いま、そこに、あなたが、あるのは

誰も『苦労』はひとそれぞれ。しかもすべて自分のオリジナル。つまり人間の数だけ誰にもみんな役目と役割りあって生まれてる

これは障害(=障碍)だなって、気付くべきなんです。

2019年08月06日 | 闘病


これから述べる話は病気の本人はもちろんですが。

家族に病気の人がいる場合にも大切なことなので気をつけて聞いてくださいね。

統合失調症というのは病気だなんて思って相手をしていたら、

それは非常に遠回りな目に合うことになるんだし。

そんな付き合い方をしているようだと必ず壁にブチ当たること間違いなしです。

そうやって時間を費やしてると貴重な自分の人生の時間が勿体無いです。

いい加減に無駄な回り道に時間を割くことからもう足を洗ったほうがいい。

もし、あなたが、この問題と本当に賢く付き合おうとするならばですね。

まず、これは障害(=障碍)の一種なんだと心得て腹を括ってかからないとね。

誰もが、これを病気と思いたくなる理由は私だってよく知っていますがね。

つまり病気なら治せることだからと欲出しちゃってるからなんですよね。

でも医学だって治って回復だと言いません。寛解という理屈を使うんですがね。

これを障害と考えたのでは損だとか得にならないとか腹算用は禁物ですから。

実人生というのはプラスとかマイナスとか、そんな軸上には存在してません。

それこそ、あるひとは、外に出たら、あっけなく交通事故で死ぬ人もあるし。

じゃあ、外は危ないと考えて家にいたら地震だって火事だってありますから。

早い話がですね。どこかで誰かに、それぞれで何かが、必ず訪れるのです。

言ってみれば、どんなことにでも順番というのは回ってくるんですよ。

今日は無事に過ごせたみたいでも、それだけ残りの分が日々短くなるだけなんで。

伸ばし伸ばしで先延ばしで生きてれば永久に何も来ないんじゃないですから。

だからこそ自分に来てるのに受けて立たないのは生きるの逃げてます。

どこかに逃げ道があるんじゃないか。そういうズルしようと考えてたら失敗します。

逆説的ですが受けて立つ覚悟さえ固めれば、もう恐れる必要なんかなくなります。

弱気の逃げ腰で背中を見せていたりするから追いかけられて捕まるんでね。

正面から受ければ本気を出して自分の本当の底力を見せられたりするんです。

都合のいいこと虫のいいこと頭の中なら思い浮かべることは出来ますよ。

でも現実の世界にそれが起こると期待してたら待ち惚けがあるだけなんで。

賭け事するひとは、もしかしたらの一攫千金を夢見ちゃうから、スルんでしょ。

でも物事というのは当たって儲かる宝クジだけじゃないのは分かりますよね。

それこそ自分は当たりでも他の人はハズレを握るだけです。逆もしかり。

胴元が金儲けをするために仕組んだバクチは結局トータルして利益にはならんですよ。

これは遊びだけじゃなく商売だって損をする目的で始めることじゃないですけど。

公算のない夢は散るのも易く失敗をして借金に苦しむのもあることです。

はなから儲かる見込みも立たない投資というのは回収ができなくなるのも想像がつく。

何事もそうですが現実的に考えてたほうが実に結ぶものは多いんだと言えます。

この統合失調症が病気だよという触れ込みも同じようなところがあるんです。

カラクリに騙されないためには単純に考えてみると理解をしやすいです。

障害でいうとですね。日本では障害の種別を大きく分けて身体障害・知的障害・精神障害。

そういう3つの区分けで見做すんだということに政治・行政でされていましてね。

これを、そういうクラスごとに考えてみれば話がわかりやすいのですが。

身体の障害というのが治療では回復しないのは誰にとっても理解できるでしょう。

もちろん、それに対して何らかのサポート手段があったりするのは当然なことです。

それは知的な障害でも同じことだなと別に考えるまでもなく周知の話でありましょう。

これらと比較をして、やはり精神の障害というのだって、その中身では同様なんです。

確かに浮き沈みというか悪化と軽快の繰り返しがあったりはするんですが。

これだって軽快したというのが治りました終わりましたと違うのは自明です。

本当の意味で病気ではない状態へ回復しないのになぜ医療で対処するんだろう。

そういうふうに治療へ持ってくのは、どうしてなんだろうと申しますとね。

一言で言えば経済的にキチンとした予算割を、この過去、国家的にしてこなかった。

もし身体や知的の障害並みに福祉の上でのサポートをすると今の予算では足らない。

さらに、だいぶ嫌な話ですが薬で治すんだと押し付ければ医療経済上で大儲け。

しかも驚くなかれ日本の入院病床の何割が精神科に使われてると思われますか。

こんなに精神病院が多いのは、この日本だけなんですが。これ昔の国家戦略でした。

医療にお金を割いても国家経済の全体で利益になるなら、という計算をしたのです。

それで高度経済成長を成功裏に運ぼうと、こういう我々を病院に入れてきたのでした。

まあ問題はあります。でも今大事なのは他人の責任追及なんかじゃないです。

今の自分がこれからどうするのか。どういう考えで自分の課題に答えを見つけるか。

そのためには誰が悪いんだとか。どいつのせいで、こうなったは放っておけばよい。

いま第一にすることは自分の取り組み方の骨組みを生み出すことなんです。

それには病気と考えていたんじゃ治すこと治し方ばかりに目がいっちゃうけど。

それで進めると良くなっても治ることじゃなくて積み重ねる意味が薄れてしまう。

だからこそ障害ということで生活の持ち方の工夫をすることこそ一番に大事。

この自分には障害のせいで考え方の端々に特徴的なぎこちなさがあることだから。

その部分が治療で回復するという誤解のままでいると足元からすくわれる。

自分には、消しようもなく、なくしようもなく、その面はあることなのです。

それ含めて私が生きていくって何だろう。この人生をどうやって展開していくのか。

これは、そういう問題なわけですよ。医療で治すなんて縮み過ぎもいいとこです。

もっと、うんと大きくて深くて、いっそう大切で大事な生きていくことそのもの。

そのとき念頭に置いとかないといけないのは、自分には障害という伴侶が、

これからの生涯ずうっと共にあり、それと付き合っていけないと成り立たない。

障害と伴いながら人生を歩んでいくという。これはそういうことなんですね。




病気じゃないよ。というのを少しは分かって戴けたかな。ではまた。







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