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≪私のデジカメ仏≫

ー仏を中心としたフォトログを作りますー

9821anaのちょい旅 (清流山・常泉寺)

2014-09-23 15:06:01 | 古跡 神社・寺 旅

 

 

 清流山・常泉寺 のお寺)

神奈川県大和市福田 (曹洞宗 永平寺 総持寺を本山とする禅1588年(天正16年創建) 

御本尊は 聖観音菩薩 住職は24代とか

お花の寺として親しまれ、境内には四季折々の花が咲いているそうです。
秋は 白彼岸花が有名で良く知られています。
早速 お訪ねさせて頂きました。

      
小田急江ノ島線 高島渋谷              常泉寺 入口                      道元禅氏
東名 横浜町田→16号より

    
           山門                             本堂(御本尊聖観音は閉まって居ました)

  
         白・赤 彼岸花                                                     黄色がありました(大きい)

    
  オレンジも 1本 珍しい!(洋花でしょうか・・・?)              白 も沢山

    
          赤花 秋明菊                   珍しい斑入り ガマの穂    高野白玉(紫シキブの1種でしょうか・・・?)初めて~   蓮が実になっていました

        
     秋の代表 萩と兜門                   珍しい 南蛮キセル と 糸ススキ(すすきの寄生植物)     境内外の塀にクズの花

珍しくなった 花 を育てるのは大変だと思います。
 有難うございました。 今度は春 三椏(ミツマタ) の頃に~ たのしみに・・・

 

 

 


9821anaのちょい旅 (千葉の大仏 5)

2014-09-17 08:53:22 | 古跡 神社・寺 旅

 

 

千葉の大仏 5

 妙楽寺 (千葉県長生郡) 重文・大日如来像期間外の特別拝観)

  嘉祥年代(848~851年)慈覚大師の創建と伝えられています。
  (藤原仏により荘厳な世界が築かれ信仰の深さ、歴史の深さが感じられます。

  

 
近年迄は険しい男坂を登って大変だったそうです
 今は墓地の傍に駐車場が出来て平坦な道で行かれます


         普段は堂が開いていても格子越しにお参りします。 特別に中に入れて頂きました。
平安時代初めに慈覚大師円仁により創建された古刹で、大日如来を中心に不動明王毘沙門天の三尊をお祀りしています。

       
   多聞天(平安)      不動明王 (平安)              御本尊 大日如来            本尊を横から…

本尊 大日如来像は  カヤ材  木造り 一木割り矧(はぎ)造り 2.8メートル(思った以上に大きい)です。
                胎蔵界の丈六仏で県内でもっとも古く、東日本においても特別な大きさです。
                全体にふくよか、流麗な衣文は平安の中央様式
                太い腕、豊かな胸、黒漆の堂々たる重量感は東国の力強さがでています。
寄木造り ・・・・・・・  複数の木材を組み合わせてつくったもの。 平安後期よりはじまる。何人もの部分を分業で造れる。 
木割り矧(はぎ)造り・ 内刳りして木芯を取る
為、像を一度二つに割り、再びつなぎあわせる。 平安時代に盛んになる。

この工法が現代までの木造り彫刻の主流になっています。

仏像の巨大化。 大きな像を造るための材料の確保が容易になり、全国各地で丈六級の大きな仏像が造られるようになりました。

 分業が可能 仏像が大量生産できるようになりました。
 東大寺の南大門 運慶・快慶 の二王門像等 代表作でしょう・・・

  なかなか個人では、行きにくい所です。 本当に有難うございました。またご縁があります様に・・・

     

 


9821anaのちょい旅 (千葉の大仏 4)

2014-09-13 09:46:42 | 古跡 神社・寺 旅

 

 

千葉の大仏 (機岳山 海雄寺)

 釈迦涅槃像 (金銅)

       千葉県いすみ市

天正2年(1574) 
万木城がこの地区にあり万木城主 土岐為頼が永平寺開山和尚 昭灑鑑大和尚を招き中興開山されました。

全長      516センチ(15尺7寸)
顔の長さ   95センチ
頭の高さ   140センチ
肩の高さ   110センチ



首から上は立派で、胴から足にかけて、所どころに、湯廻りの不足の為穴があり、脚の当たりは銅版で補っている所あります。
全身を幾つかにの部分に分けて鋳造したようで、継ぎ目がずれています。

右手は太くて折り曲げて右頬を支えているが、二の腕と肩との間が破れいて、鉄の角材と鉄釘で腕と胴を繋いでいて、穴からみえました。

お顔は、豊頬円満 目鼻はっきり、半眼に開き、良いお顔です。

とにかく大きく オドロキです。 カメラにも1枚では入りきりません。 この時代こんなに金銅が良く調達出来たと思うと共に
 土岐氏の勢力の凄さが感じられました。

① 明治14年には、現在の寺の本尊として安置されたという説 と
② 首だけが造られて大八車に乗せて全国を勧募して歩き、浄財の志納の喜捨をあつめて、ようやく胴部分以下を造れたとの説。ありとの事。

平成2年3月「千葉県指定有形文化財」

現在は、土岐家17代 大介氏が 継いで居られるそうです。

  
       本尊 お釈迦様               土岐家のお祀りしている 仏像がいらっしゃいれました

   知らないこと多過ぎです。 又新発見の旅になりました。 有難うございました。

  


9821anaのちょい旅 (千葉の大仏 3)

2014-09-12 09:36:44 | 古跡 神社・寺 旅

 

 

大日堂  仏頭 (鉄造) 

     (千葉 いすみ市)
                 

御開帳 仏頭のみ残る珍しい鉄物の菩薩形 地元では大日如来として信仰されてきた 

  
            太平洋寄りの市です                                 田んぼの中の静かな所でした


 鉄仏は鎌倉時代に流行し、この像も鎌倉時代以降の作とされる。 鋳造が難しいので、荒い仕上げになりがちですが、
 高度な技術を感じる 美しい仏像 仏頭 です。

 
 外側もきれいですが、うち面まで磨かれ つるつるです。  中まできれいとは…
でも、 仏頭 (頭の部分は有りません。中は空洞なのです)

  お堂と 扁額

平安時代から、日本は深刻な銅不足となり 鉄が銅に代わる題材として使われましたが、融点が高く加工し難い為
細かい作業ができません。 
室町時代になり新たな銅の製錬方法が始まり、銅の安定確保により、鉄仏が衰退したとの お話でした。

仏頭だけの仏も、東京上野や人形町にもおいでになるのですが、千葉の海べりにこんな大きな 仏頭とは~驚きでした

やはり住職が居られず 村の方が守って見えました。
御開帳 有難うございました。

  普段は ドア越しに覗く形で、お参りとの事… 

 


9821anaのちょい旅 (千葉の大仏めぐり 2)

2014-09-11 09:48:32 | 古跡 神社・寺 旅

 

 

日本一大きな山口の木造地蔵菩薩

          (千葉県市原市山口232)

 

 平安時代後期から鎌倉にかけ相次ぐ戦乱、天平地変、餓鬼が相次ぎ
 現代では想像もつかないほど当時の人びとは末法の世の到来と地獄に落ちる不安と恐怖の日々でした。

 だれでも差別なく地獄から救ってくれる地蔵菩薩はもっとも頼りとなるでした
 
この地蔵は 音信山の光明寺の本尊で寺が池和田に移転する為運ぶ途中に
 地蔵尊のあまりの大きさに養老川を渡れず、麓の山口村に置いて行ったとされています。

 江戸時代この地蔵菩薩の供養料として光明寺から下田2反を山口村に置いて行った記録があるそうです。

         
 地蔵菩薩 (座高2.75m 日本一大きい)      変わった形の地蔵堂 萱葺きであったとの事 (大正六年大暴風で崩壊昭和三六年復元修理)


当初は 金箔が貼られ、衣の部分は採色され、大きく張った膝、深く掘られた衣のひだ、力あふれる鎌倉時代後期の作です
  座像の地蔵菩薩は珍しいですネ。

  
                            普段は扉に、穴が切られて、そこから拝み中には入れません

 
 堂横に石仏が・・・でも何か変ですね・・・? 頭が斬られて無くなり似合った が載せてあります   明治の器物破損の影響でしょうか・・・?  

  あまりの大きさに圧倒された一時でした。