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徳本行者、一行院にて入滅
(2005-12-31 21:31:12 | Weblog)
一行院が落成した翌年の文化15年(181... -
永世捨世道場 一行院を得る
(2005-12-30 16:15:44 | Weblog)
しかし、さすがの徳本も一日として休... -
各地への教化活動再び
(2005-12-29 14:50:24 | Weblog)
徳本は、江戸再入府以降も、下総、下... -
晩年の偉大なる篤信者となる一橋家に請待さる
(2005-12-19 15:03:26 | Weblog)
文化11年(1814)6月20日、行者ははじ... -
伝通院内に念仏道場を得る
(2005-12-14 14:29:43 | Weblog)
文化11年(1814)5月17日、行者は勝尾... -
二度目の関東下向
(2005-11-28 11:29:42 | Weblog)
増上寺の貫首典海は、この徳本の活躍... -
「郷土化益(凱旋帰国)」とそれをめぐる資料考察について
(2005-11-10 11:29:58 | Weblog)
文化9(1812)~10(1813)年の紀州教... -
紀州徳川家より再び請待受く
(2005-11-07 21:51:03 | Weblog)
徳本が勝尾寺での絶頂期を迎えていた... -
番外編;越前敦賀の西福寺における勧進活動
(2005-10-17 12:43:31 | Weblog)
関東で宗戒両脈を受けた後、関西に帰... -
勝尾寺での絶頂期
(2005-07-17 21:30:14 | Weblog)
伝通院にて宗戒両脈等と相承し、正式... -
江戸で宗戒両脈相承す!
(2005-06-30 22:34:13 | Weblog)
享和3年(1802)、京都鹿ヶ谷の法然院... -
勝尾寺に西国における拠点となる念仏道場を得る
(2005-06-18 19:28:44 | Weblog)
紀州徳川公に請待された翌年(1801)... -
紀州徳川家からの請待かかる
(2005-05-24 23:16:56 | Weblog)
摂州にやってきて、吉田家の地所滞在2... -
生涯にわたる帰依者~吉田喜平次~との出会い
(2005-05-14 22:07:42 | Weblog)
寛政9年(1797)、吉田喜平次が須ヶ谷... -
大苦行時代突入
(2005-05-01 21:53:10 | Weblog)
出家後間もなく、師である大円を失い... -
大苦行以前
(2005-04-22 20:32:54 | Weblog)
天明5年(1785)徳本行者28歳の時、大... -
いよいよ出家!
(2005-04-18 01:31:05 | Weblog)
三之丞改め十助は、天明4年(1784)27... -
三之丞異聞(2)
(2005-04-13 21:39:55 | Weblog)
まず寛永寺蔵『徳本性仏上人行状記』... -
三之丞異聞(1)
(2005-04-13 17:12:37 | Weblog)
これまで記してきたのは、主に福田行... -
一枚起請文の獲得
(2005-04-07 22:01:25 | Weblog)
ある寒い日に、回国行者(寺を離れ遊...