若葉のころ🎵そして枯れ葉のころ😂

山登り、野菜作り、人生大相撲、ギター弾き等

人生大相撲 2日目 通信簿

2022-07-19 03:17:52 | 日記
 借家住まいである。
もと庄屋の家で3家族が住んでいた。
それぞれの住まいは板壁で仕切られていた。
当家は私とバツイチの父、それと祖母の3人。隣のMさんちは6人家族、60代の夫婦、長男夫婦、その長男と長女の6人。
 我が家と廊下をつないで離れがあった。そこには教師夫婦が住むことが多かった。当時アパートなどなく2、3年おきに高校教師夫婦、小学校教師夫婦が転勤のたびに入れ替わった。学校が休みの日、離れの高校教師の奥さん、といっても本人も音楽の教師で30歳前後の都会の顔と雰囲気を持つきれいな女性が私を離れに呼んだ。
「ちー坊、これ、お食べ」コーンフレークというもの初めて見てそして初めて食べた。
小学校3年のころ、高校生の女の子が入居してきた。遠方の田舎の子だった。N町の農業高校に入学し当時バス通学などなく下宿住まいになったのであろう。
食事は我が家でとり自転車で高校まで通った。一人っ子の私は突然年の離れた姉ができたようで嬉しかった。飛行機のプラモデルの作り方でよく喧嘩になった。取っ組み合いの喧嘩になり私が彼女に覆いかぶさって腕を鷲づかみにした。生まれて初めての甘美な経験であった。
 隣のMさんちのN子は私の一つ下、まだ小学校入学前、友達といえば彼女だけである。家の裏の土蔵の軒下でよくママゴト遊びをした。妹のようであるが彼女には4つ年上の兄がいるので私は微妙な距離感をもって遊んでいた。
 当時の通信簿は1,2年時は「よいこのあゆみ」3年生からは「のびゆくすがた」に代わった。
道路を隔てた大工さんのおかみさんが「うちのS男の通信簿は駆けっこだ、1,2,3,1,2、3。ちー坊は洗濯だね、5,4、5,4」
 6歳から10歳、小さな家、小さな家族、小さな世界にすんでいたが学校も遊びもすべて楽しかったので「」」