徳本行者の生涯と思想

江戸時代の僧、徳本行者について詳しく紹介するページです。

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出家への志の芽生え

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 宝暦10年(1760)三之丞4歳の時である。隣の家の子が俄かに死んでしまったのを見て、世の無常に驚き、念仏をしきりに称えるようになった。出家も望んだが、嫡子だからといって許してもらえなかった。しかし、家業の農事を手伝いながら、念仏を称えることは欠かさなかったという。(写真;神奈川県平塚市大乗院蔵 徳本行者座像)
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2歳の中秋の名月の時・・・

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 宝暦9年(1759)徳本行者が2歳の秋、8月15日の夕方のことである。三之丞(のちの徳本行者)は姉に抱かれながら、中秋の名月に向かい、初めて「南無阿弥陀仏」と唱えたと言う。聖徳太子が幼いとき、「南無仏」と唱えたという伝説があるが、三之丞もそれに似て、周りの人々はたいへん尊く感じだと言う。
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三之丞(後の徳本行者)誕生!

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 徳本行者についてよりよく知っていただくため、徳本の誕生から臨終までの生涯を年代に沿って、少しずつ紹介したい。
 徳本行者は宝暦8年(1758)紀州日高郡志賀の庄九志村(現在の和歌山県日高郡日高町志賀)の畠山政長を先祖に持つという田伏氏の家に生まれた。幼名を三之丞と言った。『徳本行者伝』(福田行誡編)によると生まれつき、それぞれの目に二つづつ瞳孔があり(重瞳)、常に目に不思議な輝きがあったと言う。重瞳は、中国などで非凡な人の形容ともなっており、日本でも道元などは、重瞳であったと言われている。
 
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徳本行者とは?

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 徳本行者(一七五八~一八一八)は、将軍家から庶民まで多くの人々からの支持を受けた江戸時代後期の僧である。そして、死後も彼独自の六字名号にあらゆる効力が信じられ、その信仰は今日まで続いている。しかし、なぜそれほどまでに徳本行者は人々に支持されたのか?調べれば調べるほど謎が募るのである。私は、このページで徳本行者について調べてきたことを少しづつ紹介したいと考えている。そして、少しでも多くの方に徳本行者について知っていただき、その魅力の謎について多くの人々からヒントをいただけたらと願っている。(写真;神奈川県平塚市 延命寺蔵 徳本行者画像)
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