徳本行者の生涯と思想

江戸時代の僧、徳本行者について詳しく紹介するページです。

勝尾寺での絶頂期

2005-07-17 21:30:14 | Weblog
 伝通院にて宗戒両脈等と相承し、正式な僧侶と認められた徳本のもとには、例によって、参詣者が群参する。ひとまず江戸を離れた徳本は、勝尾寺を拠点にして、越前妙華谷、大和、浪華、近江などを回り、各地で参詣者が群参する。文化6、7年(1809,1810)の徳本の様子を記した『徳本行者勧化伝』(「徳本行者全集1」所収)には
 月並十五日は二階堂(勝尾寺)に出られ、ひねもす念仏会御化益有て遠近をいわす参詣(中略) 行者三座の勧誡には宗祖上人の一枚消息の要文を以、唯申せは安く極楽に往生する事をひらめる(中略)されはかくの如く諸国諸々より請待に応じて趣かれとも、何つも月並畢りて十七、八日の 頃出立、月の十日頃には必ず松林庵(勝尾寺の徳本の住居)に遷りて月並をかかされす御約束の たかわざるを知りて遠き国よりも追々に登り来て念仏会勧誡拝聴
とある。徳本は毎月15日に参詣者に対し一日中念仏を施し、それを拝聴するため、遠近から人々が郡参した。そして、17・18日頃には各地からの請待を受け、回国行脚し、そしてまた翌月の10日頃に勝尾寺に戻るというハードスケジュールをこなしていた。このような日々を文化2年(1805)から文化11年(1814)の約10年間続けた。その後、行者は、増上寺典海の要請により関東に下り、江戸では将軍家などから盛んに請待を受ける。そのような徳本の出世は、根強い支持層をかためたこの勝尾寺の10年があったからでこそであろう。(写真;勝尾寺松林庵にて永訣十念の図 誕生院蔵『徳本行者絵伝』より)

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