経済産業省前テント広場撤去は日本民主主義の崩壊を意味する。
テント撤去に断固反対!
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┗■5.要請書 経産省前テントを撤去させないでください
| テントひろばの存在は、深刻なる原発事故問題に対する国民の大いなる
| 怒りを背景にした民主主義的行為の1つの場
└──── 経産省前テントひろば代表 淵上太郎
衆議院議長 伊吹文明 殿
参議院議長 平田健二 殿
平成23年3月11日の東北地方太平洋沖地震にともなって引き起こされた東京
電力福島第一原子力発電所の事故は未曾有の大事故となり、周辺住民をはじめ多
くの国民に甚大且つ深刻な被害をもたらしました。
この事故は直接には大地震と津波によるものとは言え、そうした自然の威力を
過小に評価し、経済と利便性ということから原発建設を40年にわたって推進して
きた電力事業者とその安全を確保すべき国の責任は測りがたいほど大きなものが
あります。電力事業者や国は繰り返し「原発は安全でる」と主張し、立地自治体
等には法外な経済的援助を施すことで、原発の安全性に関する素朴な疑問や反対
意見を封殺してきた歴史があります。しかし東京電力福島第一の原発事故は、原
発は決して安全ではないことを事実をもって証明するものでした。
現在においてさえ福島第一原子力発電所の事故そのもについての十分な検証は
なされていないばかりか、既成の原発の多くにおいてもともとその疑いがあった
にもかかわらず危険な「活断層」の上に建てられていることなどが、すこしずつ
暴露されつつあるという状況です。この状況のもとで民主党政権は、原事故の影
響と定期点検で全ての原発が停止した直後、関西電力大飯原発の3、4号機を経
済と利便性を理由に再稼働させました。その後今日まで他の原発は再稼働してい
ませんが、新たに出来た安倍内閣は「(原発0)は0ベースで見直す」「規制委
員会が安全としたものは再稼働させる」と明言しています。自公政権の時代に安
全性を無視して54基もの原発をつくり、国民のたった26%の支持による政権交代
をよいことに、原発再稼働、新規原発の建設、原発の輸出等を積極的に推進する
とは、盗っ人猛々しいという他はありません。
他方で原子力規制委員会は年7月までに新たな安全基準をつくるとされていま
すが、その素案は福島原発事故を起こした安全基準との根本的な差異はないまま、
その基準に則っての安全宣言を行おうとしています。
こうした流れは、福島第一の事故を少しでも深刻に受け取るとすれば、到底受
け入れられることではありません。
もとより経産省前テントひろばは、我が国の原子力発電所及びその推進につい
て根本的に問い直し、経済的事由による安易な原発再稼働に反対してつくられた
ものです。経産省の管理する空き地にテントが立っているのは、原発推進の中心
的省庁としての経産及び旧原子力安全・保安院に対するささやかな抗議、それも
緊急避難的な抗議の意志を示すものです。
またテントひろばの存在は、深刻なる原発事故問題に対する国民の大いなる怒
りを背景にした民主主義的行為の1つの場でもあります。民主主義は国民の一人
一人が様々なところで声を挙げる、行動を起こすというところから始めることが
最も大事なことでさえあります。相当に形骸化しているとは言え国会の両院も我
が国民主主義の場でありますが、民主主義は国会の両院だけに、またその選挙に
おける投票行動だけに留めておいてよいわけではありません。
テントに関して経産省は違法テントだと言い、右翼勢力の一部は「撤去できな
いなら我々が」などと嫌がらせが行われていますが、私たちは福島第一の大事故
という緊急時において、決して違法だとは思っていません。
福島第一の大事故を受けて深い反省をしつつ、我が国の民主主義を育てていく
ためにも「経産省前のテント」を撤去させないでください。
民主主義的な国会と両院議員の名誉にかけて「テント撤去」に荷担することは
絶対に止めて下さい。
平成25年3月10日 福島第一原発事故後まる2年経過した日に
我が国の国策は、安全神話と深く関係しているに違いない。
だが、最悪のシナリオを想定するのはひどく難しい。
これは、平和ボケのようなものか。
太平洋戦争初期に、フィリピンの米比軍はキング少将もジョーンズ少将も投降して、75000人以上の将兵の命を救った。
太平洋戦争後期に、日本軍は米空軍の飛来をゆるし、1945年3月10日未明、東京の下町の江東地区がB29約300機による空襲をうけ、死者10万をこす被害を出した。
日本人の指導者には、作戦の成否を予測する力はないのか。
人命の尊重はどのように考えられていたのであろうか。
それでも日本人は、原発の再稼働を選んだ。
一億総ざんげへの道。動き出したら止まらない。
この道は、いつか来た道。ああ、そうだよ、民族の歴史は繰り返す。
意思のあるところに方法はある。(Where there’s a will, there’s a way).
意思のないところに解決法はない。
意思は未来時制の内容であり、日本語には時制がない。
それで、日本人には意思がなく、解決法が見つけられない。
自然鎮火を待つのみか。
耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、もって万世のために太平を開かんと欲す。
不自由を常と思えば不足なし。
座して死を待つか、それとも腹切りするか。
私の父は、玉砕した。何のお役に立てたのかしら。
安らかに眠ってください。過ちは繰り返しますから、、、、
わかっている、わかっている。皆、わかっている。
ああしてこうすりゃこうなると、わかっていながらこうなった、、、、、
十二歳のメンタリィティには、知恵の深さが見られない。教養がない。
わかっちゃいるけど やめられない。ア、ホレ、スイスイ、、、、
白く塗られた黒いオオカミの足を見破ることは難しい。
だます人は悪い人。だまされる人は善良な人。おとり捜査は難しい。
この調子では、人の命はいくつあっても足りるものではない。
我々は、自らは望むことなく危機に陥る民族なのか。