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田舎ぐらし(133)

ー 兎追ひし彼の山 ー

 

 新幹線、レンタカーを乗り継いで数十年ぶりに生家を訪ねた。車を降り、かろうじて痕跡の残る小道を200メートル程登って家があった所に立った。生家は土台石ひとつ残っていなかった。あたり一面みかん畑になっていた。

 故郷、もう見る影もないかもしれないと微かな不安を抱きながらも、帰ってみたいと思うのが人情である。ただあれから数十年、短い時間ではない。ショックを受けたくなかったら顔を覆った指のすき間から少しずつ向こうをを見る方がいいかもしれない。

 多分オタマジャクシが泳いでいた田んぼや藁ぶき屋根の生家がそのまま視界にはいってくることはない。やはり「ふるさとは遠きにありて思ふもの」(室生犀星 小景異情)。想い出を台無しにする無粋な連中はどこにでもいる。そういう現実を見た時は絵の具と筆を取り出し、頭の中に大事にしまってある記憶をたどって目の前の絵を描き直せばよい。

 ソフトボールをして遊んだ神社、夏休みにふんどしひとつで泳いだ川、ついでに、淡い想いを抱きながら一言も話ができなかった同級生がいたらその子の顔も描けばいい。頭の中には何十年経とうと消えようのない絵が残っている。

 ところがである。今の多くの子は日常の遊びで畦道にしゃがんでオタマジャクシを眺めたり、素足で川に入った経験などない。学校の門を出るやいなや夜寝るまでスマホの画面に指をすべらせている。その脳はオタマジャクシが泳ぐ様、川に入ったときの水の冷たさやどじょうを捕まえた時の手の感触など記憶のしようがないのである。

 「土の上で育つ子供は健全」と言う人があり(倉本 聰 2023.6.24 産經新聞)、さらに、「学童期の養育環境こそが、その子の一生に大きく影響する可能性が高い」とも言う人もいる(子どものまま中年化する若者たち 鍋田恭孝 幻冬舎新書)。

 そうだとすると、今の子が将来社会人になり、定年を迎えた時、ふと望郷の念に駆られることなどないのかもしれない。60歳になった男あるいは女の脳裡を巡るのは何か。見当もつかない。
 
 
 

 

 


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