正面二の鳥居 【通称大鳥居と呼ばれる一の鳥居はこの手前神門通り入り口にありました】
鳥居から順に本殿へ向かいます
出雲の参道は、拝殿に向かって下るように作られている神社としては非常に珍しいものです。
参道はかなりの広さで続きます
拝殿
※本殿は奥に在って直接見ることはできません。
拝殿の背面に所在する八足門。 研修中の神職さんや巫女さんが入門待ちをしていました
確かに出雲大社の御神紋二重亀甲に剣花菱がみられました
銅鳥居の前から180度の情景
旧本殿はこんなに高い場所に在ったと説明されました
神事 高円宮家次女・典子さまとご結婚された出雲大社の禰宜・千家国麿さんの顔も見えます
本殿西面
本殿西側のこの位置が御祭神に一番近く、大国様の鎮座する正面になるそうです。
通常の参拝者は大国様の横から拝んでいる形になります
彰古館
出雲大社十九社の奥で木立に守られるようにたたずむ宝物館。大小の大国様、恵比寿様がずらりと並ぶほか、神楽用の笙やひちりきなどの楽器類、神社に伝わる古文書類も多数展示。建物は大正3年(1914)に出雲大社全体の宝物館として造られたもので、趣がある。※るるぶから引用
相撲の神様
彰古館入り口の野見宿禰(のみのすくね)像
本殿北側にはアチコチに兎の像があります
本を読むウサギと財を持つウサギ
祈るウサギ
笏を持つウサギと稲をかじる?ウサギ
色々なウサギの像が置かれていましたが背面には
智慧とか財とか糧食、愛、儀式、崇拝とか深甚な意味があって寄進されているのでしょう
本殿東側
こうしてみると太古の趣きが感じられます
素鵞社(そがのやしろ)
祭神は、素戔鳴尊(すさのおのみこと) 天照大御神の弟神で、八岐の大蛇退治をした神様。大国主大神の親神で、大神に国づくりの大任を授けられました。【と、皇族が編纂した文書には記述されています。皇族や公家の番犬とされた武士の源氏の血を引いていないと征夷大将軍になれないという暗黙の掟があって、どれほど出世しようと皇族・公家の下僕でしかないということを裏付ける話です】
神楽殿
大注連縄が立派でこちらが本殿と勘違いされている方が多いのですが神楽殿ですと教えて戴きました
神楽殿側面には美しい池
池の緋鯉
神楽殿のすぐ脇には千家家のお屋敷
誰もが一度は口ずさんだ『一月一日』の歌詞
【年の始めのためしとて終りなき世の…】千家家の方が詠まれたとは知りませんでした。
日本国を造った大国主大神は、百済から渡来して九州経由で、天照大神(皇租)の指示を受けて攻め込んできたその孫に国を渡さなければ攻め滅ぼすと云われて天照大神一党と談判の上、日本人独特の善き伝統、殺し合いより平和を望む「なあなあ」として、国の政治を天皇家に譲り、皇族は政権を司り、大国主大神は神と霊の世界を司るようになったそうです。
恭順した大国主大神の身の周りの世話をするようにと天照大神が親族に命じて出雲大社の宮司になり、今に続く千家家であります。 と、境内にいらっしゃった神職さんに教わりました。
少し衝撃的な話でしたが そうすると戦国時代などの考え方からは反乱を起こしそうな相手に身内を遣して謀反の兆候を報告させるのは定石……
なにかミステリアスな太古の物語に思いを耽らせられた神の国訪問でした。