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日本人はービジネス編ーコミュニケーション・プラットフォーム

2021-01-09 23:01:55 | 日本人はなぜうまくいくか
※コミュニケーション・プラットフォームの全体像を考える



―ちなみに、先生。意識をシステム化するとしたらどんな方法、どんな内容になるんですか?



うん。つまりは主体というか自己の全体像の把握ですよね。自分を客観的に見る一種のトレーニングm似たいなものですね。



―じゃあ意識のシステム化というのは、ある意味でトレーニングの体系なんだ。



そうそう。



―自分の意識を客観的に見るトレーニングの体系というのが調委されつつありますよと。



うん。だから、なんて言うのかな。意識知識のナレッジモデリングですね。



―もう、これって体系化されてるんですか?



だいたい体系化されているけど、もう少し手を加える部分はある。



―なるほどね。



だけど理屈としては簡単なんですよね。



―ほう?



だから前から言っているように、一條さんの特性ののすごく自分の思考体系を客観視するところがあるじゃない。



―あんまり自分ではわからないですけどね。



(笑)けど、クライアントさんに伝えているわけだから、ある意味で体系化されているわけですよね。



―ああ。クライアントさんに対する部分は確かに体系化されていると思いますよ。



そうでしょう?そうじゃなかったらあれだけいろんな業種のクライアントさんに対応できないはずですからね。だからね、あとはそういう体系をどうやってシステムに落とし込むかだけなんですよ。自己と他者とのかかわりの中の、いわゆるコミュニケーション・プラットフォームの全体像というかね。それを知るっていうのがキモですよね。それに名前を付ければいいわけだ。まだ、付いてないでしょ。



―付いていないです。



だから名前を付けちゃう。一條式思考体系とかね(笑)

一種独特なコミュニケーションの方法というか。経験科学的ですよね。

敬虔から導きだされた、いわゆる、自我と他者、あるいは、自己と他者との関係性の築き方というかね。その関係性をどう使っていくかという体系だと言えると思うんですよ。



―なんだか難しそうなことになってきましたけど(笑)



いや、そうでもない。主体と客体というようなものの名前を割り振って体系化するこtができるし、体系化してしまえばその内容をシステムとして使うことができるということです。



―先生が言う、意識のシステム化って、簡単に言ういろんな人が独自にやっているような「自分や他者の意識の方向づけの仕方」というのを網羅して体系化するということですか?



うん。そうです。だからすでに、人間の意識を方向づけたり広げたりするための方法論はいっぱいある。だけど今は、それらがみんなバラバラのいなっているんですね。



ユングもフロイトも含めてね。



だから例えば、これは精神分析ですとか、これは交流分析ですとか、これはマイクロカウンセリングという手法ですとか。そうやってみんなバラバラに言っている内容を網羅して整理していけば、体系化できる可能性があると言っているわけです。「これは同じことを言っているんだね」というようにね。それが要するに、意識をモデリングするという意味だということです。



※科学は「論理」か「宗教」か



―壮大な話に聞こえますけど。



話だけ聞くとね。でも、例えば、コンピューターの中にそういう体系を落とし込んでしまえばね、コンピューターを通して自己を客観視することができるわけでね。それは量子物理学の、強い人間原理から出てきた意識工学というような学問につながっていくと思いますよ。



―なるほどね。



だって、臨床心理であろうが、カウンセリングであろうが、みんなそれぞれのスキルを何百と持っているわけでしょ。だた、今のところはそういうスキルやノウハウが俗人的というか、ある特定の人にしか使えないものとしてとらえられているわけですよ。こういう内容が、誰もが使えるものとしてモデリングされれば、汎用性が上がると思うんですよね。



―なるほど。



ソフトウェアの開発にしたってね「うちの会社はよその仕組みとはちょっと違うんですよ」とクライアントが言うから、わざわざわかりにくいオーダーメイドにしたやったりするでしょ。



オーダーメイドになるから価格も上がるし、壊れた時には修理にものすごい労力がかかる。そういう構造があるせいでせっかく作ったシステムが社会に貢献できなかったわけですよ、今までは。もちろん、そこには自分が設けたいとか、まぁ自社と他者を同じだと思いたくないとか、いろいろな情動が張り付いているわけですけどね。



―うん。



でもね、識別のノウハウとして提供しているともちろん一時的に自分の利益は上がるかもしれないけど、先がない。

だからいっそのこと全部共通のプラットフォームにしてみんなに使ってもらえば、使ってくれる人が増えるわけだから、利益も増えるというね。



―ちょっと長い目で見ようよという話でもあるわけですね。



うん。だからようやく「意識そのもの」が、端的に言えばお金になるんだというかね。「意識」に大きな価値があるということが認識され始めたという氣はしますけどね。もちろん、価値の中にはお金に換算できないものもあるだろうしね。



―みんなに共通のコミュニケーション・プラットフォームができる価値というのはすごく大きいよと。



そうそう。だから僕がやってきたのはそういうコミュニケーション・プラットフォームづくりだということなんですよね。



―ほう。じゃ、そういうコミュニケーションプラットフォームを作るために検討したもののひとつが、神道であったり、伯家神道だったり、「古事記」だったりするというわけですか?



そうですね。だから、そういうものはみんな実験的な試みですよ。祭祀学も、実験祭祀学的な取り組みなんだと。それは実験祭祀なんだから信仰の対象ではないわけですよ。



―あくまでも、実験と検証のツールだと。



うん。ところが今は科学でさえも、信仰の対象になっちゃってるからね。



―ん?どういうことです?



科学信仰みたいなものがあるでしょ。



―ああ。なるほど。



本当は仮説を立てて、それを軸にして考えていくだけのことでしょ、科学なんて。だから、くいう科学信仰から抜け出すためにも意識をシステム化するという取り組みは役に立つかもしれないなと思うんですけどね。



―システム化することによって情動が外れるから。



そうそう。情動が外れるから。



―なるほどね。



※意識を客観視する効果



意識のシステム化がとういう価値を持つか、というテーマで言うとね。僕らなんかだと当たり前なんだけど、意識を繰り返し繰り返し客観視することができるというのはものすごいメリットになるわけですよ。



―どういうことです?



つまりね思いもよらなかった部分で大きな変化が生まれる可能性があるということです。



―ああ。なるほど。それはわかりますね。例えばこういうことでしょ。僕のクライアントさんの例でいえばね、ある社長さんに「この専務さんにこういう言い回しでありがとうと言ってね」と言ってやってもらうわけですよ。その時に同じ社長さんに「奥さんにはこういう言い回しでありがとうって言ってね」とも伝えて。このふたつを一緒にやってもらうなんてことがあるんです。



うん。



―もちろん、本人はその専務さんとか奥さんに奥さんに対してありがとうという気持ちはそんなに強くなかったりするけど、むしろ逆だったりするけど、僕は氣にしない(笑)



(笑)



―けどね、いわば定型文的に、もっといえば「ありがとう」という音を単に奏でているだけという意識で構わないから「ありがとう」を言ってもらうわけです。



面白い取り組みですね。



―そうそう。すると、その社長さんはこをその専務さんと自分との関係とか、もしくは奥さんと自分との関係を改善する方法なんだなと理解をして、その方法を使う。その結果、実際にその専務さんとの関係とか、奥さんとの関係はよくなるわけですよ。



はいはい。



―ところが実は僕の意図は、そんなところにはなくて。



(笑)



―僕が意図しているのは、つまり、そうやってふたりの人間いある特定の言い回しで「ありがとう」を伝えることによる一番のメリットは、そうすることでその社長さん自身が精神的に楽になっていくということなんですけど、彼はそれに氣がつかないわけですね。



うんうん。うんうん。



―例えば意識をシステム化することによって、物事を実現するスピードが上がるとか、物事が実現しやすくなるというメリットはありますけれど。



うん。



―実は実は、意識の客観視というのを繰り返すことによって、あなたの中にあなたが思ってもいなかったような変化が怒るんですよということでしょ。



そうそうそうそう。それは、身体的なものも含めて、きっと起ると思うんですよね。



―うん。例えばですけど、事業の利益を1奥艶増やすという目的があったとして、意識をシステム化することでその目的を達成しようとすると。



うん。



―その結果、利益が1奥艶増えて、目的が達成できたと思ったら、同時に自分の肝硬変が治っていたとか。



そうそう、



―そういうことがあるよっていうことでしょ?



そうそうそう。すごい少ないエネルギーで、いろいろなことが実現できちゃうっていうようなことが起こる可能性がある。まぁ、可能性ではありますけどね。けど、実際に一條さんの「ありがとう」の事例おnようにね、体系化されている部分もあるわけですからね。ものすごい可能性があると思ってるんでうすよね、僕はね。



―なるほどねぇ。



だからそのためにも一條さんには分析の対象として引き続きデータを提供してもらわなきゃならない(笑)



―え?そうなんですか?まぁ、できる範囲でがんばります(笑)



鎮魂だからね(笑)最大限の貢献を、ね。よろしくお願いします。



―戻ってきましたね(笑)「どんな物事にも、その最大限の力を発揮させてあげよう」と。了解です。では引き続きよろしくお願いします。今日はどうもありがとうございました。



ありがとうございました。



おわりに~想像意志はどこから来るのか~



さて、この”会話”の内容はいかがでしたでしょうか?

この内容の一部分だけでも、その内容をあなたが、あなたと私との会話だと感じてくださった部分があれば、それはとてもうれしいことです。



もしあながたそれを他のsんで下さったとしたら、それは私にとって何よりもの喜びです。というのは、私も、そして今回、あなたに代わって私音話を聞いてくれた一條さんも、この会話を楽しみましたから。さて、この”会話”では、言霊の話から始まって、霊や魂、そして伯家神道の中身まで多くのテーマを取り上げました。また国の在り様や可能性といった大きなテーマにも、話の矛先が向きました。その間ずっと、私の頭にあったのは「意識」という存在でした。



会話の中でも出てきましたが、私はこれからn時代には人間の意識の発展がポイントになると感じています。そして、意識というエネルギーを使いこなすカギは、「方向性が付いた意識」である意志にあるとも考えています。

実は、この「意志」というのは不思議な存在です。

というのも、意志とは意識を広げていく過程の中で手に入るものだと考えられると同時に、意識を広げていくために必要な原動力でもあると感じるからです。これまで人類は、自分たちの意識について、さまざまな考察をしてきました。



例えば、夏目漱石もその著書「坊ちゃん」の中で「智に働けば角が立つ」「情に棹させば流される」「意地を通せば窮屈だ」という表現で紹介したような、知情意というドイツ哲学の概念もあります。意識を広げるための方法としても、情緒後を読み上げるという単純なものもあれば、哲学的に何かを考えて考えて、その先に「はっ」と氣づく何かを求めることもできる。



今まで知らなかったことに氣が付いたり。情動語から今の自分の気持ちが精確にわかるようになったりすることによって、自由度も上がっていきます。また、今まで知らなかったことを知ることによって、もしくは知らないであろうことを知ろうとする取り組みによって、意志が生まれます。けれど、そもそも最初に意識を広げようとした意志はどこから来たものなのか?

いつでも360度、どの方向にでも進めるようにするためには、フレキシビリティという土台が必要です。そのためには、例えば私の言葉で言えば、ナレッジモデリングという手法を使って意識、すなわち「覚醒している時に起こるさまざまな思い」を網羅することは、とても役に立つのではないかと思います。



一方で、「覚醒している時に起こるさまざまな思い」をいくら網羅したところで、つまり、360度、どの方向にも道ができたところで、どの方向に進むのかを指し示すものがなければどこにも移動することはできません。では、どの方向に進むかを指し示すものは何なのか?私はこれは「そもそも意識を広げようとした意志」と同じ「意志」なのではないかと思うのです。



これは「覚醒している時に起こるさまざまな思い」を網羅していく道中で獲得できる意志とはまた違った意志であると思っています。私はこの意志を「創造意志」と呼んでいますが、ではこの創造意志はどこから来るのか?



それは自分のものなおんか、果たして自分のものではないのか?いずれにしても私は、この創造意志が人間の進化を引き起こしたと思っています。そしてその先の疑問の答えに、これから私たち人間が、意識を使いこなせるかどうかのカギがあるのではないかとも思います。いずれにしてもこの「意識」とい「意志」については今後しばらくの間、私を虜にしてやまない研究テーマになると感じています。



この研究の成果をまた近いうちにご報告できることを楽しみにしながら、今回の筆をおかせて頂きたいと思います。最後になりましたが、またこうして私の研究内容に目を通してくださったことをあなたに感謝しつつ。

この”会話”の内容が一部分でもあなたのお役に立つことを願っています。



七沢賢治



取り上げた書籍



「量子進化 脳と進化の謎を量子力学が解く!」ジョンジョー・マクファデン―共立出版

「フィネガンズ・ウェイク」河井で書房新社

「生命形体学除雪 根源敬称とメタモルフォーゼ」三木成夫 うぶすな書院

「感情表現辞典」 中村明 東京出版

日本人はービジネス編ー7.意志=方向性を持った意識

2021-01-08 22:59:48 | 日本人はなぜうまくいくか
7.意志=方向性を持った意識



※軽薄短小と棚田の文化



まぁ、冗談みたいに言っちゃったけどね。日本にはやっぱりいいところがあるわけですよ。判官贔屓じゃなくてね。



―判官贔屓はダメですよ(笑)



(笑)例えばね、一時期、日本の物作りの技術が軽薄短小だと言われていたことがあったでしょう?



―はいはい。良い意味でね。



うん。良い意味でね。例えば機械類は全部薄く、小さくしていくという。それが日本の特技だった時があったわけですよ。



―はい。



じゃあそれが最近のことかというと、実は幕末のころにも小さな時計をつくったりしていたわけですよ。



―うん。



では、日本人はなぜそういうことをするようになったか、ということでね。僕はそこには棚田の文化というのがあると思うんですよね。



―棚田?



そう、つまりね。日本には平地が少ないから、山の斜面に棚田を作ったりしたわけでしょう?平地がないから、なんとか斜面を使って田んぼの面積を増やそうという工夫ですよね。



―はい。



日本は今も昔も国土のほとんどが山なわけだから。いかにして面積を確保するのかというのと、いかにして水がうまく流れるようにするのかというのがテーマでしょ。だから小さな田んぼからどれだけ多くの生産を上げるか。これはまさに機械類をつくる時の軽薄短小という考え方のもとになっていると思うんですよ。



―はいはい。簡単に言えば、限られた狭い地域でどうやってたくさんの収量を確保すればいいだろうかというのをやっていたのが、現代の物作りにも生きているんじゃないのかということですね。



そうです。それに加えてね、どうも日本には別の思想もあったように感じるんですよ。



―別の思想ですか?



うん。というのもね、これは僕がシステム開発の会社を経営していた時に感じたことですけど、日本人というのはコンピュータープログラムの中のバグを徹底的に全部取り除こうとするんですよ。



ーああ。それって僕音感覚からしても、日本人のシステムエンジニアさんたちにはだいたい共通している特徴ですね。



うん。これは田んぼの中から雑草を一本一本抜いていくのと同じ感覚ですよね。雑草を一本一本抜いていって完璧に処理する。これが日本の田んぼの基本なんです。



―他の圀ではそうではないんですか?



そうですね。だいたい、パッとモミダネを巻いてあとは放っておくとかね。そういうやり方ですよ。





―それはパットモミダネを蒔いておくだけで十分な収量が得られるからですか?



いや、そういうわけでもないと思うけど。例えば苗を一本一本植えていくというような考え方もないわけですよ。



―ほう。ちょっとよくわかりませんが。ただ、実際にはそうなっていると。



そう。



―じゃあなんで日本人は一本一本雑草を抜いたり、苗を一本一本植えたりするんですかね?



だからそうすることで生産性が最大限に上がるからでしょう。



―え?じゃあ、やっぱり他の圀では十分な生産量があったから雑草抜きをしなかったというおとなんじゃないんですか?



いや、僕はそういう国のやり方では収量は少ないけども、それ以外に生産性を挙げる方法をあんまり考えなかったのではないかと思うんですよ。



―え?どういうことですか?



うん。ここにね、日本人の特性があると思うんです。



※伯家神道の「鎮魂」とは?



―ほう。どんな特性なんですか?



それはね、よりたくさんのものを作るぞという哲学というか「稲には稲の最高レベルの力を発揮させてやろうよ」という哲学があったと思うんです。



―ほう。なんでそんなことを思われたんですか?



というのもね、伯家神道にね、「鎮魂」という思想があるわけですよ。これは作法とセットになっているわけですけれどもね。



―鎮魂ですか。何かを慰めるということ?



いや、伯家神道でいう鎮魂というのはね、「物事に最大限の力を発揮させてあげる」ということです。この思想が、生体の持っている最高の能力を発揮させるというか、そのための刺激となるような作法と共に伝わっているわけですよ。



―ほう。生体に、その生体が持っている最高の能力を発揮させると。



うん。日本にはそういう文化があったから、そかもそのために、できることは全部するという気概もあったから。



―その結果、田んぼの中の雑草を一本一本抜くというようなことまでやっていたと。



そうです。だからどんな工業製品にしろなんにしろ、美とか、品位というところを高めていくというのが日本の物作りの前提になっているのではないかなと思うんです。それでね、そういう前提を実現させるためにあったのが、「統合」という考え方だと思うんですよ。



ー統合ですか?



うん。そうやって階層に分けていろいろと考えていくわけだけれども、そのままにしておくとあまり意味がないわけですよ。だから統合という観点が必要になる。



※複雑系の科学と人間の意識



あれもそうでしょう。一時、複雑系の科学というのがはやった時期があったでしょう?あれも結局は階層性の切り分けと統合の問題ですよね。



―ほう。複雑系の科学。



あれはつまり、ひとつの機械が動くにしたって、速く回転する小さな歯車もあれば、ゆっくり回転する大きな歯車もある。そういうものがひとつの機械として動いていこうとする中で、それぞれのパーツや要素をどう調節するか。その調節の仕方によって、いろんな動きが複雑

系に変わっていきますよということでしょ。



―なるほど。



例えば、そういう機械で言えば、それぞれのパーツや要素はお互いに違う空間の位置を使っているわけですよ。



―要するに、いろんなものが複雑に組み合わさってひとつの動きをしているんですよと。だからひとつの動きとしてとらえるんじゃなくて、もっと細かくとらえていったほうがいいですよということですか。



そういう考え方が出てきたということですよね。でもこれまでは、その考え方を基盤にした研究の対象は「人」ではなくて「科学や機械」だったわけです。だから人間の意識がどうなっているんだろうというような研究にはあまり発展がなかったんじゃないかなと思うんですよね。



―なるほどなるほど。人間の意識というのが研究の対象になってこなかった経緯があると。



これまではね。だからそんな状況の中で、人間の意識をとらえようとすると、今日の前にいる人間から出てくるものだけを当てにしがちになる。



―そうそう。だから、例えば情緒を考えるんだったら最初にベースとして情緒についての知識を全部網羅することが必要じゃないかなと思うんですよね。そうやって受け入れ態勢をつくったうえで取り組みをしていけば発展するんじゃないのかなと。だから、階層性を持って物事を把握したうえで、それを統合していくということですよ。



なるほどね。



※意識をシステム化する試み



―ちょっと意識の話が続いているんですけどね。



うん。



―先生の特技というか、考え方の特性には、なんというか物事を機械的なシステムに落とし込むという方向性があるように感じるんですよ、僕。そういう観点から言うとね、意識をシステム化しようというような取り組みもされてたりするんですか?



うん。ここまでのお話というのは、意識をシステム化する時に前提になる話だからね。



―やっぱり(笑)ちなみに意識はどうやってシステム化するんですか?



僕はね意識をシステム化する時に大切なのはね、「意志」だと思うんですよ。



―意志?さっきの話では意志というのは意識に方向性を持たせたものということでしたよね?



そう。意志というのは方向性を持った意識ですよ。僕はその意志が、ものごとを実現するエネルギーであると思うんです。だからその意志を明確にして、物事が実現するエネルギーを高めることが可能なシステムができればいいのではないかと。



―ほう。



このシステムというのはコンピューターの中で動くようなプログラムという意味で使っていますけど、あるいは方法論でもいいし、スキルでもいいと思うんですけどね。そういうものが意識を研究する先にあるのではないのかと思っているんです。



―なるほどね。意志というのは物事を実現するエネルギーであると。



ええ。



―これはどういうことなんですか。意志があったら、なんで物事は実現するんですか?



意志があれば、自分の身体も心も精神も位相が揃うからですよね。量子物理学で言われる、コヒーレントな状態ということですよ。



―位相が揃っているということは、自分の中のベクトルというものがはっきりしていて、なおかつ矛盾する要素がないということですか。



そう。つまりね、自分の中に抵抗がない状態とも言えるわけです。



―自分音中に抵抗gあないから、物事が実現しやすくなると?



そうですね。その時に、フレキシビリティが高い状態というか数多くの選択肢から選べる状態になっていれば、そこにある意志が働いた時には、あっという間に意志が示す方向に進めるという感じですよね。



―ふーん。



だから瞬間瞬間で決めて、瞬間瞬間に移動していくということができる。量子物理学でゼロ・ポイントフィールドという言葉が使われてますけどね、それは実は究極のフレキシビリティがある状態だと思うんですよ。



―なるほど。



これは武道にも通じるところがあってね。瞬間瞬間にパッと移動できるというのが一番いい状態なんです。



―どういうことですか?



例えばね、武道だとしたら相手がこう来るだろうと予測して身構えるとしますよね。その時に予測が外れたら対応が一歩遅れてしまうわけですよ。



―うん。



もしくはやかんを持ち上げる時にね、このやかんは思いだろうと予測してうんと力を込めて持ち上げちゃったとして、もしも夜間の中身が空だったら、持ち上げる力が強すぎてポーンと跳ね上がっちゃう。つまり、予測したり、こうだ!と決めてかかるとすごく無駄なエネルギーを使うことが多いわけですよ。



―そうですよね。じゃ、どうすればいいんですか?



例えばね、やかんだったら何も考えずにこうして取っ手を握ってね、その時の感覚で力の入れ方をかえればいいわけですよ。



―ああ。だからその取っ手を握った時に重さを感じれば、その重さに見合った力を込めるし、軽いと感じたら軽いなりの力を込めると。



そうそう。そうすれば無駄なエネルギーを使わなくて済む。



―はいはい。でもそれって僕たちの日常で不通にやってることじゃないですか?



そうでもないですよ。



―というと?



この話はね、予測というか、予見という話なんですよ。つまり、予測や予見をするとだいたい失敗する。



※予測と情緒のはりつき



―どういうことですか?



良い例が地震ですよ。こういう時期にこういう地震が起こりますよという予測はだいたい外れているでしょ?



―うん?どういうことです?



日本だったら東日本大震災以降、あそこに地震が来るとか、ここに地震が来るとかいうことを学者から予言者までいろいろな人が行っているけど、ほとんど当たっていない。



―だから予測してもしょうがないと?



うん。



―でもそうすると、予防という観念がなくなりますよ。



いやそうではなくて、予測はしないかもしれないけど、できることはやttえおけばいいわけですよ。

例えば日本という国ではその国の特性上、地震は必ず起こるものだと考えられるでしょ。

つまりそれは循環論の中で考えられることなんだから、必要だと思われる対策はしておけばいいですよ。



―ほう。対策はするけれど。



予測をすることに重点を置くのではない。



―ああ。つまり「論理的な予測が外れる可能性」もあらかじめ認識している状態で必要なことをしておくということですか。



そういうことです。100年後、200年後に起こることかもわからないけれども、論理的に予測できることに対する対策というか、必要な備えはしましょうねと。「備えあれば憂い無し」っていうようなことは昔から言われていますからねと。



―ただし予測が外れることもありますよと。



そう。だからね、今の世の中には不安を高めるための予測というのが蔓延しちゃってるでしょ。



―そうですね。



そこには情緒的なものが介在しているわけですよ。でも、論理的に予測する分には情緒的なものが介在する必要はないというかね。なんていうかな。まず現実を知るということが必要だと思うわけですよね。



―なるほどね。もちろん、ある程度予測はして備えはするよと。その結果、備えがあったから被害を防げたという場合もあるだろうし。



うん。



―備えてはいたけれど、備えが足りなくて被害が出ちゃうこともあるかもしれないよと。



そう。



―そもそも、備えていた対象とは違うことが起こって、ひどいことになる可能性もあるわけだけど。



可能性はね。ありますよね。



―うん。



けれど大切なのは、不安を高める予測というのと、やることをやった上で自分の意識の中から手放すというのはまったく別物ですおyということなんです。



―なるほど。不安を高めるのでもなく、投げやりにあきらめるのでもなく。ただ、淡々と、というか。



そうですね。そして、意識のシステム化がもし仮にできるとすれば、そういう価値を持つのではないだろうかと。つまり、不安だったりだとか、あきらめだったりとか、そういう情動の中で振り回されるのではなくてね。絶対安全というわけではないけれど、心穏やかに過ごしていけるし、選択肢は常に広がっている状態をつくり出せるのではないかと。



―なるほど。



心穏やかで、なおかつ選択肢が見えている状態にいれば、そのつど、そのつどの瞬間瞬間で最適な対応もできるのではないかと。



―なるほどね。意識のシステム化が持つ価値にはそういうものがありますよと。



そう思います。



※特殊な会社



企業向けの「ソフトウェア開発」がオーダーメイドだというお話が出てきました。七沢先生と同じく、私も企業向けのシステム開発に携わることがあるので、これは実は厄介な問題なのです。ところで、このお話は「ソフトウェアの開発」に限った話ではありません。



このコラムでもいくつかの事例をお話していますが、私はコンサルタントという仕事をしています。専門は売上アップと集客です。その私のもとには毎月新しいクライアントさんが相談にいらっしゃるのですが、実はそこで毎日同じ質問をされています。



どういう質問かというと「一條さん、うちの業界を扱った経験はありますか?」というものです。

本当に毎回のこの質問を頂きます。

規模を問わず、業種業態を問わず、上場非上場を問わずです。



そして、その質問に対する私の答えを聞いたあとの反応も、まるでハンコをついたように全く同じなのです。



①もし私が「経験ありますよ」と答えると・・・。

「そうですか。でも、うちは業界の中でも特殊な会社ですから・・・」という答えが必ず返ってくる。



②もしも私が「経験ないですよ」と答えると・・・。



「そうですか。うちの業界は特殊ですから・・・」という答えが返ってくる(笑)

結局、私がなんと答えるかに関係なく、みなさん「自分たちは特殊だ」ということをおっしゃるわけですね。

ところで、私はフランチャイズの本部さんや加盟店さんにもコンサルティングをごご提供しています。

その観点から言うと、同じ地域の、同じ道路沿いに並んでいる、しかも同じ商品を販売している、同じ規模のフランチャイズの加盟店さんAと加盟店さんBがあった場合にでも、AさんとBさんとではうまくいく方法が違うのです。



そういう意味では、100社の会社があれば100通りのうまくいく方法がある。つまり、私にとってはどの会社さんが相談にいらっしゃたとしても、まったく初めての経験だということになります。そして、どの会社さんにも必ずその会社さんなりの「うまくいく方法」がある。



だから自分たちは特殊かどうかなんてことは氣にせずに、自分たちがうまくいくためにするべきことに集中すればいのではないかと思うのです。ましてや誰かの専門家の力を借りるのであれば、その専門家を使い倒すくらいの気持ちで楽しめばいいと思うのです。



自分を特殊だと思いたい気持ちには、優越感もあれば劣等感もあると思います。けれど、このふたつの感情は結局は同じ感情の顕れに過ぎないのだと感じます。なぜならどちらの感情も結局は自分の足を引っ張ることになるからです。ですので、もしあなたが何かの取り組みをする際には、ぜひ、自分たちが特殊か特殊じゃないかなんてことはわきに置いておいて、目的を達成することに集中して頂きたい。そしてそのプロセスを楽しんで頂きたいと思うのです。



なんの役に立つのか、それとも立たないのかは私にはわからないのですが、この本にいくつか書かせて頂いたコラムがあなたにとって何かのお役に立つようであれば本当にうれしい。そう思っています。



それでは引き続き、私たちの会話をお楽しみください。


日本人はービジネス編6、「強い人間原理」と「永遠の今」-日本人の発展の力学

2021-01-07 04:54:37 | 日本人はなぜうまくいくか
6、「強い人間原理」と「永遠の今」



※意識は「人を動かす動力源」



―先生、意識の話に戻るとね、なんで意識が人間の発展を考えた時の一番のポイントになると考えたんですか?



それはですね、僕は意識というのはエネルギーのひとつの塊というか、エネルギーで表現できるものだととらえてるんですね。



―ほう。



ちょうど人類がいろんな燃料を使ったり、食料を使っているのと同じようにね。意識というものもひとつのエネルギーだと表現できるのではないかと思うんですよ。



―意識は「エネルギー源」としてとらえられるということですか?意識というのはある種の「人間を動かす動力の源」みたいなものだとも考えられると。



そうそう。これはどういう考えをもとにしているかと言うと、量子物理学の言う「強い人間原理」というところに結び付くんですけどね。



―なんですか、強い人間原理って?



これは量子物理学で使われている言葉でね。今までのいわゆる物理学の原則では、人間のいうのは弱い存在であるというか人間は「自然」には介入するおkとができない存在だと規定されてきたわけですよ。これは哲学的にもそういうふうに言ってきたんだけども。



―ほう。



哲学的に言うとね、パスカルじゃないけど「人間は一本の葦のようなものだ」という。そういう考え方の根拠は「創造者としての紙」と「被造物としての人間」という関係の中にあるというかね。だから人間は「天」という大きな原理や、その力から見たら、まるで「けし粒」のような存在だという人間観ですよね。だから、人間が天に働きかけられるようなものは何もないということになる。人間ができることはせいぜい神を信仰して、あとは頑張るというぐらいのことだった。一神教的な世界観ではね。これはある意味で今の世界に共通の学問的理解というか哲学ですよね。



―「人間はちっぽけなものだ」と。



そうそう。それが哲学で言う「弱い人間観」ですよ。ところが最近の量子物理学的なものの見方はちょっと違う。



―ほう。



つまり、「強い人間原理」、哲学的に言えば「強い人間観」が出てきた。なぜかというと、人間は自分の意識によって観測の対象の動きを帰らLということがわかったからですね。



―観察者が結果に影響を及ぼすという世界ですね。



うん。そういう観点から意識というものを見たら、意識というものには無限の利用価値があるというか、エネルギー的に使えるんじゃないかと思うんですよね。



―ほう。そういう意味で、意識の発展の中に、すべての発展のカギがあるということですか?



うん。僕はそう思うんだけどね。



※「意識」と「気」と「じょうほう」と



―実際には意識というものはどう使えるんですか?



どう使えるかということを考えると、今度は階層性に分けていくところにいきますよね。



―ほう。



学問的に言うと、意識というものはある時には「譲歩」と呼ばれたり、またある時には「意識」と呼ばれたり、ある時には「氣」と呼ばれたりしてるんですよ。実は同じ内容を指しているのだと僕は思っているのだけれど、表現方法として違っている。



―同じ内容なのに、表現方法が違っているんですか?



うん。まだ統合されていないんですよ。だから、物理的な科学者から見たら「これは一種の情報だよね」という話にんるし。これはいわゆるインフォメーション的な意味の情報というようなとらえ方なんですけどね、物理学では。



―うん。物理学では情報と呼ばれると。



それで心理学の世界に行くと、集合的無意識とか意識とか呼ばれるおとになる。



―なるほど。



さらに中国科学の世界では「氣」と呼んだりね。この「氣」というのは思想ですよね。



意識

―物理学の分野、情報

―中国科学、哲学の分野、氣

―心理学の分野、無意識に対応するものとしての意識



哲学的に言うと「氣」という思想で「意識」のことを表現した時期もあった。みんが好んで氣のエネルギーとか、氣功とか言っていた時のことですよね。こうした内容がまだ統合されていないんですよね。



―なるほどね。今、この対話の中ではひとことで「意識「」と言うけど、実は今の世の中では同じようn兄用が違う言葉で表現されていると。



そうそう。学問によってまだ統合されていない。だから意識の内容をひとつの言葉で表すようにならないと、意識を使いこなすことは難しいかもしれませんね。



―なるほどね。まぁ、統合するためには定義というものが必要でしょうしね。



そうそう。だから、この対話の中での意識というのは「覚醒しているときに起こるさまざまなおもい」という意味で使っていくと決めたわけですけどね。



―うん。いずれにしても「意識」というものがあって、世の中的にはまだ呼び方も統合されていないけれど、この「意識」というものが人間のエネルギー源として利用価値が出てくるのではないだろうかと。



うん。今でも体の調子が悪いところを気功とかで治療したりすることはやっているわけでしょ。これは一種のエネルギー、要するに周波数だったりするわけですよ。周波数を光に変換して、光を熱エネルギーとかにするわけですよね。だから量子物理学的に言うと、情報というか、意識というか、氣というか、それが周波数に変換されて、そのうえで一番普遍的な存在としての光に乗せられたエネルギーとなっている。



―うわー、ちょっスピリチュアルなにおいがしてきましたね。



いえいえ、全然、これは科学です。そこのところは。



―そうなんですか?周波数が光に乗るというのがちょっと。



光がなくとも、情報を数は数として取り出して、それを電磁的に変換することはできるからね。



―うーん。意識も周波数であるということですか。



そうそう。



―その周波数というのは、周波数と言うだけあって「ある種の波」であるとなので、その力を特別視することさえなければ、その周波数にもその他のすべてのものが持っているのと同じぐらいの力は当然あるわけですよね。それをうまいこと使いこなすことはできるかもしれないということですか?



そうです。その力を集中したり分散したりすればエネルギーの効率化もできるでしょう。



―うーん。なるほど。



そういう力を持つ意識にね、方向性を持たせたものが「意志」であると僕は考えてるんですよ。



―なるほどね。



※意識の進化が行き着くところ



「意識の発展」ということで言えばね、意識と意志にそれぞれの定義を与えるというような、こういう分類をするおとによっていしきは発展すると思うんですよ。つまり、階層性ができることによってね、意識が発展する。



―先生、発展って何なんですか?



進化というふうに言ってもいいと思うんですけどね。意識の進化。



―意識の発展とは何かと言うと、それは意識の進化だと。意識が発展するということは、つまり意識がしんかするということなんですね。じゃあ、どう進化するんですか。



意識が広がっていくんです。



―意識が広がっていく。意識が広がっていくことを進化と言うし、意識が広がっていくことが発展であると。ちなみに、意識が広がっていない状態だったらどっちのほうがいいんですか?



それは呼吸みたいなものだから、どっちがいいということはないんですよ。広がっているか広がっていないかという観点で見るのではなくて、広げることもできるし元に戻すこともできるという、自主性というか自由性が重要だと思うんですよね。



―ふーん。どっちにしても広がって縮まるということをするのであれば、より遠くまで広げられたほうが自由度は増えるということですか。



そう。



―せまい範囲の中でひろげたり縮めたりするよりも、広いところまで広げられるのであればそこまで広げることができるし、当然縮めることはできるし。より広い範囲の中で広げたり縮めたりできるようになれば「より自由度が上がるでしょ」と。



そうです。それは国というのもそうじゃないですか。交易とか、国の版図が広がった時に国というものは非常に発達するわけだよね。



―え?どういうことですか?



うん。例えばね、小さい国がだんだん大きくなっていく。この時には交易とか人の行き来とかの範囲が広がっているわけです。文物とか科学、いわゆる知識も広がる。そうするとたくさんの人に恩恵を与えられる。



―じゃあ、今のEUなんかも同じですか。例えば、フランスという国だけで考えていたのでは動ける範囲は狭いけど、EUという枠まで広げると何かをする時の自由度が上がると。



そう。



例えば時評をするにしても、フランス国内だけで事業をすることもできるけど、EU全域を対象にする事業をすることもできる。どこを選ぶかは自分で自由に決められるし、どちらでも選べると自由だよねということですか?



そういうことですね。



―なるほどね。これは自由度が上がるといいことあるんですか?そりゃ自由であるに越したことはないとは思うんですけど、具体的に何がいいのかな?



それは意識進化の要諦ですよね。一番大事なところというか、それこそが人間の目的だと僕は思ってるんですよね。



―え?そうすると「人間って何を求めているんだ」みたいなところにいっちゃうと思うんですけど。すごく狭い世界で言うと、みんな自分の今の生活の保障や安全を求めるんじゃないですか。お金だとか、もしくは色恋だとかね。そこだけで終始しているように見えるんだけど、人間の目的は自分の意識を広げるところにあるということですか?



僕はそう思うんですけどね。



―より自由になること。



そう。



―より自由になることを求めていって、それで行き着くところってあるんですかね。それとも際限なく自由を求めていくものなんですか。



行き着くところというのは、「私」という自分の意識が「神」と呼ばれているようなものの意識になっていくということですよね。これは一神教が許さないところではありますけどね。一神教では人が神になるということを許せないでしょ。



―そりゃそうでしょうね。でも先生が言っている神というのは、いわゆる一神教の中に存在する神とは違いますよね。「神」と呼ばれているようなものの意識って、どういう意識なんですか?



意識が最大限に広がった状態ですよね。



―ごめんなさい、まったくピンとこないんですけど(笑)



つまりね、その中にすべてが含まれているという。意識ですよ。もともとね、日本には「中今」という考え方があるんですよ。「中今」というのは「永遠の今」という捉え方をするわけですけれども。



―永遠の今?



そうです。永遠の今ということは、過去とか未来とか現在ということを超えて、この瞬間の中にすべてが、そおn三つがるというとらえ方です。



―そういう捉え方を日本人は持っていたと?



うん。意識の拡大と収縮が同時に起こっているというかね。



―過去から未来までを全部含めているという意味では、もう最大限に広がっているんだけど、それが今という瞬間にあるということでは最小限にまで収縮しているということですか?



そういうとらえ方ですよね。



―「中今」という考え方には時間という概念がないんですよね。だから、広がりと収縮が同時に起こる?



うん。永遠の今だからね。こういう状態のことをね、今の量子物理学の中ではゼロポイントフィールドというような言い方で呼んでいます。



―ほう。量子物理学の中ではそのゼロポイントフィールドという言葉は、どういう意味で使われているんですか?



宇宙創造の最初の状態みたいな感じですよね。



―何もなかったけど、何かあるような状態?



そう。何かは充満しているんだけど、何もないというような。無ではないけど空のような感じですよね。



―無じゃないですもんね。充満しているけど何もない。



※ナカイマという概念を検証する。



―そういう概念を時間的観点で表現しようとする「中今」という概念になって、それは日本には昔からあったということですか。



そうそう。



―それで、中今は、過去・未来・現在のすべてを含んでいるから自在性があって、自由度が相当高いと。



うん。



―そして実は人間の意識の発展というのは、その自由度をどう獲得うするかという方向に向かって進んでいるのではなかろうかということですか。



そうです。だから日本には「中今」という概念があって良かったねと言えると思うんですよね。



―日本人良かったねと。ちなみに一神教をもとにしている文化の中には「ナカイマ」のような概念はないんですかね?



それは神の中にしかないでしょう。永遠という性質は神の中にしかない。だからカール・バルトとか、神学の世界になっちゃうね。



―カール・バルトって聞いたことあります(笑)



神学者だから(笑)



―いずれにしても神額の中にしかない概念だから、実際に人間がそのような意識を獲得できるものでもない。



それは神の性質だからね。



―でも実際には、人間はそのような意識を獲得できるということですか?



うん。人間がそういう意識になることはできると思いますよ。聖書の中でイエスが「私gはエリアやモーゼの前にいた」というのは時間を超えた意識のことを言っているのだろうしね。



―聖書ですか、僕がイエスさまのレベルにたどりつくには相当時間がかかりそうだけど(笑)いずれにしても人間は、その意識が最大限に広がった状態を目指して進んでいるのではなかろうかと。



そうそう。そういう意識の進化ということが問われる時代になってきたよということですね。



―その科学的な根拠として量子物理学でも「強い人間原理」というものが出てきていますよと。



そう。強い人間原理というのが出てきている。つまり、意識の発展というのはすなわち意識の進化のことであり、進化というのはすなわち広がりのことであり、意識が広がることによって自由度を獲得していくというのが、われわれ人間の方向性なのではないかと。



―なるほどね。ちなみに先生、こうすればもっと意識は広がるんじゃないかというような方法はあるんですか?



それが意識のナレッジモデリングですよね。それが近道だと思います。



―「意識」つまりこの対話の中で言う「覚醒している時に起こるさまざまな思い」というものをいっぱいいっぱい、いっぱいいっぱい網羅していきましょうねと。



そうです。そうすると分類が起こると同時に階層性が出てきて、そして体系化される。



―もう一度整理していいですか。



はい。



―まず網羅しましょうと。網羅したら自動的に分類が起こりますと。階層性ってどこで出てくるんでしたっけ?分類の次に出てくるんですか?



分類が起こった時点で階層も出てきます。



―あ、なるほどね。



こうして分類が起こって階層性も出てくること自体が、その内容が体系化されたということですよ。



―なるほどね。意識の話に戻ると、この体系化が起こった時点でどうなっているんですか?



この時点ですでに相当多くの「想い」が網羅されていますからね。もう相当広い選択肢を持っていることになる。そこからさらに新しい要素が出てくるたびに、網羅をして分類して体系化するということを続けていくと、意識というのはもっと広がっていって、もっともっとというように自由になっていくと思います。



※意識はどう広がるのか?



―先生、意識音広がりって具体的に言うとどんなことなんですか?



例えばね、誰を大切に思うかというテーマで考えてみるとね、ちょうど自分という個人から始まって恋愛の相手、それから夫婦ができて、夫婦から家庭ができて。家族を意識したとこからその先祖に意識が広がって。次にはそれが民族に広がって。まあ、同じ地域に住んでいる地域共同体なり、それからまあ人類なり。あるいは生きとし生けるものすべてに意識が及ぶというような。意識というものはそういうふうに広がっていくものだと理解すればいいんじゃないですかね。



―意識が発展するとは、ある意味、自分だけじゃなくて人のことも考えられるようになるということですか。



そういう面はもちろんありますよね。



―そうするおt、人というのは、自分の大事な人のことを思うことができるようになった先には、その人を含めた民族のことを思うことになるし、そうすると国というのも思うことになる。そこまで広げることも、個人からスタートしてできますよと。



うん。そうでしょうね。例えばね、サンスクリット語には「先祖に対する愛」という意味の単語があるんです。PIAというね。「先祖に対する愛」というのは、自己愛とも違うし、恋愛とも違う。民族愛とも違うわけでしょ。



―そうですね。違いますよね。



ということはすくなくとも、「愛」という概念がそれぐらいの数の別々の階層に分かれているということが、おk鳥羽からも見て取れるわけですよ。



―ああ。つまり、「先祖に対する愛」という概念に対応した言葉があるということは、「自己愛」という概念に対応した言葉もあるだろうし。



そうそう。「家族愛」という概念に対応した言葉もあるだろうと。



―ということは、つまりひとくちに「愛」といっても、実はそこには少なくとも自己愛という階層と、家族愛という階層と、先祖に先祖に対する愛という階層ぐらいはあるということになりますよと。



そう。



―この階層って、どれぐらい細かく分類されていくんですかね?



それが意識音発展段階によると思うわけです。



―ほう?



つまりより細かく階層をとっていけばいくほど、広がりが出てくると言うかね。だから意識が発展すればするほど、この階層は細かくなっていくと思いますよ。



―ああ。つまり、「愛」という言葉を聞いた時に「自己愛」だけしか思い浮かばないというレベルもあれば、「愛」という言葉を聞いた時に「自己愛」「恋愛」「友愛」「家族愛」「先祖に対する愛」「民族愛」「人類愛」「博愛」というふうに、複数の階層が認識できるというレベルもあると。



そう。それで、階層性をこまかく理解していればいるほど、自由度が高いと。



―自由度が高い?



そう。どこを選ぶかという選択肢が多いわけですから、自由度は上がりますよね。



―なるほどね。



だから、東晃史さんという研究者の方が言っているのは、意識というのは基本的に主体の広がりの範囲だというわけです。つまり、先祖とか、民族とか、家族とか、人類とかで主体の広がる範囲が違えば表現が違うんだと。



―階層というのは、簡単に言うと分類でもあるわけですよね。



そうそうそう。



―「階層」という言葉がわかりにくければ「分類」と理解しても構わないよと。



うん。



―大切なことは、愛という概念をひとつ取ったとしても、実はいろいろな「愛」がその中にはめ込まれていて。



いろんな階層が重なっていて。



―いろんな階層が重なっていてその「愛」がどの階層の愛を示しているのかがわからなかったら、コミュニケーションもできないでしょうと。



そう。そういう階層を積み重ねていくというか、階層を細かく分けていくというか、どちらのとらえ方でもいいんだけれど、それが意識が広がるということだと思います。



―なるほどね。



※「悟りたい」という執着



それとね、意識にはいろいろな階層があるわけですけどね、その中には自分の命を守るためのものもあれば、いわゆる執着というのもあるわけです。



―ほう。執着。



そうそう。例えば、「これが欲しい」とかね。



―はい。



そういう執着が、こうやって意識のナレッジモデリングをしていくと外れていく。



―え?そうなんですか?なんで?



それは、自分の意識を自分で自覚できるようになるからね。そうすると、非常に解放されてくるわけでしょ。



―ほう。



例えば「悟りたい」というのも一種の執着なわけでね。だから、そういうところから離れられるようになる、というのは非情に大きなポイントだと思います。



―なるほどね。意識を広げて自分の自由度を上げるという話をずっとしてきましたけど。学問的に「ふんふん」と言って理解しているかもしれないけど、実生活にも役立つんだよと。



そう。



―なぜかというと、あなたもいろいろなことに執着しているでしょうと。もっとまつげが長ければよかったなと思っている女の子はまつげに執着しているわけだし。もっとお金が欲しいなと思っている人はお金に執着しているわけで。意識が広がるということは、そういう忠着から自由になるおkとなんですよということ?



そうそう。それは悟りもみんなそうです。そういう問題だけなんですよ。



―ということは意識を広げる取り組みというのは、たちまち実生活でも役に立つということですか?



そう。やってみる価値はあるでしょう?(笑)



―確かにありますねぇ(笑)



※自分たちの国は今どんな状態なのか



まぁ、意識というのはどんな側面にしても個人から家庭になり、家庭から氏族になって、それから民族、人類っていうふうに広がっていくという。当然、その階層によって思想というか哲学も変わってくるわけですけどね。



―なるほど。



だから愛といっても、自己愛から家族愛、それから先祖に対する愛、民族愛、そして人類愛というふうに広がっていくし、内容も変わってくる。



―そうやって意識が広がっていく中で、多くの人が共通して持てるところとしては、愛国心みたいなものもあるんですかね?



そうですね。いずれにしても、社会学的に言うと、意識の広がりというおんは、個人の中での自由度であるとも言えるし、考えることができる範囲の拡大とも言えるわけで、その中には国というのもあると思いますよ。その時に大事なのは意識の発展が国を生んだのか、国が意識の発展を生んだのかということでね。



―ん?社会学の観点から言うと意識の広がり、要するに個人が国をつくっていったということになるんですよね。



もちろんそうですよね。



―じゃあ国に関して言うと「覚醒している時に起こるさまざまな思い」というのは、これは要するに「自分たちの国は今どんな状態なのか」という事に対する認識だと思いますが、それをほぼ知らない状態にあると何をするにしても場辺り的になってしまうということですか?



うん。だから、問題があった時に解決するための選択肢が少なくなっちゃいますよね。そうするとダブルバインドにもはまりやすくなる。



―ダブルバインドって二重拘束っていう意味ですよね。



そう。



―つまり、あちらを立てればこちらが立たず。こちらを立てればあちらが立たずということになって、にっちもさっちもいかなくなる。これが国のレベルで起こっているということですか?



そうそう。だから、例えば日本がアメリカから「イランの石油を買わないように」と言われる。だけど、買わなければ自分たちは困ってしまう。さてどうしよう・・・という具合ですよ。



―そういうことが国のレベルでも起こっていると。



そう。今の日本はね、やれアメリカだ、朝鮮だって言って翻弄されてているだけでしょ。もともとそういう国家でもあるのかもしれませんけども、もうちょっと自分たちの国っていうのは何なんだろうということを考えてみるといいと思うんですよね。



―考えた結果どうなるんですか。



他国との関係とかコミュニケーションがうまくいくようになるわけ。



―他の国に振り回されなくなるということですか?



そうそう。だから他国との間にもっとより良い関係を持てるし、また役割も発揮できるんじゃないかと。等々に、東アジア共同体とかっていうものだけをで考えるのではなくて、もっと根本的なね、そういうことを一応考えてみたらどうなのかと。今は他国から、日本の国はこうでなきゃいけないよ、ということを言われているだけじゃないですか。中国からは日本はこうでなきゃいけないよと言われて、韓国から、北朝鮮から、日本はこうでなきゃいけないよって。



まあそろっているのはお金を出しなさい。持っているものをよこしなさいという、そういう関係ですけどね(笑)



―きわどい発言ですね。



でもだから豊かになりにくいんじゃない。いろいろなものを持っているのに。



―だからもうちょっと、自分たちの国っていうのは何なんだろう、ということを本当に考えてみるといいと思いますよと。



―そうですね。



※日本サバイバル!



というのもね、日本という国でも一種のサバイバルが起こっていますよね。要するに今、テーマとして国が錐体するかどうかということが問われているわけです。年金だとか、人口の減少だとかいろんな問題を通してね。



―え?そうなんですか?僕が見ていると、例えば年金問題の話をしている時にも、これからも国はあり続けるという前提で話をしているような、すごいぬるい理論のように聞こえるんですけど。



いや、そうでもないんじゃないですか。やっぱり30年後ぐらいに、人口がこのぐらいの数に減った時に誰が働くのかということを話しているということは、これから先音国の在りようを検討し始めているということでもありますから。



―今はもうそういう時期に来ていると。



うん、来てる。だから消費税の増税なんかも含めてね、いろいろな可能性を挙げているわけですよ。



―なるほどね。



ただ一方では、この国土に蓄積したお金や土地の価値というのは、8000兆円ぐらいの価値になっている。今は1000趙園くらいの借金がると言われていますけど、資産的には8000兆えんぐらいのものがある。評価の仕方によっては1京円の価値というような試算もありますから。



でも、それらけの資産があったとしても、一方で国民がいなくなれば、そういうものの価値はなくなっちゃうでしょ?つまり、国というものの存在が危うくなるというのは、そういう問題も含んでいるわけですよ。だから、これから先の国在りようはどのようなものになるのかを考えていかなければならない。



―なるほど。



それでね、その在りようというのを考える時には、つまり国民が楽しく元気に暮らせる国として国があるためには、自分たちの良さを知る必要があるわけですよ。



―はい。



だから僕は、今は国としてそういうことを考えるのにちょうどいいチャンスなんじゃないかなと思っているんです。



※「日本のパスポート」と「アジアへのタイムマシーン」



―それは自分の国の良さを自覚するということですか。



そうですね。



―どうやったら自覚できるんですか。



うん。ひとつには網羅的に自分の国を眺めるのもいいと思う。例えばね、僕は今、日本の国の「在りよう」というような話をしていますけど、実はこのにほん列島から物理的に抜け出ていくというのも非常に面白いと思っているんですよ。



―日本以外の国に住むということですか?



そうそう。何もどこかに移住するというのではなくてね、日本に住むという以外の選択肢を持つといいと思う。



―ああ。要するに日本に住みたければ住めばいいけど。日本以外に住めるところがないから日本に住むという選択ではなくて。



そう。



―アメリカにでも、日本にでも、オーストラリアにでも、カンボジアでも住めるんだけど、さあどうすると。それを自分で決めるといいのではないかと。



そうそう。実際ね、日本人はどこの国にも行けるというあるいみ、特権というか、とても恵まれているということですよ。



―それは日本のパスポートがあればたいていの国には行けるということですか。



そうそうそう。しかもどこでも住んでいいと言われるでしょ。そういう国というのはなかんかないですよ。



―永住権を取ったりするのはまた別ですけどね。



永住権は別だけど。でも、どこでも行けるよね。



―そうですね。



これはまさに「日本の良さ」「日本人ならではのメリット」ですよ。でもこのことに氣が付いている人はそんなに多くないですよ。それはなぜかというと、日本にいるということが前提になっているからでしょう。



―確かにね。これが自分の良さを自覚していないということですよね。



そうそう。今、日本からアジアに行けばタイムマシーンで過去に戻ったみたいに将来が読めるとかね。一條さんが今、ボーンとアジアに会社作りに行ったりしてるのもそういう理由でしょ?



―ダメですよ、僕の新規事業をバラしちゃ(笑)



(笑)でも、そういうこともほとんどの人は知らないんじゃないかな。



―確かにね。



だからね、今の日本には良いところがたくさんある。僕hあ、これはここ3万年くらいの歴史の中でも同じだったのだろうと思っているわけですよ。



―どういうことですか?



つまり、古代からたくさんの人が日本に渡来してきたという話が残っているでしょう?



―はい。



僕が思うのは、それだけ多くの人たちが日本に来ているんらから、同じくらいの人が日本からも外に出て行っているはずだということなんですよ。



―なるほど。



おそらく行き来があったはずですよね。だから、多分、海の向こうに日本の文化が残っている可能性もあると思っているんだけどね。(注-アルメニアには言霊をご神体とした古神殿がある)



―じゃあ昔は、結構自由だったんだ。



だって、国というものがなかったわけだから。



―ん?それって相当前ですか。縄文時代とかの話?



うん。そう。



―その頃には国なんてなかったから行き来も自由だったし、自分たちが幸せになろうというか、楽しく暮らせるようになろうといろいろやってきたよと。



そう。好奇心とか、そういうものを含めてどんどん広がりを持っていった。だからそれが意識というものの特徴なんですよ。



―ところが、自分たちがより幸せに暮らそうとして、国という定義をつくったことによって、その自由度が損なわれていったと。



うん。そういう側面もありますよね。



―自分たちが幸せになるためにやってきたことが、今は逆に自分たちを不幸せにしているところがあると。



うん。だから、もう一回意識を広げてみたらどうでしょうかと思ってこういう話をしているわけです。



―なるほどね。



そういうふうにね、自由いやったら豊かになると思うんでうしょね。例えば、歴史の中にはなんとか帝国というような帝国がたくさんあったでしょう?ああいった帝国が大きく広がっていった背景には、あまり制限を設けなかったという事実があるんじゃないかなと思うんです。



―どういうことですか?



例えば、帝国の中に入ってくるのも、帝国から外に出ていくのも、行き来は比較的自由だったと思うんですよ。その代わりに、税金はしっかり払ってねという約束があってね。



―税金さえ払ってくれれば細かいことは言いませんということですか?



そうそう。



―それってなんだか今のシンガポールみたいですね。



そう!



―実際に今のシンガポールにはどんどんお金が集まってますからね。



そうそう。富はどんどん大きくなる。だからそういうように純粋にというか、自由にやったほうがいいと思うんですけどね。



―なるほどね。話を戻すと、日本人が自由にやっていこうと思ったら今の日本の良さというものも一回ちゃんと知る必要がるよと。



僕はそう思うんだけどね。



―例えば、たったひとつのパスポートでほとんどの国に行けるというメリットもあるだろうし。他にも挙げていけばいっぱいあるだろうねということですか。



そう。



―そういう良さを国民というか、国全体として共有すると、国がどうあるべきかとか、どうあれるかという選択肢も増えると。



うん。選択しも増えるし、国が活性化しますよね。



―良さを網羅していく中では「こういう国にならなければならない」という理想像というか、脅迫観念からも自由になるので、そのつどそのつどの選択のたびに中立的に選択肢を選ぶことができるようになるし。



自分の目的に応じて自由に、ある意味やりたいことができる道がひらけますよという。



―ということなんですね。ではどうやってそこに近づいていったらいいんですか。最後、方法論ですけど。自分の良さ、自分の国の良さを自覚する方法はあるんですか?まあこんな本というのも、そういう役に立つかもよ、という?



はい。



―え?そうなんですか?この本を読んでくれと(笑)



そうそう(わらい)いやね、やっぱり国というところから考えると方向性を間違えたりするから。まずは自分という個人の良いところを知る試みというかね、そういうことから始めるといいと思います。



―ああ。公ということを考える前に、まず自分の足元を見てみようよと。



うん。例えば感情語をたくさん読み上げてみるとかね。そういうことはすぐにできるし、やっぱり根本的な土台を提供してくれますからね。



―なるほどね。その先には国にうちて思いを馳せる場面も出てくるかもしれませんよと。



そう。



―その時にはこの本のあたりのページを開いてくれてもいいしと。



まぁ、そういう使い方もありますよと(笑)



―ぜひ活用して下さい(笑)



※アジアは昭和のタイムマシーン



日本の良いところとして「ほとんどどこの国にでも行けるパスポート」があるという話が出てきました。そのパスポートを使う先として、私がおすすめするのはアジアの各国です。というのも、アジアの特定の国では今、大量の外資が流れ込んでいるために、お金があまっているという現状があるからです。その一方でそれらの国々ではまだ「必要とされているモノ」がそろっていない。つまり、岡ねはあるけど、モノはないという状況が生まれている。これはビジネスをしている方にとっては天国のような世界です。



例えばコップを売ることを考えてみましょう。日本ではお店に行けばいろいろなコップが売られていますし、もうすでにどんな家にもコップはあると思います。その日本でコップを売ろうとすると、



・もうすでにコップを持っている人に対して、

・さまざまな競合相手との間で「商品としての優劣」を競いながら、売り込みをしていかなければならない。



そこには二重三重のハードルが待ち構えています。ところがアジアのある特定の国では、まだコップがない家があるのです。そこにコップを持っていけばどうなるか?



コップがなくて困っている人のところにコップを持って行ってあげるわけですから、買ってもらえる可能性はとても高い。競合するコップもってないから、ほぼ独占ビジネスンいなる可能性すらあるわけです。ちなみに、私が話しているアジアの国々というのは、中国や香港、シンガポールといったある程度発展してしまった国のことではありません。



バングラディシュやカンボジア、そしてネパールなど。それも首都ではない町が狙い目だったりします。なんぜ、それらの国では今がけいざい成長期のまっただ中。昭和の日本で起こったことが今、全く同じようにそのまま繰り返されています。ひとつだけ昭和の日本と違うのは、インフラ整備がものすごいスピードで進んでいること。



昭和の日本は同の電話線を引くところから始まりましたが、今のアジアの各国では最初から光ファイバーが引かれていく。ですので、昭和の高度経済成長の期間ほど長い「商売にとっての天国機関」は見込めないかもしれませんが、我々日本人が現地に行ったときにはまるでタイムマシーンで昭和に戻ったかのように、ある程度の未来が予測できる。これは日本人であることの大きな大きなメリットです。このメリットを活かしてビジネスのネタを探しに現地を訪れるもよし。古き良き日本を感じるために現地を訪れゥもよし。ぜひ、日本のパスポートを活用して頂ければと思います。













―良さを網羅していく中では「こういう国にならなければならない」という理想像というか、脅迫観念からも自由になるので、そのつどそのつどの選択のたびに中立的に洗濯しを選ぶことができるようになるし。



自分の目的に応じて自由に、ある意味やりたいことができる道がひらけますよという。



―ということなんですね。ではどうやってそこに近づいていったらいいんですか。最後、方法論ですけど。自分の良さ、自分の国の良さを自覚するほうほうはあるんですか?まあこんな本というのも、そういう役に立つかもよ、という?



はい。



―え?そうなんですか?この本を読んでくれと(笑)



そうそう(笑)いやね、やっぱり国というところから考えると方向性を間違えたりするから。まずは自分という個人の良いところを知る試みというかね、そういうことから始めるといいと思います。



―ああ。公ということを考える前に、まず自分の足元を見てみようと。



うん。例えば感情語をたくさん読み上げてみるとかね。

日本人はービジネス編 5、意識の進化とは

2021-01-06 04:42:52 | 日本人はなぜうまくいくか
5、意識の進化とは



※自由自在性を持つ



さっきのね、自分や自分や自分の国の良いところ探しができていないという話の原因にはね、理想の自己像というものがあると思うんですよ。



―理想の自己像ですか?



そうそう。一時期、理想の自己像を作るというのがはやった時期があったでしょう?ああいうのは、全然なんの足しにもならないということですよね。



―うん。縛りにこそなれ。



縛りにこそなれね。国も音字でしょうね、理想の国家像というのがあると自分が縛られるということじゃないでしょうかね。



―なるほどねぇ。でも、ある意味ではこうなりたいという理想を持って、そこに向かって進んでいくというのは、すごく正しく聞こえるんですけどね。



そうそうそう



―でもそれが間違っているということですよね。



うん、全然意味がないから。



―きっと木テクとする場所の定義が違うんですよね。その理想の何かになれば自分自身や自分の国に勝ちが出る妥当という定義が、自分たちの自由性を妨げているのかな。



そうだと思いますよ。だから何かになることを目的にするのではなくて、自由自在性を持つことを目的にすればいいと思うんだけど。



―自由自在性ですか?



そうですね。これは進化の要諦だと思うんですよ。フレキシビリティというか、僕はこの言葉を融通無碍という言葉に訳したんだけどね。



―融通無碍。その進化というのは生物学的な進化ということですか。



そうそう。実はね、生物学的な進化が起こる時というのは、究極の自由性の中で起こるんですよね、。



―え?そうなんですか?僕はいろんな環境変化によって、どんどん対ロというか、選択しが立たれていって、もうここに行かないといきんぼびれないから、そこに行ったというような捉え方をしてましたけど。そうではないということですか。



うん。どこにでも行ける状態になって、初めてどこに行くかというのを選べるということです。



―じゃあ、理想像を描いて、そこに近づいていこうとするアプローチから進化は生まれないということですか。



生れないです。



―なんで生まれないんですか?



それは進んでいった先が閉じているというか、限定的になるからでしょう。



―行き着いたとしても、その先には何もないということですか?



ええ。理想像を描いたりするということは、行先を人工的にこしらえることでしょう。良い者をこしらえる。するとその時点で良いか悪いかという判断基準も人工的になりますよね。



―確かに。



その基準に沿ってできあがったものは、もう当然人工的でしょうし、そこから先に発展しようと思うと、その発展自体も人工的にあらかじめつくられていなければならないというかね。人工的なものだから最初から設計に入れてなかったらできないですよ。つまり、発展のしようがない。だから、系としては完全に閉鎖系ですよ。



―それに対して自由度を上げるというのは、開放系の話なんですか。つまり、どこに行くかはわからないけど、でも、何かの時には自由に選べるという・



そうですね。



―自由に選べればその時々で、より良い選択をする可能性も上がるだろうし。しかも行先が人工的に閉じていないから、そn先にもまた360度の可能性が広がっているという感じですか?



―そう。だからそういうときに意識というものを、全方位的に自由な状態にしておけば、一番いいチョイスができる可能性が高くなる。意識おn自由性というか、進化。あるいは生き延びる可能性の高さが確保できるということでもありますよね。



うーん。例えばね、理想像を描くことによって生き延びようとする社会があるじゃないですか。



―はい。



例えば開催んとしての生活の中で生き延びるために、МBAという資格を取ろうというのもそのひとつですよね。「МBAの資格を取った私」という自分の理想像をこしらえて、そこに向かって進んでいくという。



―うん。



多くの場合にはそういうやり方が意規模ビルための手段だと思われているわけですけども。実は全然生き延びる手段にもなんにもなっていなくて、かといって寿命を縮めるわけでも別にないんだけど。簡単に言うと意味のないことをやっているということですか?



―うん。そういうことだと思います。



そんな暇があったら自分の自由度を上げるほうがいいのではないですか、ということですか?



―そう。



どうやったら自由度が上がるんですか、先生。



―やっぱりナレッジモデリングが近道だと思うけど(笑)



意識ですよ。意識のナレッジモデリング。



※「覚醒している時に起こるさまざまな思い」を網羅する



僕はね、人間の発展ということを考えるとね、これから一番のポイントになるのは「意識」だと思うんですよね。



―意識ですか?



うん。なぜなら今では量子力学でも意識の問題がでてきた。工学でも意識がテーマになってきた。これは新しい意識音とらえ方が始まったという意味です。そしてそれらのより進んだ最先端の科学がだんだんだんだんと実生活に直接関連するような分野にも降りてきて、今ちょうど心理学や医学でも意識について新しい捉え方をしようとしているわけです。



―ほう。



つまり、意識というものをどうとらえるかという研究をすることが、人類の一番の得になるというかね。特になるというとおかしいかもしれないけど、例えば意識のエネルギーを使って、新たな物事を生み出していくというところに進めば、この研究は相当や国立つんじゃないかなというような意味ですね。





































5、意識の進化とは



※自由自在性を持つ



さっきのね、自分や自分や自分の国の良いところ探しができていないという話の原因にはね、理想の自己像というものがあると思うんですよ。



―理想の自己像ですか?



そうそう。一時期、理想の自己像を作るというのがはやった時期があったでしょう?ああいうのは、全然なんの足しにもならないということですよね。



―うん。縛りにこそなれ。



縛りにこそなれね。国も音字でしょうね、理想の国家像というのがあると自分が縛られるということじゃないでしょうかね。



―なるほどねぇ。でも、ある意味ではこうなりたいという理想を持って、そこに向かって進んでいくというのは、すごく正しく聞こえるんですけどね。



そうそうそう



―でもそれが間違っているということですよね。



うん、全然意味がないから。



―きっと木テクとする場所の定義が違うんですよね。その理想の何かになれば自分自身や自分の国に勝ちが出る妥当という定義が、自分たちの自由性を妨げているのかな。



そうだと思いますよ。だから何かになることを目的にするのではなくて、自由自在性を持つことを目的にすればいいと思うんだけど。



―自由自在性ですか?



そうですね。これは進化の要諦だと思うんですよ。フレキシビリティというか、僕はこの言葉を融通無碍という言葉に訳したんだけどね。



―融通無碍。その進化というのは生物学的な進化ということですか。



そうそう。実はね、生物学的な進化が起こる時というのは、究極の自由性の中で起こるんですよね、。



―え?そうなんですか?僕はいろんな環境変化によって、どんどん対ロというか、選択しが立たれていって、もうここに行かないといきんぼびれないから、そこに行ったというような捉え方をしてましたけど。そうではないということですか。



うん。どこにでも行ける状態になって、初めてどこに行くかというのを選べるということです。



―じゃあ、理想像を描いて、そこに近づいていこうとするアプローチから進化は生まれないということですか。



生れないです。



―なんで生まれないんですか?



それは進んでいった先が閉じているというか、限定的になるからでしょう。



―行き着いたとしても、その先には何もないということですか?



ええ。理想像を描いたりするということは、行先を人工的にこしらえることでしょう。良い者をこしらえる。するとその時点で良いか悪いかという判断基準も人工的になりますよね。



―確かに。



その基準に沿ってできあがったものは、もう当然人工的でしょうし、そこから先に発展しようと思うと、その発展自体も人工的にあらかじめつくられていなければならないというかね。人工的なものだから最初から設計に入れてなかったらできないですよ。つまり、発展のしようがない。だから、系としては完全に閉鎖系ですよ。



―それに対して自由度を上げるというのは、開放系の話なんですか。つまり、どこに行くかはわからないけど、でも、何かの時には自由に選べるという・



そうですね。



―自由に選べればその時々で、より良い選択をする可能性も上がるだろうし。しかも行先が人工的に閉じていないから、そn先にもまた360度の可能性が広がっているという感じですか?



―そう。だからそういうときに意識というものを、全方位的に自由な状態にしておけば、一番いいチョイスができる可能性が高くなる。意識おn自由性というか、進化。あるいは生き延びる可能性の高さが確保できるということでもありますよね。



うーん。例えばね、理想像を描くことによって生き延びようとする社会があるじゃないですか。



―はい。



例えば開催んとしての生活の中で生き延びるために、МBAという資格を取ろうというのもそのひとつですよね。「МBAの資格を取った私」という自分の理想像をこしらえて、そこに向かって進んでいくという。



―うん。



多くの場合にはそういうやり方が意規模ビルための手段だと思われているわけですけども。実は全然生き延びる手段にもなんにもなっていなくて、かといって寿命を縮めるわけでも別にないんだけど。簡単に言うと意味のないことをやっているということですか?



―うん。そういうことだと思います。



そんな暇があったら自分の自由度を上げるほうがいいのではないですか、ということですか?



―そう。



どうやったら自由度が上がるんですか、先生。



―やっぱりナレッジモデリングが近道だと思うけど(笑)



意識ですよ。意識のナレッジモデリング。



※「覚醒している時に起こるさまざまな思い」を網羅する



僕はね、人間の発展ということを考えるとね、これから一番のポイントになるのは「意識」だと思うんですよね。



―意識ですか?



うん。なぜなら今では量子力学でも意識の問題がでてきた。工学でも意識がテーマになってきた。これは新しい意識音とらえ方が始まったという意味です。そしてそれらのより進んだ最先端の科学がだんだんだんだんと実生活に直接関連するような分野にも降りてきて、今ちょうど心理学や医学でも意識について新しい捉え方をしようとしているわけです。



―ほう。



つまり、意識というものをどうとらえるかという研究をすることが、人類の一番の得になるというかね。特になるというとおかしいかもしれないけど、例えば意識のエネルギーを使って、新たな物事を生み出していくというところに進めば、この研究は相当や国立つんじゃないかなというような意味ですね。



そしてそれらのより進んだ最先端の科学がだんだんと実生活に直接関連するような分野にも降りてきて、今ちょうど心理学や医学でも意識について新しいとらえ方をしようとしているわけです。



―ほう。



つまり、意識というものをどうとらえるかという研究をすることが、人類の一番の特になるというかね。得になると言うとおかしいかもしれないけど、例えば意識のエネルギーを使って、新たな物事を生み出していくというところに進めば、この研究は相当に役に立つんじゃないかなというような意味ですよね。



―ほう。



そういうものを例えば、業務のパソコンシステムの中に組み込んでしまう。



―そんなことできるんですか?



簡単ですよ。ナレッジモデリングを使ってシステムを作った時点で網羅性が確保されているから。あとは方向性をね、与えてあげるだけですよね。



―ん?ちょっとわからなくなりました。ナレッジモデリングという手法で何を網羅するんでしたっけ?



人間の意識。



―え?人間の意識って網羅できるんですか?



うん。できますよ。



―あれ?先生、今「意識」っていう言葉をどんな意味で使っているんですか?



あ、そうか。定義が必要だよね。



―うん。階層がずれてたら話が通じないから(笑)その「意識」っていう言葉を別の言葉で言うと何なんですか?



別の言葉で言うと「覚醒している時に起こるさまざまな思い」ということかな。



―「覚醒している時に起こるさまざまな思い」ですか。



そうそう。



―そうなると意識のナレッジモデリングというのは「覚醒している時に起こるさまざまな思い」を網羅していくことですよと。



うん。



―何か網羅するといえば、これは前の本に出ていた京都の女子大生の話に近いですよね。彼女たちが、感情後のリストを読むことで、自分がどんな感情を持つ可能性があるのかを知ると、その時々の自分の感情を表すのにピッタリの言葉をつかうことができるようになるという話と同じ?



そうそう。あれは感情後の話だったけどね、今度は意識で同じことをする。



―なるほど。ただ「意識」と言われてもピンとこないけど、「覚醒している時に起こるさまざまな思いの種類」であれば感情語と同じように網羅の対象にできると。



そうですね。



―意識の発展というのは「覚醒している時に起こるさまざまな思い」の選択肢をどんどん増やしていくことですよと。



そう。



―そして「覚醒している時に起こるさまざまな思い」の選択肢が多ければ、自由度が上がりますよと。



僕はそう思います。



―ところが、今、自分が「覚醒している時に起こるさまざまな思い」というのを、ちゃんととらえている人は、まぁまれですよと。



まれどころか(笑)



―「覚醒している時に起こるさまざまな思い」ぼバリエーションをたくさん知っていれば、自分の意識が今どこにあるのかを的確につかうむことができるようになるし。



そうです。



―そうなれば例えば恋愛もうまくいくでしょうねと。人とのコミュニケーションもうまくいくでしょうねと。



いくでしょうね。だからさっきの話に戻るけどね、そういう発展の方向性をね、業務のシステムの中に組み込んでいくこともできるわけですよ。



―あ。その話してましたね。



うん。



―それはどうやるんですか?



「覚醒している時に起こるさまざまな思い」を表示するだけですよ。



―ほう。ちょっと画面とかは想像できないんですけど。ただ、仕組みとしてはなんとなくわかった氣になってます(笑)



簡単ですよ。



―そうなると、例えば毎日経理の処理をしているだけでも、意識というか「覚醒している時に起こるさまざまな思い」を客観的に見ることになって、意識が発展していくと。



そうですね。こんなのはハウツーでいいと思うんですよね。機械的にできるものは機械でやればいいし。



―ハウツー?



うん。そういう意味では、こういう本というのも役に立つと思うし。やっぱりね、必ず使えるというか、やり方がわkるというのはものすごく大きいんじゃないかなと、という氣がするんですね。



―ほう?



だって、意識の発展というのは、普通は宗教的にというか、さんざん修行した人たちがやっとたどり着くような場所じゃないですか。彼らが最終的にこうじゃないかなとたどり着いた部分のエッセンスを、最初から提供できるというのはとても役に立つのではないかと思うんですよ。



―なるほどね。



もちろん僕はそんな思想家や学者dめおないけど。だけども、非常に平易な論理と言葉でもって織りなしていくというのはやる意味があるのではないかなと思ってるんですけどね。



―うん。



だって、今やインフラは全部そろっているんですからね。



―パソコンもあるし、脳はを周波数変換する方法もあるしと。



そうそう。本もたくさんあるし。類語辞典とか、中村明さんの「感情表現辞典」とかね。インフラはもうそろってるんですからやってみればいい。そう思ってやってきたということはありますね。



※顧客の心理を読み取り組み



―先生、今ね、人間の意識を網羅して客観的にみられるようにするという話が出たじゃないですか。その話で思い出したんですけど、今、せんせいがシステム化しているメンタルプロセッサーっていうのがありますよね?



はい。



―あれの基本はやっぱり、人の心情を網羅して客観視した内容が基盤になりますよね。



そうです。



―同じようなことでね、人の心情ではないけど、人の価値観を可視化しようという研究があってね。東工の工学部の大澤さんという境界がそういうことをやっていたんですよ。僕もちょくちょく研究室にお伺いしてたんですけどね。



うん。



―そこで可視化しようとしていたのは人の価値観ですけど、同じような取り組みを顧客という存在に対してやってきた企業さんって結構多いんですよ。簡単に言うと、顧客の購買動機っていうものを、目に見えるようにしようとしてきた。そうすればもっと売れるようになるだろうという前提のもとでの取り組みですよね。



うん。



―今でも顧客の心理をコントロールするとか、人の心を読めるとか、そういうふうなノウハウ本みたいなものが売れるじゃないですか。



はい。



―そういうのと同じで「顧客の心理を読める」というか、目で見えるズとかにできないものかっていう研究というか取り組みは、僕が知っているだけでも結構な数の企業さんがやっているんですけどね。でも、なかなかうまくいかないんですよね。



ほう。



―それで先生のとこのメンタルプロセッサーの話をしたじゃないですか。その時にね、そういう企業さんの取り組みがうまくいかなかったのは、そもそも顧客の感情というのを最初に網羅していなかったからじゃないかと思ったんですよね。



はいはい。



―だから、彼らが「お客さんが持つ可能性がある感情」として把握している勘定の数がものすごく少ないように感じるんですよ。ちょうど、さっきも言った「京都の女子大生が自分の感情を表現するのに七つの言葉しか使っていなかった」という話みたいにね。



その可能性はありますよね。



―うん。それで、そもそも選択しが少ない感情のどこかにお客さんを無理やり押し込めようとするからうまくいかない。



うん。そういうことで言うとね、一條さんの論理n負い方というのはシェリング風なんですよ。



※ドイツ哲学と感情論理



前の本を書いたときにね、一條さんが現行を見ながら順番を変えていったでしょ。あの手法というか、論理の追いかけ方はね、ものすごく新しい。新しいというか珍しい。あれはシェリングというドイツの哲学者の言う、超越的観念論という技法ですよ。



―超越的観念論?



うん。みんな誰も思い当たらないともうけども、ヘーゲルのような二項対立的な論理の追いかけ方ではない。



―ふ―ん。自分がやっていることだから全くわからない(笑)



自然のうちに「感情論理」を使っているでしょ?



―感情論理?



うん。読み手の感情。



―はいはい。こういうことを伝えたいんだけれど、それが伝わるためにはどういう順序で話をする必要があるか。それを読み手の感情から逆算して話の順序を変えていったということですね。



そうそう。一條さんはそういう感情論理を多様しているでしょ。



―まぁ、意識してはいると思いますけど。



だから、もう何年も私のところに来ていた人たちの中に、あの原稿を読んだときに「この本を読んではj馬手、これまで聞いてきた話の内容がわかった!」と言う人たちが何人もいた。



―よかったじゃないですか(笑)



普通はね、そんなことしないからね。



―ほう?



だからその感情論理を使う段階で「こういうのが欲しいんですよね」という提示というか確認というかがあって。「そうです」という相手からの答えがあるということですよ。



―相手がちゃんといるということですか。



ええ。



―普通の人には相手がいないということ?



相手のことは考えてないということでしょ。



―へえ。



だから、自分の脳の中で他者としてつかんでいる存在が実は、自己内他者であるおとに氣付いていない。自分の中で勝手に作り上げた他者のことを、本当の他者だと思い込んでいるという間違いがあるわけでしょ。



―まぁ、実際に僕がやってるのは後出しジャンケンですけどね。先にこちらから提示するのではなくて、相手が「これが欲しい」と言っている内容を聞いたあとで、「こんなんあるけど、いる?」って言いながらさっきその相手が欲しいと言っていたものそのものをチラッと見せるという(笑)

だから僕は「ビジネスは後出しジャンケンでうまくいく」って言ってる。



うんうん。誰かが商売は大変だって言うたびに「そんなことないですよ」って話をされますもんね。あれにはみんなハトが豆鉄砲くったみたいな顔をしてる(笑)

今思ったけど、そんなタイトルの本があったら読んでみたいっていう人は多いんじゃないの?



―じゃあそのうち出るかも(笑)「ビジネスは後出しジャンケンでうまくいく」っていうのと「商売は後出しジャンケンでうまくいく」っていう本の2冊セットで。



出たら両方かいます(笑)



―(笑)でもね、じこ内他yさと他者の見極めって簡単に言いますけどね。先生も僕も簡単にそういうおと言うじゃないですか。「いや、それは欲望を限ってないからダメなんですよ」とか。「あわよくば狙ってビジネスしても成果出ませんよね」とかね。



はい。



―でも、見ていると自己内他者と他者の見極めって、ものすごい難しそうなんですよね。なんで難しいん

ですかね。



※欲望を限る人は信頼できるのか?



だから、純粋い人の気持ちを汲むということができないからでしょ。



―人の気持ちを汲むことができない?



というか、人の気持ちを汲むことに集中できない。



―なんでできないんでしょうね。



それは自分の主観があるからでしょ。



―自分の欲求が先に立っちゃうからってこと?



そう。だから、一條さんはそれをものすごく客観視する、そいうトレーニングを大量にしたということで、だから言葉の端々から本当御欲望というものが見えるようになったというかね。だから、僕は最初に「ああ、この人、いけるな」と思ったのは何かというと、欲望を限るというその技術を持った方だと。



―はいはい。欲望を限るね。



うん。それの一点でわかるわけですよね、私の判断方法としては。これは信頼できるわけね、一番ね。



―ほう。



結局、欲望を限れないからみんな落とし穴に落ちるわけでしょ。極端に言うと、欲望を限れるか限れないかというおとだけが問題だと。



―もしくは欲望を限る技術を持っているかどうか?



そう。だから、じこ内他者と他者というものの確認方法というのか、理解方法の精密さというのかね。そこにおいて「相手とコミュニケーションがとれるかどうか」がはっきりしてくるのですね。



―うーん。例えば、僕が営業研修する相手の営業マンさんとかのね、営業の現場とか見てると「売りたい気持ち」が先だってて「誰にでもいいから売りたい!」みたいになっているわけですよ。



うん。



―そうすると、相手の話なんて聞いている余裕はなくて、一生懸命売り込んでいく。ところが、いくらこっちが売りたいと思っていたって、相手が解体と思っていなければ絶対買わないわけですよね。



そうですよね。当然。



―だから売り込むよりも前に、まず買う氣があるかないかを確認していったほうが早いし、その確認をするためには相手に聞くのが早いですよと言うんですけど。



確かに。



―つまり僕は「自分の目的を達成するために」相手のことを気黄とするんですね。これは相手ンおためじゃなくて、自分のためにするんですおy。



言い切りますね(笑)



―だってほんとだもん(笑)ところが、僕が見ているクライアントさんの営業マンさとか、営業ウーマンさんでも同じだけど「自分の目的を達成するために」売り込もうとするんですよ。



うんうん。



―そんなところの僕が売り込もうとしても買わない人には売れないよ」と言っても売り込みをやめられない。「買わない人は買わないから、先に買う人を見つけて、その人に売ったらいいんじゃないの」と言ったら「買う人なんて出てこないですよ」という話になっていく。



(笑)



そこで僕が「いや、いるでしょ、100人いたら1人ぐらい」と言うと「いや、100人いたら100人に売りたいんです」という話になっていく(笑)



―そこで僕が「いや、いるでしょ、100人いたら1人ぐらい」と言うと「いや、100人いたら100人に売りたいんです」という話になっていく(笑)



(笑)



―これは自分の目的というか、欲求とか欲望とかいうものの内容を、ちゃんと自分で把握していないということなんですかね。わからないけど。



もちろん。そういうのはだから情報網羅ができていないだけでしょ。



―情動の貸借対照表



情報網羅



うん。



―ああ。自分の情緒自体も池の中の飛び石みたいで「売りたいという氣持ち」と「売れなかったらどうしよう」というこのふたつぐらいしかなくて、その他の選択肢がない状態だということ?



そうです。だから私がね、メンタルプロセッサーを開発した理由もそういうところですよ。そういう全体像をとらえるためのツールというかね。だから、自分の中における情動の貸借対象表みたいなものを持たないいけないってことなんですよ。



―情動の貸借対照表。本の小見出しに使えそうな名前ですよ(笑)



(笑)でも絶えず自分の常道についての情報を網羅しておかないと。そうしないとダブルバインドに入っちゃう。



―どういうことですか?売りたい気持ちはあるけど、売っちゃいけないと思う自分もいる、みたいな感じ御こと?



そうですね。例えばね、商品にちょっと傷があるとしますよ。そうしたら「もしこれが売れちゃったら、あとでクレームになるんじゃないな」ともおもう。だけど、やppり明日の経営会議までには売っておかないと私の立場はないなってなった時に、さあ、どうする?という二重構造になる。そういう意味です。今はそんなことばっかり起こってるんでしょ?



―そこには他の選択肢がないと。



そう。



―例えば「ああ、これ、傷あるな、お客さんからこれ欲しいって言われたら困るな」と。「でも、俺、占いといけないしな」というときに、お客さんから「それ、欲しい」と言われたら「うっ」となってしまう。



そう。こんな時一條さんだったらどうします?



―いや、僕だったらもう売りたいから(笑)お客さんに「欲しい」って言われたとき員「ああ、お客さん、これ欲しいんですか」と聞いたうえで「ただね、これ、ここに傷があるんdねすけど、これでもいいです?」って僕はスパッと言っちゃうんですよ。



うん。普通にいつも言ってますもんね。



―知ってるなら聞かないでください(笑)



ところがね、それを言えない人は多いんですよ。



―まぁ、その気持ちもわからないでもないんだけど。でもその結果、傷のことをごまかしちゃったり、何も説明せずに売っちゃったあとで悩んだりする。



そうですね。そういう問題が出てくるとね、今度は言える人と言えない人というのは、一つの性格みたいなものだということになって、心理学の問題か何かになっていくわけでしょ。あるいは占いみたいな話になってくる。



※タイプ分類と折れ反れ



―ああ。タイプ分類ですね。



そうそう。



―あなたはそれが言えるタイプの人です、あなたは言えない人ですって。



それでまた拘束される。



―私はこういうタイプだと。



私は売れないタイプの人なんだからしょうがないって(笑)



―ダメじゃないですか(笑)



だから、そういう拘束がいっぱいあるわけですよ、今の社会にhあ。



―うーん。



だからね、一條さんみたいにそういうところを排除してやってこられるというのは、ある意味悟りのような話です。



―まったくそんな実感はないですけど(笑)



だってどんな相手が来てもまったく自然に、同じ地歩に立てるじゃないですか。えらそうでもなく、へりくだるでもなく対等に話すし。なかんかこういうことはできないですよ。普通は低くなるか高くなるか、折れるか反れるかでしょう。



―折れるか反れるか?



うん。京都の文化ではね、こういうのを「折れ反れ」というんですよ。折れ反れがわかっているか、わかっていないかということが京都の文化の一番の特徴なんです。あの人に対して俺は折れると。この人に対しては反れると。折れるか反れるかの区別しかない。



―ふーん。



まぁ、そういう判断基準もあるということですよね。ご自身を見てみて、そういう制限からは自由だと思うでしょ?



―まぁ、確かにそういうこと自体を考えないですからね。



そういうのがひとつの、人間関係論的に大事というかね。だから、それは悟りと同じだから。それに一條さんはごくしぜんに、しかも明確に自分の欲望を言葉にして表現するじゃないですか。だいたいの人はあれができないわけだよね。みんな自分の欲望を隠そうとするから。



―うん。隠していますよね。なんですかこれ?僕の分析みたいになってますけど(笑)



まぁ、いいじゃないですか(笑)でもね、そうやって隠すというのがね、情緒的には一番まずいところですよ。欲望をなんとかして隠したがるというのがね。



―確かにね。隠し事があると自分音中で自由度が下がりますからね。大幅に。



うん。だからその隠そうとする行為というか思考がね、どこから出てきているかというおkとを自分音中で一回はっきりさせておかないといけないと思うんですけどね。



―うん。それは個人個人にとっての課題ですね。



そうそう。人に馬鹿だと思われたくないとかね。あるいは恥をかきたくないとか、いろいろありましょうけどね。だからね、さっきのじこ内他者のような考え方に多くの人が引っかかるのは、こうあるべきだというような理想的な自己があるからだとも言えるんですよ。



―なるほどね。



だから観察者としての自己として見てみれば、そういうふうな問題点もはっきり見えてくると思いますよ。



※間主観的なモノの見方とは?



つまりね、今の与野んかにはいろいろな神経症といわれる症状がありますけどね。感情の病として神経症をとらえれば、それは不安神経症だとか、なんとか神経症というふうに診断されるんだろうけど。



―はい。



実際は「こうあらねばならぬ」というふうな理想の自分に引っかかっているだけだとも言えるわけですよ。



―ほう。でも「こうあらねばならぬ」っていう理想像自体も自分自身で作ったわけではないでしょ?きっと。



うん。それは社会自体の機能としてね、社会が個人の中に組み込んだものだとも言えますよね。



―うん。でも社会によって定義された「こういう人がいい人ですよ」という像自体も、社会という確かな主体はないわけだから、あくまでも何か想像上の産物なんですよね。



そうですよ。だから主体というか、形がないもの、実態のないものに縛られているわけ。



―ほう。



だからそれを間主観的とか、世間とか言いますよね。人間というのは、人なのか人間なのか。



―おお。それは面白いですね。「人」という存在と「人間」という存在はちがうよと。



うんうん。



―ちなみに間主観的ってどういうことなんですか?



間主観っていうのは要するに、主観と主観の間を見ているということですおy。



―どういうことです?



だから人と人との間を見るという意味です。他者と自分とのやりとりの中から自分の生き方を見つめるような。そういう見方のことですよ。



―相手を見て自分の生き方を見つけるわけでもないし、自分を見て自分の生き方を見つけるわけでもないと。



そう。誰かと自分との関係というものを見ながら、どう生きるべきか、どうするべきかを決めていくというかね。これは、現象学という学問かあ派生した社会学の取り組み方のひとつですよ。



―観察する学問ですね。



そうですね。



―そして、人と人との間を見ながら生きているのが人間であると。



そうそう。



―ふーん。じゃあ間を見ていくというのは、誰かとコミュニケーションを取ったりすr時にはすごくいいことなんだけど。



うん。



―でも間ばかり見ていると、本当に変なしがらみというか、縛りに縛られて、がんじがらめというようなことが起こる可能性もありますよと。



そうですね。



―じゃあ、間主観的に見るって、あまりいいことでもないんですかね。



いや、いいこととか悪いこととかじゃなくて、そういうひとつの社会学だからね。



―なるほど。



※欲望を限るとビジネスが伸びる



欲望を限るというお話が出てきました。これはビジネスをする上でもとても大切なことだおt思います。実は私のところへビジネスおnご相談にいらっしゃる方は、だいたい売上を上げるとかお客さんの数を増やすという目的を持たれていることが多いです。そこで私は相手の社長さんやご担当者さんに最初にお会いした時には質問をすることになります。「売上をいくら上げたいんですか?」と。



すると社長さんやご担当者さんが答えます。

例えば「利益を1億円増やしたいんです。」という具合です。

そこで私が「1億円でいいんですね?」と聞くと、「いや、できるならもっと」という答えが返ってくる。

「じゃあいくらにしたいんですか?」と聞くと、「いや、延ばせるなら延ばせるだけ」という事和えが返ってくることが実はとても多いのです。でも、これではなんのアドバイスもしようがないのです。



というのも、例えば今の年間の利益が10億円の会社があったとして、その会社が利益を1億円伸ばしたいというときと、その会社が利益を30憶円のばしたいというときとではとるべき方策はまったく違うはずだからです。マーケティング上の仕掛けや販促の方法も絶対に違う。



でも、伸ばせるだけ伸ばしたいとカン上げているとそういう事実には目が向かなくなってしまいます。その結果、あわよくばうまくいくのではないか」という期待だけを持って走り出してしまう。もりとん、あわよくばという期待を持つのは一時的には楽しみかもしれませんが、結果としては獲らぬタヌキになりがちです。

そして同じような例は多くのコンサルタントさんにも当てはまります。



私が色々な出版社さんからの依頼で書籍の販促をしていることから、本を書いているコンサルタントの方々が私のところに自分が書いた書籍の販促の相談に来てくださることも多いのですが、そのほとんどの方が「自分がコンサルティングサービスを提供する時に請求する価格」を自分のホームページや会社説明のパンフレットに書いてないのです。こうしたコンサルタントさんたち、もしくはコンサルティング会社さんが自分たちのコンサルティングサービスの価格をホームページなんどに書かない理由は、ふたつあります。



ひとつめは、予算御多い企業さんからは「最大限の支払い」を引き出したいから。

ふたつめは、よさんが少ない企業さんもなんとかお客さんとしてとりこみたいから。この二つの理由から、自分たちのコンサルティングサービスの価格を提示しないおkとになるようです。



ところがお客さんからしたら、価格が書いていないサービスに問い合わせや申し込みをするのはやっぱり躊躇するわけです。そうすると、コンサルタントさん、コンサルティング会社さんが受け取る問い合わせの数は少なくなるし、その結果、コンサルティングサービスの依頼を受ける件数も少なくなる。



つまりこのコンサルタントさん、コンサルティング会社さんは、自分にとって良かれと思ってやっていることで、かえって自分の首を絞めていることになります。ところでそもそもコンサルタントという職業は、クライアントさんの利益や売上が上がってはじめて評価される職業だと思います。であれば、自分のところに入ってくるお金の額をいかに吊り上げるかと考えるよりも、さっさと仕事に着手してクライアントの業績を上げることに集中したほうが自分の事業にとっても効率がよくなるはず。



もちろん、最初から価格を提示すれば予算がある相手からも「その相手が出せる予算いっぱいの額」は引き出せないでしょう。もちろん、最初から価格を提示すれば予算がたりない相手からは問い合わせすらもらえないでしょう。でも、きっと問い合わせをしてくださる相手はいるはずです。そしてその時には、自分たちが提示した価格を祓ってもらえるかどうかという心配はしなくてもいいはずです。その結果、清々と自分の役割を果たすことに集中できるのではないかなと思っています。



あわよくばという「よくばり心」を捨てて、欲望を限る。こうすれば、階段を一歩一歩上がって行くように伸びていくことができる。



・明確な目標を設定するおと。

・そして、そこからブレないこと。



このふたつの内容をセットにして「欲望を限る」と言っているわけですが、階段を一歩一歩上がっていくような、そのようなやり方で安定して進んでいくビジネスもあるのだと思います。「欲望を限る」というとなんだか悟りの境地のように聞こえますが(笑)実際にはより安らかな気持ちで発展していくための方法である。私はそう思っています。


日本人はービジネス編ー3、4―もう少し日本を考える

2021-01-05 04:32:16 | 日本人はなぜうまくいくか
3、日本人の発展の力学3章―もう少し日本を考える
3、もう少し日本を考える



150gの重い脳?



日本の文化ということでいえばね、そこにはやっぱり国土が狭いという制約があったのではないかと。だから国土以外のものを広げなければならなくなったというね。



-え、なんですか、国土以外のものって?



だからそれが意識というかね。意識の広がりにつながっていくという。さっきも言ったように、脳の発達のしかたが対立を超えた方向に向かうようになるとかね。これは意識の広がりですよ。



-意識の広がりでうか。わかるような、わからないような(笑)



ある研究では、日本人の脳は平均して他の民族よりも150g思いということをいう大学教授もいるし。



-うん・・・。僕にとってはそういう研究って、もちろん実際に数字が出ている以上はちゃんと研究されているんだとは思うんですけど、日本人が提唱している理論である以上、なんか判官贔屓に聞こえる部分があるんですよね。



(笑)一條さんのスタンスというのはいつもそうですよね。



―いやー単に、思い込みみたいな情報を宛てにしちゃうと、「ごめんごめん。やっぱりさっきの間違ってたわ」と言われたときにどうしようもなくなるから(笑)ビジネスの世界だったとしたらそれで会社がつぶれても誰も助けてくれないですからねぇ。



まったく正論ですね。



―まぁ、僕に限って言うとそう思うんですよね。そんな話は置いておいてですよ(笑)

そういう「脳が重たい」と言われている他の民族はいないんですか?例えば日本語とおなじように、1万年を超えて使われ続けている言語を日常語にしているポリネシアとかあるじゃないですか。彼らの脳も重くなっている可能性はあるんですか。



あるんじゃないかと思いますよ。東京医科歯科大学御の角田忠信という先生は「ポリネシア人の発送は日本人と発送と非常に近い」と言っています。もう40年くらい前にね。



―ふーん。じゃあもし仮にですよ、日本語と同じような母音優位の言語を使っているポリネシア人も同じように脳が思いと家庭すると、対立を超えた方向に意識が無垢のは、母音優位の言語を使っているからだということになるかもしれない?



その可能性はあるかもしれませんね。



―僕、なんかものすごくあてずっぽうなこと言ってますけど(笑)根拠はないです、もちろん。



(笑)でもけっきょく、母音が中心になっている言語は階層性という観点で見た時にわかりやすいんだと思いますよ。



―階層性がわかりやすい?



そうそう。音声学的に言えば、「あいうえお」という五つの母音は全部、「あ」はずっと「あ」だし、「い」はずっと「い」だし、「う」はずっと「う」だし、「え」はずっと「え」だし、「お」はずっと「お」でしょう。



ーえ?音って全部そうじゃないんですか?



ちがいますよ。日本語dめお最初の音hあなんであれ、最期に「あいうえお」のどれかに変化していくでしょ。



ーああそうか。子音と母音の組み合わせだから。



そう。



―先生流にいうと子音と子音と母音だけど。まあ、例えば「か」というと最初は「K」の音から始まるけど、すぐに「あ」という音に切り替わっていっちゃうと。



うん。母音の階層性が非常にはっきり出るでしょ。



―そうですね。でも、階層性がはっきりしていると何かいいことあるんですか?



階層階層性がはっきりすると、音と言葉の意味が湧けやすいというのかな。音が分けやすいから。



―ほう。



分けることができるというのは、何かを理解しようとするときにはとても大事なことだからね。ほら、物事がわかるというのは、「分かる」だから。分けることができるということが理解につながるということですよ。昔から「事分ける人」というでしょ。



―なるほどね。「あかさたな」と「いきしちに」は明確に違うよと。



そうそう。母音がはっきりしていると、言葉の分類が非常に明確になるでしょう。



―確かにそうですね。



そうやって分けていくと、最期には周波数にまで落とし込むことができると。



―そこにつながるわけですか。



うん。だからロゴストロンという機械になった。



※フランス語でもベンガル語でも



―ロゴストロンという機械に戻るとですねあれは周波数の発信器ですよね。「言葉によって脳の中に起こる周波数」を人工的に発信する機械ですもんね。



そうです。



―それで、発信する周波数を確定する時点では、母音と子音と父音に音の要素を分解して、それぞれの要素が脳に到達したときに脳の中で起こる反応というか、波を切りだしたわけですよね。



そうです。



―ということは、今や、あの機械で周波数を発信する対象になる言語というのは、日本語じゃなくてもいいわけじゃないですか。



そう。英語でもフランス語でもベンガル語でも大丈夫。



―今やそういう状態になったわけですけど、あの機械ができたもとのきっかけとしては、日本語があったから開発しやすかったんだということですか?



そうだと思いますよ。



―なるほどね。今となってはもうどの言語でも関係ないけど、最初にあの機械の設計というか、コンセプトが生まれたもとには、日本語という言語どう発信するかという思考があったと。



そうです。だから、それこそ前の本に書いた話だけど、韓国の学者さんが日本人のことをうらやんだという話があったじゃないですか。



―はい。



日本人がノーベル賞を比較的多くとれてきた土台には、科学や化学のテーマを母国語で考えることができるからだという話。あの話と似ているとも言えますよね。



―はいはい。日本語が研究の対象だったから、音を切り分けて、その音御影響を周波数として切り出すという糸口もみつかったと。



そうそう。



―ある意味で、ヘボン式ローマ字もものすごく役に立っているわけですよね。



そりゃあもう、すごく助かっているわけです。



―じゃあヘボンさんに感謝しないとね。



本当に。



※ダジャレの効用



―日本語の特性というとね、先生。前の本でも書いていらっしゃいましたけど、同音異議語がものすごく多いという特性もありますよね。



はい。



―先ほども、「あめ」という音が「雨」か「天」か「飴」かを瞬時に判断しているというような話がありましたしね。



はい。



―そういうね、同音異議語というと、先生も僕も、ものすごいくだらないダジャレをいつも連発してるじゃないですか?



僕のはくだらなくはないですけど(笑)



―(笑)あのダジャレというのは、日本語の特性があるからこそ出てくるわけですよね。



そうですね。僕がね、ダジャレをいっぱい言ってみてわかることは、ダジャレを言うときには一回頭の中を探しているんですよね。



―うん。



ダジャレを言うときには、まったく同じ音で、まったく違う意味の言葉を検索して探しだして、そしてそれを発生するなり、書き留めるなりして持ち出す。脳の中ではそういう操作をしているわけです。だから脳は同時に二つ以上のものを認識しているというようなことになる。



―ダジャレの内容はくだらないのに、脳的にはとっても高度な作業をしているという(笑)



そうそう。それでね、同音異議語が多いというのは、もともとの日本語の特性でしょ。



―はい。



ということは、日本語を使っている日本人であればだれでも、無意識のうちにこういう操作をしている可能性がある。



―なるほど。



だから、人の気持ちもなんとなくわかっちゃう、というのはあるのではないkたお思うんです。日本jんは。



―どういうことですか?



つまり、同時に二つ以上のことを考えてしまうというか。同時に二つ以上のことが浮かんでしまうと言ったほうが近いかな。というのも、日本人は同じ音で意味が違う言葉に、毎日毎日たくさん触れているわけでしょう?



―はい。



そうして毎回そういう言葉を耳にするたびに、今の一連の音のつながりはどの意味の言葉を表しているのだろう?というようなことを考えるわけですよ。複数ある同音異議語の候補の中かrぁ適切なものを選びとらないと、会話が通じなくなるからね。



―うん。ある意味、脳は必死ですよね。



そうそう。日本語を話している日本人であればずっとそんな暮らしを続けているわけですから、同時にふたつとか三つとかのことが脳の中に浮かんでくるのが普通になっていると思うんですよね。



―はい。



そうすると言葉以外のこと、例えば相手の近所地とかね、そういうものに対しても複数の可能性が浮かんでくるようになるのではないかと。



―ああ。別に相手のことをわかろうとはしていないけど・・・。



なんとなくわかっちゃう。相手が自分と違う意見を持っている人であったとしても、その人の意見を共有した状態で自分の中にあるという。



―ある意味、ダジャレの効用ですね(笑)



これはすごいことですよ(笑)



※ダジャレオンパレード小説「フィネガンズ・ウェイク」



―ダジャレということで言うと、日本語の音の多さというか表現の多さというのもダジャレに一役かっていますよね。



そうですね。ダジャレの範囲は同音異議語だけではないんでね。そのひとつの音がひっくり帰ったりするだけでナンセンスな意味になったりしますからね。



―うん。



アイルランドにね、ジェイムズ・ジョイスという小説家がいたんですけどね。彼が書いた「フィネガンズ・ウェイク」という本があるんです。



ーほう。



これはダジャレのオンパレードの小説なんです。



―あ、小説なんですか。



これを翻訳するのはもう、大変という話ですが、日本語ではそれが比較的スムーズにできたという話がある。



―どういうことですか?



だからそれは、そのダジャレを、音に非常に近いところでもって、なおかつ意味を残したまま翻訳できたということです。



―翻訳する時に、例えば意味だけを追って翻訳していくと、もう音の面白さがなくなるし、かといって音だけ拾っていくと、意味が全然通じなくなるということが起こりがちだけれど、日本語の場合は比較的、意味も音も両方面白さを残したままで翻訳できたということですか?



そうそう。



―なんでそんなことができたんですか?



それは日本の文化の中にダジャレの文化があったから。



―え?そこですか?語彙が多かったからとか、そういう話じゃないんですか?



もちろん語彙が多いというのもあるし。



―それに加えて、ダジャレはダジャレとして理解できたということ?



そうそうそう。だからダジャレを構築する時に、その意味と音がわかれば、それに見合った翻訳をつくれるっていうことでしょ。もともとのオリジナルのニュアンスを崩すことなしにね。



―意味と音の面白さを理解できさえすれば、同音異議語の引き出しはいっぱいあるよと。



そう。これは日本語の大きな特徴ですよ。



―なるほどねぇ。



※言霊研究なんてダジャレみたいなもの?



ダジャレというとね、日本語というか、言霊といわれる内容の研究自体がダジャレのようなものだとみなされてきた経緯もあるんですよ。



―どういうことですか?



つまりね、「言霊研究」と呼んだ時点で学問的な研究として評価を受けられない。言霊というのは言葉遊びのようなものだと思われてきたわけです。



―そうなんですか。



うん。だから研究する人は多くはなかったのかなと思うんですけどね。だからいっそう、信仰みたいになっちゃったという経緯はあるかもしれないですね。



―ん?でも今でも言霊に関する本とか、よく出てるじゃないですか。昔から「言霊大全」みないなほんもあるし。



まあね。



―ただ僕が見ていると、そういう本の多くは著者の方の私感がすごく強かったりしますよね。だから学問としては認められないだろうなと思うところがやっぱりあるわけで。なんでなんでしょうね。なんでそこから抜け出せないんですかね。



それはたぶん、音そのものを取り上げるからじゃないですかね。



それはたぶん、音そのものを取り上げるからじゃないですかね。



―ん?「あ」はどういう意味で、「い」はどういう意味だというところにこだわってしまうということ?



そうそう。まあ、「い」が「いのち」の「い」であるとかね。そういう理解をすること自体は別にかまわないと思いますけどね。ただそういう神秘的なものは何もないというのが僕の思うところだけれど。



―今の多くの人が言葉について語る時に、よりどころにする学問は言語学だし、切り口は実際の音としての言葉だと。



そうそう。



―でも違う角度からアプローチしてみると、言葉の音を聞いた時に脳の中で起こる反応をどう再現するかという方法もあるのではなかろうかと。



そうそう。



―そんなことも考えられるよと。



そう思うんだけどね。



※カントと日本語とバイリンガル?



―そういえば先生はそもそもなんで言葉、日本語というものを研究しようと思ったんですか?



うーん。日本語を研究しようと思ったというか・・・。ナレッジモデリングという手法をね、ソフトウェア開発の分野で行っていた時に、当然、日本語を使うわけですよ。だから知らず知らずのうちにね、考えていたのかもしれない。



―でも、そうやって突き詰めてきう人は多くはないですよね。



まあ、それは哲学的に言うと、カントの言う先験的理解があるからでしょうね。



―先験的理解?



うん。日常で使っている言葉をわざわざ考えないというかね。「あ」という音があって、自分が「あ」という音を使っている状態で、なんで「あ」は「あ」なんだろうということは考えませんよね。普通は。



―確かに。



だから、言語というのは非常に面白い性質を持っていて、一回学んでしまったらその内容について考えてみることがなくなる。その言語の存在が当たり前だと思っちゃうんでしょうね。



―その言語の存在が当たり前だと思う?



そうそう。これは別に日本語に限った話じゃないですよ。英語圏の人だったら、たいていの人は、何か大きな脳の病気でもなければ、普通に英語が話せるようになるでしょう?



―まあ、そうですよね。



そうすると英語を話すことが当たり前になるから、英語自体への疑問というか探求心というのは持ちにくいですおyね。



―なるほど。



だから、言語を獲得するプロセス自体が、言語への興味を維持させないようにしているというかね。



―うーん。



人間の言語脳は構造的には、どんな言語でも学べるようにはできていると思うんですよ。けど、いったん学べちゃうと、それがどうして学べたのかっていうことをいちいち考えないでしょ。要するにただ使っているだけの話になる。バイリンガルの人が、なぜ自分が2か国語を話せるのかを自分で考えたりはしないということですよ。



―もうそこにあるものが当たり前あから、それがなぜ当たり前かを考えることもしないと。



そうそう。



―だから考えも堂々巡りをして、最終的には「まあ日本語だからねぇ」みたいなあいまいな結論に行き着いちゃうというおとですか?



そう思いますよ。



―先生はなんでそこから抜け出たんですか?



え?いや抜け出してはいないけど、それでも「あ」はなんで「あ」なんだろうかと、一生懸命考え続けたっていうことですよ。



―ふーん。それって特殊ですよね。多くの人が言葉についていろいろ考えてるけど、そういう細かなというか、具体的なところにはなかなか行き着かないですよね。



うん。確かに。



―だから「なんか、日本語ってすごいんだ」みたいな結論で終わっちゃうじゃないですか。



そうそうそう。僕は全然、日本語が特別だとかは思わないわけだけど。ただ、要するになぜ「あ」は「あ」でなければいけないのか。「い」が「い」でなきゃいけないのかっていうところを考えていったてことでしょう。



―ほう。



そうしていく中で、「い」だったらさっきも言ったけど「いのち」の「い」であるとかね。そんな取って付けたようなことをいっぱい見つけていって。最後には自分で「こういうことかな」と納得するっていうことでしょう。「い」は「い」だということをね。



―え?何を納得するんですか?



「い」は「い」だということをですよ。



―なんだか、すごく哲学的ですけど。



うん。だからね、そういう納得というか理解を、ちょうど「悟り」のようにできるかどうかということが言葉を理解しようとするときにテーマになるわけです。



―ますます難しいですけど(笑)



うーん。例えば「あー」って言った時に「あー」の音というか言葉の意味を体感できるかというね。本当に「あ」が持つ感情や情緒を自分の感情や情緒に対応したものとしてかんじられるか。感じ取れるかという話なんですけどね。



※音を使って世界をつかむ



―うーん。わかったような、わからないような。



うん。だからそういうのは、修行ほうほうがあるわけですよ。「あ」とか「う」というものを本当に自分がわかったとわかるための修行ですね。それはいわゆる言葉についての悟りのようなものですけど、そういうものが日本にはあるんです。例えば宮中なんかにもそういう伝統があって、そういう言霊の「奥伝」を許された人には奥伝書という証明書が渡される。あなたは確かに「あ」を理解しましたよ、ということが証明書として渡されてきたんですね。



―ふーん。秘伝みたいなもんですか。



そうそう、秘伝を受けた。だから悟りっていうのはそんなもんでしょう。「あ」というのは、「あ」なんだと。



―そういうのは理屈で力アするものではなくて、体幹というか体得するものだということですか。



そうそうそう。その音によって感じる全身の揺らぎを、全身をもって感じるというような意味ですね。



―なるほどね。でも一方で、そういう体験をしちゃった人はしちゃった人でまた、別の意味でにほんごを掘り下げようとはしないはずですよね。自分の中ではもうわかっちゃってるから。



そうですね。



―なのに先生はなんで堀り下げようと思ったんですか?



だから哲学が好きだったからでしょ。だからそういうものを土台にして、何かを考えるということをやろうとしたから。そうしたらまた違った世界が見えてきたという。



―違った世界?



うん。だから、世界中にあるホーリーワードみたいな声音というか。例えば「オーム」という音があったりするでしょう?そういうものもみんな同じですけど、そういう音を使って世界をつかもうとするという取り組みはいろんなところでされているわけですよ。



―音を使って世界をつかむ?



世界をつかむというのは、世界を理解する、体幹として理解するという意味ね。



―ほう。



密教では梵字というものもあるし、真言というのもあるよね。例えば大日如来という存在を表す梵字はこういう字だとかね。それと同じようなもんですよ。そういう音を発していると、その存在が発しているのとおなじような振動が出るとかね。そういう修行法もあるわけですよね。



―真言密教ですよね。



うん。だから「真言」って言うんですよ。本当の言葉という意味でね。



―正確に言うなら、真実の音って言ったほうが近い?



おー、そうだね。真音。



※宗教的な悟りとは何か?



―ちょっと話は戻りますけど、言葉はなんで対立構造から成り立っているんですか?



それはわかりやすいからじゃないですか。



―わかりやすい?



そう。



―うーん。例えば、誰かが今の自分の状態を表現しないといけないとするじゃないですか。



うん。



―その時に例えば「気持ちがいいな」と言った時には、気持ちがいいという概念を相手に伝えるためには、お互いに「気持ちが悪い」という概念も知っていないといけないということなんですか?それが言語の構造として織り込まれていると。



そうです。例えばね、身体的に言うと「快」と「深い」という状態が考えられるでしょ。そうするとたいていの人は、快という状態のほうが不快という状態よりも良いと考えますよね。



―そりゃそうですよね。



じゃあ、人間の身体にとって一番いい状態というのはどういう状態かと考えると、これは「快」という状態ではないわけですよ。



―え?違うんですか?



うん。一番いい状態というのは、実は人間が快でもなく不快でもない状態なんです。



―ほう。



つまりね、心地よく暮らしている状態というのは「ああ、心地よいなぁ」ということを感じながら暮らしている状態ではなくて、何も感じていない状態であるということですよ。



―どういうことですか?





―だからね、自分が健康だと感じるってことは「自分は不健康だ」という認識がまだひっついている状態だと言えるわけ。だから一番いい状態というのは健康でもないし不健康でもない。快でもないし不快でもない状態を感じている状態だと言えるわけ。変な言い方だけどね(笑)



うーん。



―例えば、誰かが熱を出すと「自分は不健康だ。熱がある」と認識すると。



うん。



―そのあとで熱が下がっていくと、「ああ、健康になった。よかったよかった」となると。



そう。



―その熱が下がってからしばらくは「私は健康だ」と思ってるんだけど、2、3日もすると熱が出てたこととかすかり忘れちゃって、ただ普通員過ごしていくと。l



そうそう。そういう、ねつが出てたことをすっかりわすれちゃっている状態というのがね、快でもなくて不快でもない。この状態のことを「憶」と言ってるんですよね。



―憶ですか?



そう。これは学問的な定義ですけどね。三木成夫という先生が言っていることでね。「生命形体学序説」という本にも書いてあります。



―なるほど。



だから「快」とか「健康な状態」ということは、絶えず反語とセットになっているでしょう。つまりそういう状態を感じているうちはまだ本当の意味での「健康な状態」とか「快い状態」というわけではないということになる。



―ああ。定義としてね。



そう。だから本当に調子のいい状態というか、「快い状態」「健康な状態」というのは、快とか「健康」だとかいうことすら感じないでいる状態ですよということなんです。



―なるほど。



それでね、この発想法を使っていくと、宗教的な悟りというものも全部説明がつくんですよ。



―え?どういうことですか?



つまり、対立概念を超えたところに意識を持っていくことができるということです。



※対立概念を抜ける「道」



―対立概念を超えたところに意識を持っていく?



さっきの例で言えばね、快と不快というのは対立概念でしょう。とろこが「憶」というのはそういう対立概念からぬけちゃってますよね。



―うんうん。



だから、今は「快」と「不快」の例だったけれど、「善」と「悪」という対立概念の先にも「善」でもなければ「悪」でもない概念が生まれる可能性があるでしょう?



―理屈的にはそうなりますよね。



そうそう。つまり、そういう概念をつくっちゃうということですよ。「善」でもなければ「悪」でもないという概念を。



―それは簡単に言うと「善」といわれる状態が続いている状態なんですかね?



それは違いますね。「善」を超えたところにある概念だからね。



―ああ、そうか。「善」という認知を超えたところに移動しちゃうわけだから、「善」という認知はもう怒らないということですか。



そうそう。



―この概念ですけど、なんて呼ぶんですか?



僕はそれを「道」と呼んでいますけどね。



―道。



うん。だけどね、呼び方は何でもいいんですよ。



―ほう。ということは「道」というのは、「善」と「悪」の対立概念を超えたところにある概念に対する七沢先生流の呼び方ということですか。



そうそう。それで「快」「不快」の先にあるのは「憶」。「善」「悪」の先にあるのは「道」。「好」「嫌」の先にあるのは「効」とかね。こういうふうにして、対立概念の先にある新しい概念をつくっちゃう。そうするとね、対立概念から抜け出すことができるわけでうしょ。



―なるほど。



※愛と憎しみの果ては?



例えばね、「愛」という概念とそれに対立する「憎しみ」という概念があったとしますよ。この時に一番いい状態というのはずっと「愛」の中にいることではないでしょう?



―そうなんですか?「愛」と聞くとよさそうなんだけど(笑)



「愛」という概念は「憎しみ」という概念を伴っているからね。「愛」という概念を思い浮かべる時には「憎しみ」とか「愛さない」という概念が選択しとして浮かんでいるということですよ。



―なるほどね。まぁ、その概念をなんと呼ぶかはたいして重要ではないんだけれど、大事なのは「愛」と「憎しみ」という二項対立から抜け出した概念を持っていることで。



そう。



―そういう場所に自分を置いておくと対立に飲み込まれないよと。



そうそう。



―さっきの話に戻りますけど、こういう発想法を使っていくと、宗教的な悟りも説明がつくんですか?



うん。いわゆる「悟り」というのは宗教的な情緒のことでしょう?



―宗教的な情緒?



そう。情緒的なものだと思うんですよ。実際には、身体的な悟りの部分もあるわけですから。



―「身体的な悟り」ですか?



うん。だからそれが「憶」という概念の中にいるということ。



―ああ。なるほど。悟りというのはある意味、「快」でもなければ「不快」でもないところというか、そういう対立概念を超えたところにいることであると。



そう。



―ということは、情緒的な階層でもそういう対立概念を超えたところに行き着くとことはできると。



そう。そして、その状態に達したことをもって「悟った」と言うのだと思うんですよね。



―なるほどね。じゃあ、いわゆる仏教の修行をしている人たちが「悟った」とか「悟れない」とか言っているところと実際の悟りの状態は違うのではにかと。



まぁ、本人じゃないと違うかどうかはわからないけどね。僕が言えるのは、悟りの構造というのはこういうふうになっているのではないかと思いますよということです。



―ということなんですね。



はい。



―不快ですねぇ(笑)



(笑)

4₋日本人の国の在り方4章―神道作法と「国の在り方」
4₋神道作法と「国の在り方」



※イザナギ・イザナミの物語



―先生は「コミュニケーション・プラットフォーム」を作る研究をずっとしてきたというお話でしたよね。



そうですな。面白いことにね、コミュニケーションというおとで言うとね、コミュニケーションという言葉の日本語の訳はないんですよ。



―ないんですか?



うん。だって「コミュニケーション」といっちゃうからね。



―確かに、。だけど、コミュニケーションというのは、どの人種であろうと必要なものですよね。それを定義する言葉が日本語の中にないというのは、本当に不思議ですけどね。



うん。僕は「呼応」という言葉が一番近いんじゃないかと思ってるんだけど。



―呼応ね。



うん。というのはね、神話のはじめのほうで国生みという部分があるでしょ。



―はい国生みね。



うん。そこで、イザナギとイザナミが呼び合うわけですよ。イザナミが「あなにやし、えをとこを」と言って、それを受けたイザナギが「あなにやし、えをとめを」と返す。そうしたら水蛭子が生まれる。これではいかんということで、今度はイザナギが先に「あなにやし、えをとめを」と呼び掛けて、イザナミが「あにあにやし、えをとこを」と返すとちゃんとした子供が生まれた。



こういう記述があるわけですよね。これは呼び合いですおy。だからコミュニケーションという意味で言うと、呼応という言葉が近いんじゃないかと。



―なるほどね。ちなみに、イザナギ・イザナミの国生みで言うとね、まず最初に水蛭子が生まれるじゃないですか。



はい。



―あの水蛭子というのは、何かのシンボルだと思うんですけど、そのシンボルは何を表しているんですかね?



それは「呼び合いは女性から初めてはダメだ」というメッセージですよね。



―ほう?



ある時期に女性主導の文明から男性主導の文明に転換したということでしょう。



―なるほど。そうするおt、イザナギ・イザナミの物語というのは、文化規範を伝えるための物語であるということになりますよね?



そうですね。



―そう考えると、卦局神話というものはひとつの教訓としての「におhんむかしばなし」に近いようなものであると。



うん。そんなおとぎ話と同じですよ。要はその謎が解ければなんてことはないというね。言葉がそういう謎だったというのは、私の先生たちもよく言ってたことだしね。だから全部謎解きをしていったという。



―そこだけ聞いていると身もふたもないですね。



そう思いますけどね。でも言葉なんていうのは、もともとそういうものだといいうか、言葉の研究という謎を解いていくようなものであるわけでね。それを神秘化して、信仰にしようとした試みもあったということですけどね。だから、文学的な意味の美しさというようなものを言葉の研究の主眼に置く人もいれば、言霊というような神秘性に主眼を置くという人もいるという。まぁ、いろいろな階層があるということですよ。



※伯家神道のベールをぺろり



―神話というものを神秘的なものだととらえることもできるし、言葉の謎解きの大正だととらえることもできるおyと。



そうそう。



―じゃあ、先生がやっているような神道の作法というのはどうなるんですか?伯家神道の修行は。「おみち」と言われている内容ですけど。



だから、あれも自然の中にある種の働きとコミュニケーションする作法ですよ。



―コミュニケーションの作法?確かに先生はずっと「あれはただの作法ですよ」と言ってますもんね。



うん。作法です。



―じゃあ、簡単に行ったら、そこにタンポポの花が咲いているのを見た時に「わー、きれい」と手を広げたとしたら、それが自然とコミュニケ―ションしたということであると。そしてそれを再現するために、こんなふうに手を広げてみましょうと。そうしたら、その情動が再現されますよ、という感じに近いんですか?



まあそうですね。だから宇宙というか、自然界の働きがあるでしょ。そういう働きを自分の身体を使って疑似体験できるというか、疑似体験するための作法というかね。体験できるというのが、この「おみち」の良さなんですね。だかあそれはある意味、相撲部屋の稽古みたいにやればいいんじゃないかと思うんだけど。



―相撲部屋の稽古。



うん。「みんあ、早く来い。稽古するぞ!と言ってね(笑)ゲーム感覚で楽しんでやればいいと思うんだけど。もともと相撲だって本当は神事ですからね。あれもひとつの作法ですよ。



―なるほどね。



それと同じように、身もふたもないようだけども、その「稽古」の中でそれぞれの人が、例えばある種の自然の働きを体感できれば、僕は絶対に楽しいと思ってるんでしょうよ。



―その「おみち」という作法を行っている間に、個人には特定の自然の働きに呼応するような動きが出てくると。



そうそう。身体が旋回したりね。まぁ、あんまり詳しく話すとね、これから「おみち」を体験する人が先験的理解で縛られちゃうといけないから話さないけどね。



―うん。でもそういう身体的な動きというのは、個人個人で違っていて当たり前だということですか?



うん。そうなんだけどね。でも、実際にはある特定の働きが疑似的に人間の身体の上に起こる時には、本当に動きが似ているんです。あれは人間業じゃない(笑)だから面白いわけですよ。



―人間は完全に受け身ですもんね。



そうそう。だからね、人間の形をとてね、例えばこうしてペコリと礼拝するという作法にはなんの意味もないと思うんですけどね。そうではなくて、自然のはたらきが人間の身体を使って現れるところに非常に不思議な感じがしますよね。



―なるほどね。かといって多くの人が考えているような神業でもないわけで、あえて言うなら自然業なんですか。



うん、だから、そういう自然の働きもあるし。今度はそういう、いわゆる神話の紙と言っているようないみIの働きもあるんですよ。



―階層的ですね。



そう、階層的。だからこれは面白いところですよね。



―難しいですね。ついつい、どっちなんですかっていう話になりがちですからね(笑)



(笑)



※柏手と右脳の錐体街路系



―人為的な礼拝というのには意味がないという話になると、例えば柏手を打つという行為にも意味がないということになりますよね。



うん。柏手だったら、だからそういう存在と自己がただ一つになるというような。一つの動作ですよね。



―その動作をすることで、今何かひとつになったと自分が思うためのトリガーみたいなものですか?



思うというか、そういうこと自体も言わないけども、パンとやった時に、ひとつだと体感するというような。



―うーん。深いな(笑)



うん。だから言語じゃないんですよね。簡単に言うと、いわゆる人間の右脳の錐体外路系の感覚というものを入れやすいということですよ。いわゆる「憶」というか、悟りというようなことも同じでね。それを簡単に自分のものにできる作法体系だと理解すると良いと思うんですよね。そういうひとつの身体動作と。



―作法に従うだけで、特に努力もいらないしと。



ええ。



―それこそ僕なんかだったらビジネスの世界にどっぷりですから、自分の自由度を上げるために例えば意識して「欲望を限る」というような取り組みをするわけですよ。



ほとんどの人はやってないけどね(笑)



―まぁ、なんとも言えませんけど(笑)ただ、そういう意識的な努力というか取り組みをすることなしに、そういう状態を体感することができるというのはいいですよね。



うん。とてもいいと思うんだけど。しかも体感は自分の中に残るからね。いったん経験した感覚はなくなっていったりしないから。だからそこが本当に面白いところなんだけど(笑)



※生きとし生けるものを背中に背負う



―先生、「おみち」の話をしている時って、楽しそうですね(笑)



そうですか?じゃあ一條さんがビジネスの話をしている時と同じですね(笑)でもね、今やそういうものを個人個人が体感する時が来ているんじゃないかなとも思うんですよ。国というものを個人が感じられるというかね。



―国ですか?



うん。そういう作法に従ってみると、みんなが国を感じられると。実際にこの「おみち」の作法というのは、天皇が自分の背中に生きとし生けるものすべての存在を乗せているというような感覚になるための作法なわけですからね。それが国体ということですよね。



―国体?



そうそう。国の身体。



―なるほど。



今はほら、政治家も含めて、日本という国に対する国家間というものが求めらえている時代だからね、こういう体感というのは非常に大切だと思うんですよね。



―だからもうちょっと物事や国を広い目で見て、どういう発展の仕方をさせればいいかというのを冷静に考えたら、また道が開けるでしょうねと。



そうですね。



―もうちょっと広い視点で見てみようよと。



そうです。いや、本当にみんんが住みやすいところに住んでいればいいんじゃないの、ということになればいいんですよね。



―広い目で見た上でね。



そうそう。だから、いわゆるワンワールドという思想が悪いわけじゃないんだけど、支配のためのワンワールドという意味じゃなくてね。生きている人たちみんんが自由に平等に、あるいはひとつの社会が安定した形で生きられるという方向性を目指していけばいいんじゃないのかなと思うんですけどね。



―スケールの大っきいな話ではありますがね。



まぁね(笑)でも、そうですよ。きっと。



―うん。でもまたその足を引っ張るのが二項対立であると。



そうですね。



―結局そこに戻っていって、そこが解決しない限りは何をやっても難しいという話ですか。



そうですね。まあ、いつも使っている言語自体にも二項対立の要素が織り込まれているわけですからね。



―対立させるように、対立させるようにできあがっているのが、われわれが暮らしている文化だと。



そうですよね。



―面白いですね。まぁそれがわかっていないと、その中から抜け出すための取り組みもできないしね。



そうそう。だから、いいスタート地点ですよ。



―そうですね。



※「国ふり」を考える



―先生、今、国の話が出てきたじゃないですか。で、国の話になると先生はよく「国ふり」って言葉を使いますよね。



はい。



「₋国ふり」って何なんですか?



「国ふり」というのは国の在りようというような意味ですね。



―じゃあそれって、もうすでにあるものですか?



うん。もうすでに日本も含めていろいろな国があるからね。



―ありますよね。



過去にも国はあったらし、現在も国はあるし、未来にも国はある可能性が高い。さっきも少し話したように一方でワンワールドといって、国という形をなくそうという考え方もありますけどね。



―そういう考え方もあるけれど、今までのところ国というのはもうあったわけですし、今もあると。



そう。そういう「国」といわれる存在が世界に200近くあるんですよ。じゃあ国というのは何なんだろうと考えた時に、僕は、社会をまとめている「在りよう」こそが国と呼ばれているものなのではないのかなと思うんですね。



―それって面白い定義ですよね。社会をまとめている在りようというものが国であると。だって今までは、領土なんかが国であるというような考え方だったわけですよね。



そうですね。普通は国家の三要素とか言いますからね。領土と国民と主権とかね。



―うん。そういうとらえ方もあるけれども、社会をまとめている在りようというのが、国であるという捉え方もできるよと。



そう。そして、国の意識が一番拡大された状態というのは、みんんが自由でありながら、もちろんその国の法律もあるんだけど、みんなが喜んでそこで存在している状態楽しく豊かに暮らしている状態だと思うんですね。



―じゃあ国と言った時に「社会をまとめている在りよう」が国なんだけども、その在りようには国民がみんな幸せで喜んで楽しんでいるという在りようの国もあれば、国民が苦しんで嘆いて悲しんでいるという在りようの国もあるわけだ。



うん、そうですね。



―なので国を考える時には、みんんが自由で楽しんでいるという在りように近づけていったほうがよろしいのではなかろうかと?



それがまさに国家の歴史というか、人間がそういうことを求めてきた歴史でもあるわけです。もう何千年にもわたってね。



ーそうか。その中に、その在りようをよりよくするために考えられる方法のひとつとして、領土の拡大という手段もあったということですか?



うん、そうでしょうね。でもね、本当に自分の国を愛すれば、その中ですべてをまかなっていくというか、その中でやっていくことを考えるわけでしょ?



ーえ?そうなんですか?



うん、そうですよ、基本的には。



ーえ?自分の国を愛するがゆえに、愛する存在を裕にするために他から奪おうというんんじゃなくて?



奪おうというんじゃなくて。



ー自分の国を愛していれば、自分の国ですべてをまかなおうとするんですか?



うん、それはそうですね。



―それはちょっと意外なんですけど。だって、そんなこと言っている国を見たことがない。だいたいどこの国でも虎視眈々と、他の国が持っている何かを狙っているじゃないですか?



そうだけどね。でも本当に自分の国のことがわかっていないと自分の国を大事にできないでしょう。だからたいていの国は外に戦争にでるわけだけど。でもそれは、自分たちには何もないから外に出ていくっていうことですよね。



―ほう。



だからイメ、要するに中国も韓国も北朝鮮も自分たちの国を本当に愛していないから、反日という姿勢をとることによって自分たちの存在を保とうとしているのではないかなと感じるわけです。それは日本という国も国として同じことをしているわけですけどね。



―ああ。ほかの国との比較の中でしか、自分たちのすばらしさを見ることができないという?



そうそうそう。



―それで「あの国はあんなに悪いけどウチの国はまあいいじゃないか」という理屈で自分の国のことを良く思おうとすると。



そう。でもやっぱり自分の国のことを良いと思えないから、また違う敵を探すというね。



―ああ。



だから国というものを考える時には、自分たちの国にはこんなにいいところがあるんだということを探す必要があると思う。そうすることによってはじめて国は変わりうるんだというかね。



―なるほど。



ここにはやっぱり二項対立の要素が隠されているわけですよ。自分の国の良さを本当に自覚できないから、相手が悪いというふうに決めつけて、対立構造を作っていくというね。



―でも自分が自分の良さを自覚していないというか、自国の良さを自覚していないということには、人は氣づいていないですよね。僕も含めて。



無意識だよね。



―その根本的な原因を見ないまま、別の問題にすり替えてしまっているというかね。例えば、ウチの国は素晴らしいんだから、それに対立する国はダメだというような理屈になったり。



うん。民主主義はすばらしいけど共産主義はダメだとかね。



―でも実は、その裏には愛国心のなさというか、「自分の国には何かが欠けているんじゃないだろうか」というような感覚があって、それを補うために他者を悪者にしちゃうということですか?



そうそう。国が相手を攻撃する時には、必ず自己の中に不安があるということですよ。



※自分の国の「良いとこ探し」



―それって人間関係でも同じですよね。



うん。だから人間関係も会社たい会社の関係も、家庭の中でだって、全く同じことが言えますねということでしょう。



―うーん。だから愛国心というか・・・。もう愛国心という言葉自体もちょっとおかしいですよね。他の国と自分の国との間意に差を見ようという意識がなければ、わざわざ愛国心なんていう言葉を使う必要はないですものね。



うん、そうですね。だから、日本も含めて、ほとんどの国では「自国の良いとこ探し」というのをしてないと思うんですよね。そんな中でたまに外から「あなたの国のここが素晴らしい」と言われたら「あ、これでいいんだ」t思って、しばらくはそのまま過ごすことはあるんだろうけどね。



―それは別に日本語に限っての話じゃないですよね。外かrあいいと言われたとき、はじめて自分の良さに氣付けるっていうのはね。



そうですね。ただ、自己を意識することがちゃんとできるかどうかは大切ですよ。



―あ、そうかそうか。自分の色眼鏡じゃないところで相手からの評価を素直に受け止められるかどうかということか。これ、すごい大事なことだと思うんですけど。



うん。すごく大事だとおもいますよ。



―うん。というのもね、自分の良いところさがしっていうのがあるんじゃないですか。でも、良いところさが詩をしているけれども、良いところ探しになってないケースがほとんどだと思うんですよ。



うん。



―例えば、日本だったら先生の前の本にもありましたけど、日本小野美しさとか、日本文化のすばらしさというのを再認識しようという運動というか動きがあるわけですおy。



はい。



―けど、日本の文化とか日本語の美しさというようなことを主張している本とか論文とかって、どこか行き過ぎている感じがするんですよ。人種的に優れているとか、能力的にすぐれているとかいう主張もありますしね。もちろん、生物学的な実際の違いは多少あったりするのかもしれないですけど、どうも世の中に出ている情報を見ると、そういう部分をすごく拡大解釈していたりする氣がするんですね。



言いたいことはわかりますよ。



―それって、僕は、自分の国の本当の良さを良さとして認められていない表れじゃないかなと思うんですけどね。例えば女の子が「あなたかわいいね」と言われても、それを素直に受け止められないというような感じですけど。



うん。



―頭では「自分に良いところがいっぱいあるのは知っているよ」と思ってるんだけど、心の中では知らなかったりするというかね。



そうそう。



―うーん。だから、先生の前の本の中の「日本人はうまくいく」という氣十tにしてもね、あの本を読んで「日本には素晴らしい部分があるんだと」再認識できたのだったらそれはそれでよいと思うんですけど。かといって「他の国はダメなんだ」となるというのはね。どうかと思うわけです、個人的にはね。



だから「他はダメなんだ」ということは、自分の奥に空虚なものが横たわっているということでね。その部分をやっぱり埋めていかないと難しいと思いますよ。



―そうですねぇ。



※「自分の良いところ探し」商売繁盛編



自分尾良いところ探しというお話が出てきました。私は毎日のようにどこかの企業さんや会社さんから売上アップや集客御ご相談を頂いているわけdすが、この自分の良いところ探しというのは、売上アップや集客には欠かせない作業です。



ですが、この「自分の良いところ探し」が上手にできている会社さんは多くないのです。なぜこの「自分の良いところ探し」が上手にできないのか。その理由のひとつには自分の商品に商品に対する自分の評価というものがあります。つまり「自分の商品はここがウリだ」という評価を持っている時には、お客さんもその「売り」を評価してくれているものだと思い込んでしまうのです。



ところが、こちらが良いと思っている内容をお客さんも良いと思っているかというのは微妙です。というか、外れていることのほうが多いのです。ということは逆に言えば、お客さんが「良い」と評価してくれている内容と知ることができればビジネス上の成果は大きくなるかもしれない。そんな例をひとつお話しします。



あるグラスメーカーの社長さんからご相談を受けた時のことです。私が社長さんに「お客さんはどうして御社のグラスを買ったのかって聞いたことありますか?」と質問したところ、しゃちょうさんはこうおっしゃいました。





「え?いや、聞いたことはないですけど。うちはグラス屋ですから。きっと飲み物を飲むために買われてるのだと思いますよ」そこで私がまた質問。「うん。でもお客さんに聞いたことあります?」また社長さんが答える。

また社長さんが答える。「聞いたことはないですけど。うちはグラスやですから。きっと飲み物を飲むために買われているのだと思いますよ」そこでこの社長さんにおお願いして、実際にグラスを買ったお客さんに「そのグラスを買った理由」を聞いてもらったのです。



そおn結果。やはり飲み物を飲むためにグラスを買ったという人は多かった。けれど以外にも、美術の専門学校生がデッサンの素材として買ったというケースも多かったのです。さらには、街のお花屋さんが自分のお店で売る花瓶としてグラスを買っていたこともわかった。



飲み物を飲むためのグラスを売る方法と、デッサンの素材としてのガラス製品を売る方法と、お花屋さんのオーナーに商材としての花瓶を売る方法とはまったく違います。結果として、この会社さんが人るの商品だと思ってひとつの売り方をしようとしていた商品(グラス)には三つの売り方があることがわかった。これはひとつの商品だと思っていたものが実は三つの異なる商品だったということと同じです。



このことがわかればあとはそれぞれの”商品”をしっかり反則していけばいい。今ではこのグラスメーカーのこの商品は、以前の3倍以上の売上を上げるようになっています。自分のいいところ探しは自分の中だけで考えるよりも、まわりの人に聞いたほうが早いこともあるかもしれません。もちろん、まわりの人に聞く際には誰に聞くかが大切です。もしもビジネスで自分の良いところ探しをするのであれば、もうすでにお金を払って商品を買ってくれた人にだけ聞くのがコツ。これを徹底すれば、思ってもみなかった「自分の良いところ」が見るかるはずです。



機会があれば。必要があれば。ぜひ、試してみてください。