったからですが …
ここから先の解説を理解する上からも、
『ダ・ヴィンチの罠 鍵の鍵』を
まずは参照してみてください。
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/414.html
ところで、
3枚の絵はそれぞれにサイズが違っていても、登場する
人物のスケールは同じです。
ベースになるのは『聖アンナと聖母子』です。
この絵の下絵となる
『聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ』の
デッサン画が一番早く(1498-1500年頃)に描かれている
ことと他の2枚の絵を包み込む世界観をもった描写と寸法
になっているのがその理由ですが、
「鍵のありかはここですよ」と言わんばかりに
突き上げられた聖アンナの謎の左手をこれみよがしに
描写しているのは、『聖アンナと聖母子』の制作
に明確な意図が込められていることを知らしむるものです。
さらにデッサンと完成品にはいくつもの相違点があって、
一番の違いは幼児聖ヨハネが子羊に変えられていることと
例の謎の左手が聖母マリアの後ろに隠されて、その手
には杖が携えられているだろうことを鑑賞者に察知させて
いる点で、このことは重要なキーポイントのひとつです
なぜならば、聖ヨハネのアトリビュート(象徴となる持ち物)
は動物の毛皮と十字架の杖だからです。
その点についての補足材料となる記述が、
『ダ・ヴィンチの罠 指芝居』にありますので
参考にしてみてください。
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/403.html
それでは、
3枚の絵の秘密に迫ろうと思いますが、『鍵の鍵』
のページと同じくそれぞれの絵に番号をつけて解説します。
『聖アンナと聖母子』 『モナリザ』 『洗礼者聖ヨハネ』
登場するのは人物が5人と動物が1匹で内訳は、
聖アンナ モナ・リザ 聖ヨハネ
聖母マリア
幼児イエス
子羊(幼児聖ヨハネの変身) ・・・ となります。
このなかで『新約聖書』に関係がない人物は の
モナ・リザだけで、子羊はキーになる動物です。
前述のように、ベースは で、 の絵の中に と に
関連する印や符丁がないかを探してみました。
気づくことは先にも触れたように子羊に変えられている
聖ヨハネと謎の左手が持つ聖アンナの杖だけで、
あとは と の背景が同質で似ていることと、 と の
色調や質感が近いことぐらいで、まずは、それに合わせて
3枚を並べ替えてみることにしましたが、これといってピンと
くるものがなかったので、実寸の縮尺のままではヒネリ
がないと思いタテ方向の比率を = + にして古い
順に左から並べてみたのが下の画像です。
何かシックリとこなかったので、聖書に関係のない の
モナ・リザを右側に移し換えて、聖アンナの持つ杖と の
聖ヨハネの持つ十字架の杖を重ね合わせてみると …
十字架の杖の先と聖ヨハネの指がさし示す方向に の
モナ・リザの姿が見えるではありませんか
これだ と思い、縮尺を元に戻して、新約聖書と関連
がないこと以外に がこの位置にくることを裏付ける根拠
を探していると、あることに気づきました。
の左右に残る黒いシミのような半円形の影ですが …
これは回廊の柱の跡という説が有力で、 を模写した
とするラファエロの『一角獣を抱く貴婦人』
と いう作品の背景にある柱の土台と黒いシミの影の部分
が丁度重なるのだそうで、おそらくはそこに柱が描かれて
いたことに間違いはないのだろうと思われます。
ラファエロ 『一角獣を抱く貴婦人』
一説では目的や意図は不明ながら何者かによって両端
が切り取られたと言われていますが、もしもそれが事実で
あるとすれば、両端を切り落とした犯人はダ・ヴィンチ自身
で、彼は描いた柱を切り取って、残った土台の部分を黒く
塗りつぶしたものと思われます。
なんでわざわざそんなことをしたのかというと、柱の跡を
消して符号としての目印を作る必要があったからです
が、厳密な調査の結果、 のモナ・リザには切り取られた
とされる痕跡が確認できず、柱は最初からなかったという
新たなるミステリーが生まれてしまったのです
そこで思い出して欲しいのが、もうひとつの『モナ・リザ』
として騒がれた 『アイルワースのモナリザ』
の存在です。
こちらにはラファエロの模写と同じような柱があり、模写
をしたのは『アイルワースのモナリザ』の方で
あった可能性が極めて高いと思われるのです。
ダ・ヴィンチが死の直前までせっせと筆を入れていた
のモナ・リザはラファエロが模写した『モナ・リザ』とは
別の作品である公算が高く に残る黒いシミのような影
は意図的に作られた符号であると考えられます。
つまり、鍵穴としての目印です。
ちなみに、
も未完だとされていて、こちらにも同じような符号
としての目印と思われる箇所を見つけました。
それでは と の目印を照合させてみましょう。
の右上の木の根元から3分の1位の高さにある半円形
の黒い影と の土台を塗りつぶした黒いシミの部分です。
どうですか、地平のラインも含め、接合部分が見事に合致
しましたよね
ジグソーパズルのようにここまでピタリと嵌まれば、 の
ポジションは、ここに限定しても問題はないと思われます。
それでは、
その位置に を固定して、聖アンナの持つ杖にもう一度
の聖ヨハネが持つ十字架の杖を重ねてみましょう。
どうやら杖の先も聖ヨハネの指先も、 のモナ・リザの顔
に向かい、それも右目の辺りを指しているように感じます。
しかし、聖ヨハネのアトリビュートが十字架の杖というだけ
で、 がこの位置に来るとする確たる証拠はありません。
そこで、
デッサンの幼児 聖ヨハネの姿が では子羊に変わって
いるのであれば、そこに子羊の首の傾きに合わせるかたち
で の聖ヨハネの頭部を重ねてみると …
やはり、こちらも杖の先と指先は のモナ・リザの手や
顔の方向(左目)を指しているようにも思われます。
ポジショニングするうえでの、候補地がこれで2箇所ほど
見つかりましたが、他に有力なスポットには気づきません。
さらに下絵である
『聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ』を
合成させれば、何か新しい発見があるかもしれませんが、
ここでは 、、 の3枚の絵だけで推理できる範囲の
内容にとどめておきたいと思います。
そこで、それぞれの重なり具合を鮮明にするために の
背景を切り取り、 のなかにセットしてみました。
COMPLETEな出来ばえです
なんだか違和感なく絵のなかに溶け込んでいるようにも
見えるのですが … どうでしょうか
そんなことを思いながら漠として眺めていると、今までは
気にもならなかった聖アンナの視線が妙に不自然なものに
思えてきたのです。
ちょっとズームアップしてみましょうか。
伏し目がちな聖アンナの瞳は聖母マリアを見ていません。
単独の絵の時点では彼女の視線は自然に聖母マリアや
イエスの方に向けられていると思っていたのですが、今回
、 の聖ヨハネが融合することで視覚に変化が起こり、
の絵の真の姿があぶり出されたのかもしれません。
もしも、 の聖アンナが、
聖母マリアやイエスを見ているのなら、下絵の聖アンナや
デッサンでの聖アンナ
聖母マリアのように幾分とも首をそちらに傾ける筈です。
デッサンでの聖母マリア
彼女の視線はあきらかに真っ直ぐ下にある聖母マリアの
うなじから肩口に注がれているように見えます。
これは如何にも不自然で、通常ならば、娘の聖母マリア
か、孫のイエスに向けられるのが自然ですし、そもそもが
母親の膝に腰掛けるのが少女ならば、いざ知らず、小太り
のがっちりした体格の娘が年老いた母親の膝に座るという
行為自体が不自然で現実性に欠ける構図です。
ですから、
そこになんらかの意図があると見抜く必要性があります。
それでは
聖アンナの視線はどこに注がれているのでしょうか
合成・合体画像での聖ヨハネの指先、あるいは十字架の
杖の十字の辺りに聖アンナの視線が落とされているのが
確認できると思います。
同様に、幼子のイエスを愛おしそうに見守る聖母マリアの
視線の先には聖ヨハネの指先と十字架の杖が見えますし、
振り返るイエスの瞳にも聖ヨハネの顔と十字架の杖が映る
ように構図が形成されています
まさにコンプリート、完璧ですね
のポジションは、ほぼこの位置で決定でしょう。
子羊が聖ヨハネであると仮定すれば、3枚の絵のなかに
2度登場するのは聖ヨハネをおいて他に誰もいません。
端から2箇所の設定で『鍵の鍵』が用意されていたと
考えるべきかと思われます。
こうして出来上がった 、、 の合成・合体画像から
導かれる結論は、ダ・ヴィンチが最後に仕上げた の
『洗礼者聖ヨハネ』の謎の指が指し示すように
の『モナ・リザ』のなかに何か重要な“鍵”が
眠っているということを示唆しているわけですが …
それだけでは意外性もどんでん返しもない、ありきたり
の結論に終わるだけの徒労に過ぎません。
冒頭近くで、
『モナ・リザ』のなかに『最後の晩餐』の謎を
解き明かす“鍵の鍵”が、それもマスターキーが
見つかったと申し上げたのは、まさに が指し示すように
モデルの顔、目、手、背景など至るところに罠と暗号が
仕組まれているだけでなく、『モナ・リザ』の存在自体
がすべてに共通するマスターキーだという意味です。
もちろん、
それは『鍵の鍵』としてのマスターキーであり、
罠の封印を解く“マスターキー”は、おそらくは
この「合成・合体画像」にあると考えています。
この「合成・合体画像」自体が、トンデモ系の
「仮説」の域を出ない陳腐なものであるという自覚は
十分に持ってますが、ある「仮説」を支持したり信ずるに
足る内容か否かを精査するのならば、ともかくも、権威に
訴えたり、AKBの人気投票のようなもので決められて
しまうのだとしたら残念だとも思いますが …
さて、 の『聖アンナと聖母子』にしても、
母親の膝の上に腰掛けるという構図の不自然さに加え、
デッサン画と比較しても、祖母にしては異様に若く見える
聖アンナの顔など、まだまだ謎が多いのも事実ですので、
今回の「仮説」をベースにして、次回からはより深く
突っ込んだ謎解きを展開したいと考えています
多くの人がいろいろなことを言っていますが、この3枚の
絵の秘密に関する限り、今回の「仮説」に類するものは
他に見当たりません。
「どんな部分も、全体に組み込まれる
ようにできている。だからそれ自体は
未完成から逃れられる」
レオナルド・ダ・ヴィンチ
「なかなかやるじゃないか」
「だが、だからどうだと言うんだ !!」
… to be continue !!
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