いま、そこに、あなたが、あるのは

誰も『苦労』はひとそれぞれ。しかもすべて自分のオリジナル。つまり人間の数だけ誰にもみんな役目と役割りあって生まれてる

再発は忘れた時でも、やって来る。或いは病気・障碍と言うのは一生モノなので、大事に付き合ってこその価値ですから。(その5)

2020年08月20日 | 日記


今日も暑いですね、北九州は凄いです。

さて、続きを書きましたので。どうぞ、お読みください。



施設で暮らしてきた次女は、「某コロナ」の影響を被って、

長い期間、ずっと家族と面会もできない状態でしたので、

そこを退所させ、自宅へ帰らせたという、わが家でしたが。

日中の過ごし方としては、通える場所の用意に成功しましたので、

次は、寝起きする住まいになる場所を見付ける必要がありました。

ただ、大きな施設では制限も厳しいから、今回は利用を見送って、

この際、グループホームを探そうということになります。

それまで入所施設で生活していた重度障碍者ですから、

これは生活の場を、今度は地域に移行させるという取り組みです。

近年はグループホーム(GH)も数が増えてきたとはいえ、

うちのような重い障害を相手にしてくれるようなGHは、

ある程度、限定されてきます。まだまだ絶対数も限られていて、

簡単に見付けられる訳ではありませんから、時間を要します。

昼間の通所施設は良い場所が見付かったけど、GHとなると、

どう探したらいいものか、どこならば引き受けてくれるかな、と

懸命に探す子供の母親と、私も一緒になって考えます。

うちの奥さんは、仕事をしながらで探すことを考えています。

でも私にしたら基本暇です。だから専従して頭に浮かべています。

しかも、その行き先が定まらないことには、私自身、落ち着けない。

そこは、いくら聞き分けの良い子が相手であるとしても、

本来、私から望んで、一緒に暮らすことを選びました、

という意味では、ないことですからね、ハッキリ言って。

避けがたく同じ家にいる状況にしても、長い間に渡って続いてくれば、

正直そこは多少なりともシンドイ面があることは否めない。

だんだんに自分も重荷だなと感じる部分の比重が増してくる。

使えそうなGHも見付かるが、だが内容的に困難な事情もあるとか。

もう無理を承知で決めるとか妻が言うので、同意できない私が反対する。

難渋してくるうちに、私もだんだん精神的に参って来ます。

そのうち私が少し切れ出すようになるので、もう慌てるようにして、

急かされて話が進み出します。私の窮状を知った施設の配慮から、

入居先のGHが取り敢えずで、決まるまでには至りました。

でも、それは正式というよりは、仮の決定だ、とかも耳にする。

ともあれ、最終的には、以前からの知り合いのGHだし、ここからも近い、

という好条件のGHに空きが出来ていたお陰での入居と相成りました。

ですが、その前後の経緯で気を揉んで、私も余裕が枯渇してました。

ふとしたことが切っ掛けになって、しまいには、

とうとう私もブチ切れ状態で、ついに家で暴れてしまいました。




その暴れたことが、入院をすすめられる直接の理由でした。

だが、その後の、とある出来事が、予想もしない洞察を私にもたらし、

それがワン・ステップ別次元の次なるアクションへの契機だったのでした。




次回は、そのお話を書かせて頂きます。

暑さが激しいので、どちら様もお気を付けください。ではでは





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