亀の歩みで

急がず、慌てず、IT文化を楽しめたらいいと思っています。

骨折その5

2007-11-28 18:33:04 | Weblog
整形外科で今日は治療だけ。
包帯と添え木の金具をはずして、電気をかけ、その後超音波の温水に腕を浸けた。
最初に行った医者でテープで金具を止めたため、肌が痒くなり、静かに洗ってくれた。
「今日は伸ばしましょうね」と
男性の理学療養士が沢山いるのに、可愛いらしい女性が担当してくれていて、やさしい手で ゆっくりとじわーっと伸ばして、さすってくれた。
説明によると
ギブスをしたままよりは引っ張ることによって刺激を受け、さらに骨と骨が開かないように、繋がるように細胞が活発になり、ギブスをしてじっとつながるのを待つより早く骨がくっ付くのだそうだ。
体も運動して各部を刺激して血流が良くなるし、なるほど適度の刺激はこんなところでも体に良い影響をあたえるとは・・・、新しい治療法のようです。

骨折その4

2007-11-27 10:22:25 | Weblog
26日
整形外科に歩いて行った。
25分ほどで運動になる。
9時40分に入り終わったのは1時
今日は院長の診察。
最初に行った医者の話をすると
「添え木金具で金をとり、ギブスをすることで金をとるんだなぁ。
ギブスが必要だったら最初からするよ!」だそうだ。
その後、折れた手首に電気をかけ、超音波でぶくぶくしている温水に腕をつけて、患部の治りを早める治療をしてくれた。
そうそう、足首をねん挫したかもしれないとレントゲンをとったら、
こちらも骨折していた。しかし、シップを貼るだけで日にちがくれば治るそうだ。
あまり負担にならないように、帰りは静かに歩いて帰った。

朝出かける時 主人が洗濯を始めたのに 治療から帰ってベランダを見上げると干してなかった。
家に入るなり、洗濯機を覗いたら、エラーになっていて、洗濯が途中でした。再びスウィッチを入れて15分ほど経った所へ主人が帰ってきたので、話すと主人はすっかり忘れて出かけてしまったとか。
それから主人 洗濯物をほしてくれました。

その後再び出かけていき、夕方遅く、夕食の食材を買って帰宅し、料理してくれ、私は左手で器用に食べる人となりました。
娘から、「そこまでしてくれるお父さんに感謝ね」と・・・。まぁそんなんですが・・。

骨折その3

2007-11-25 13:28:26 | Weblog
24日(土) 
22日に怪我の処置をしてもらったものの、その時の医者と看護婦のやり取りがとても気になっていた。
昨日、評判の良い整形外科の話を聞いたので、気持ちが大きく動いて診てもらうことに決めて朝出かけた。
電車で2駅。
駅からちょっと歩く・・・歩きながら、やはり止めておこうかな?とも考えてしまった。
ともかく行ってみてからにしよう と自分に言い聞かせて行ってみた。
入り口は別に大きくはなかったが、中に入ってびっくり!
私がついたのが9時半ごろ、待合室には、人がぎっしり!
ウアーなんだ、この人数!
医院が沢山ある地域なのにまるで田舎の一軒しかない診療所みたい。
それともこのエリアには整形外科が此処ぐらいしかないのだろうか。
評判がいいから混むのだろうか。
どっちだろう。

やがて私の番が来て、落ちてからの経過を話した。
「友達に評判が良いと聞いて来ました」と私が話すと医者が
「そうやって良いと聞いてはあちこちの医者に診てもらうんだ」と返してきた。
何たる言い方 <`ヘ´>フン
残念だったけれど 咄嗟に言い返す言葉がでてこない。

嫌な医者だったけれど、詳しい話を聞いて、このままここで治療していくことに決めた。
その後、私を担当した理学治療師から、その医者がかなり口が悪きて、今はあれでもやわらかくなったのだと聞く。
固定金具で、骨を引っ張りながら治療をしていくことになって、ギブスはしなくても良くなった。
最後のレントゲンを撮って再び診察室へ行った。
「包帯が濡れないようにビニールで覆ってお風呂に入れます」と 言われた。
私は すかさず「今日初めて 先生から やさしい言葉をかけてもらいました」と言うと、一瞬キョトンとした医者はそのあと満面の照れ笑いをしていた。
その姿を見た私は
「してやったり!」と、最初に言われたしっぺ返しができたとすっきりした気分になった。

骨折その2

2007-11-25 12:57:57 | Weblog
23日 骨折してしまったのが右手のため、娘がお昼は「かつ丼」を買ってきてくれた。
それと食材も買ってきて、当面のおかずを料理をしてくれた。
「笹がきゴボウとニンジンと油揚げのきんぴら」
「ブリの煮付け」
「ひじきの煮つけ」
まるで「お袋の味」
炊飯器は7時に炊き上がるようにセットしてくれて大助かり。
そうそうこのほかに
うなぎのおにぎりと豆大福も置いて行ってくれた。

夜、洗髪したくて、患部にサランラップと指先にビニールの袋を被せて入浴。打撲した膝は湯に浸からないようにして温まった。
洗髪はすべて左手、洗い流すのにシャワーが大助かり、むかしのように桶に汲んだお湯を左手一つで頭にかけるのは大変だった。
しかし両手が使えない不便さは大変のもの。

骨折

2007-11-25 12:42:11 | Weblog
22日連日好天に恵まれ、日頃さぼっている掃除をしてました。
脚立を持ち階段を下りてきたとき途中でバランスを失って、落ちてしまいました。
しかも、落ちたのが玄関のタタキだったので、階段2つ分ほど更に下に落ちました。
膝が痛み、手首を痛めたと瞬間思いましたが、その直後手首がプクッと腫れてきたので、これは折れてしまったとおもいました。
時刻が1時半で医者は午前中診察が終わっているとは思いながら、ひょっとしたらやってるかもしれないと出かけて行きましたが、やはり夕方は4時からでした。
小さい頃は骨折したら骨接ぎにいったと記憶していますが、今は接骨医の看板はなく整骨医です。
捻挫くらいだと気軽に整骨医に行ってましたが、骨折となると足が向きません。
骨折が整形外科なのか外科の分野なのかきちんと分かっていませんでした。
むかし町中にあった入院施設が整った外科には松葉杖を持った人が沢山いましたので、外科でいいと外科に行きレントゲンを撮ってもらうと やはり手首が折れていました。
膝もかなり痛みましたが、こちらは折れていなかったので松葉杖にならずに済みました。
ギブスをすることになったのですが、
「すこしずれている、引っ張る時は痛いよ!」と医者
「先生、休みが入りますよ!」とベテラン看護婦が、
固定金具で手首を固定して、来週の月曜日にギブスをするということで帰ってきました。
看護婦の一言でギブスをする日が伸びたのと、骨がずれているのに、このままだとずれたまま骨がついてしまうのではないかと心配になった。

姉から返信

2007-11-20 16:32:52 | Weblog
パソコンを教えた長姉から電話があり、タスクバーの文字入力が「あ」にできない。「A」も出てない。という。
現在 私のパソコンは「ヴィスタ」。
私の使っていたウィンドウズXPを姉に回したので、
8月に ヴィスタに乗り換えるまで使っていたXPの画面を思い出すも、
近年記憶力がかなり減退してきたので、姉の質問に答えるのに一苦労。
耳の遠い姉に「スタート」のある欄の右の方、時計の並びにあるのにマウスを合わせずらしていくと「入力モード」が出る、そこでクリックすると「ひらがな、全角カタカナなどが出てくるから・・・ひらがなマウスを合わせてクリックすると「あ」になる。

翌日 又電話が・・・「[返信]画面で本文に書き込んだけど、送れない」
「[返信]と同じ欄に[送受信]があるからそこをクリックする」
しばらくしてヴィスタの「windowsメール」を見ると
「Re:できた?」で姉から返信メールがようやく届きました。
「やったね!」

文面は
「おはようございます、 ゲームに夢中になってあそんでしまいました。     S子」

2番目の姉から
「[あ]にするには、左上の「半角・全角・漢字]をクリックすると「あ」になると長姉に教えたけれど分らなかったみたい」とメールがきました。
私も日頃はこの方法を使ってますが、時々「あ」にならない場合があったので、長姉には一番確実な方法を教えたのです。
次にはこの簡単な方法を教えてあげることにしよう。

なにはともあれ、長姉とメールの交換ができて
バンザーイ!(^O^)/

 



姉とパソコン

2007-11-19 12:28:27 | Weblog
一人暮らしの私の長姉は耳がますます遠くなって、電話での会話もままならなくなってきていました。
声が雑音にしか聞こえずとても煩わしいので、テレビは音を消して見ています。
足腰も悪く、今では夏に痛めた腰のリハビリに行く以外出かけることがなくなってしまいました。
こんな姉が楽しみを持つのに、家に居ながら、日本だけでなく世界へ飛んでいって楽しめるインターネット検索と、Eメールを姉妹で交わす楽しみを持ってもらいたいと、勧めてきました。
年金暮らしで出費は抑えたいところですが、観劇や食事に行くこともない生活ですからプロバイダーにかかる費用くらい出してもいいかなと勧めました。
「特割り」だと[ADSL]で月3000円もしないのを見つけて申し込みました。
1か月待ち、「光通信」しかできない地域だと分りました。
「光通信」にすると料金が倍以上かかってしまい、安いものを探しましたがどこにもなく、仕方なく光通信にすることにしました。
工事にインターネット接続も一緒に頼んだのに、セットをしてくれずに帰ってしまい、仕方なく説明書を読みながらセットをしましたが、しっかり読まずに進んだためにEメールが「プロバイダーが認識されません」と出てしまったり、送信ができても受信ができないなど様々なトラブルに閉口しました。
しかし、きちんとセットアップしなくてはならないと泣きそうなくらいでしたが、丹念に説明書を読み、なんとか送受信できるところまで漕ぎつけました。
それから、インターネット検索の仕方、Eメールの仕方を教えました。
最初は私もそうでしたがマウスが思うように動いてくれません。
手のひらが小さい姉はマウスを握りながら指でクリックすることができないので、マウスをポイントに充てるとそこでマウスから手を離して、前の方に握りなおしてクリックするのでそこでずれてしまうことが多いのです。
「疲れちゃった、止める」
翌日、Eメールだけはできるようにと再び教え、少しは理解することができ、ひとまず御終いに。
私が遊んでいたトランプゲームを見ていた姉はやり方を教えてというので、教えたら、そのゲームを楽しんでいるらしい。
脳の活性化するソフトも入れてあるのでそれも楽しんでる様子。

恩師の一周忌

2007-11-17 10:38:12 | Weblog
11月15日、昨年80歳で恩師が亡くなってから1年経ち、お墓参りに出かけた。
11月の初めに一周忌の法要に声をかけていただいが、当日は都合が悪く、4日前にご自宅に伺って奥様といろいろな話をしました。
生前恩師を訪ねると、奥さまはいつも綺麗に着飾って、先生を置いて出かけていきました。
そんな時は「○○さんが、女の子を産んでくれなかったから・・・」とか
「安月給で苦労した・・・」とか、ちょこっと先生の不満を言ってからかっていました。
その奥様が、先生の退官のパーティーや古希のお祝いの宴を設けてくださって、多くの生徒がお祝いに集いあったものです。
そして昨年2月26日ご夫妻の金婚式のお祝いをホテルで挙行されました。
奥さまは、沖縄舞踊や民舞は教える立場、フラダンスもかなりのものです。
日頃の先生は教材ととりくんで、ほとんど部屋からでることもなく読書や代ゼミや河合塾の試験問題を作成したり、頼まれて受験生の個人指導をしたりしていました。奥さまの踊りの発表会には一度も行ったことがなかったようです。
この金婚式の日、奥さまが沖縄舞踊・民舞・フラダンスと73歳とは思えないほど精力的に披露をしてくれました。
そしてご主人である先生はお祝いの席で、初めて奥さまが精進してきた踊りを見ることができたのです。
私も先生に声をかけました。
「先生、奥さまの踊る姿を見ることができて良かったですね」
「ウン、どうなんだか・・・」と言いながら眼は笑っていて、とても楽しそうでした。
それから一か月後に開かれた同窓会にご出席されました。
先生は、
「2か月前に入れた入れ歯が合わなくて・・・」とテーブルに並んだ料理をあまり食べていませんでした。余程下手な歯医者に中ってしまったものだと感じたものです。
同窓会から17日の後、急遽先生は入院することになり、咽喉がんで余命3か月を宣告されました。
ご家族で毎日見舞いに行き、途中奥さまの方が先にあの世に行くのではという事態にもなったそうですが、最後まで告知をしないで貫いたとか。
術後の先生は筆談になり、7月23日に「お母さん、迷惑掛けてごめんなさい。よくなるように頑張るから・・・」と まぎれもなく懐かしい先生の文字が書かれていました。
泣けてくるのを抑えながら、「先生は一生懸命だったんですね。本当のことを知らなくて良かった」
悲しいけれど、親戚から、もう充分に看病したんだから、あまりくよくよ考えないで、これからは自分の人生を楽しむように言われたし、そうかな思ってこの秋から頼まれていた踊りを教え始めたそうです。良かった(^-^)
11月15日の命日にはお墓参りを奥様と一緒にしてきました。
「○○さん(先生の名前)、noranekoさんがお参りに来てくれましたよ~」と先生に語りかけていました。
先生には悪たれついていたけれど、先生を大事に大事に思ってこられた奥さまがそこにいました。