Ange(アンジュ)~7号食友の会~

~自己創造による社会変革への貢献~

脱力と平和と7号食(ange)

2013-06-16 18:52:16 | ヴァイオリン
■脱力って?

楽器演奏の時のみならず、運動する時によく言われるのが「脱力」。

例えば、箸を使う時にも脱力はしているでしょう。

力んでいては、上手に食べ物を口に運べないです。

でも、この箸を持っている状態は本当に脱力なのでしょうか?

曲がりなりにも箸という物を持っているのですから、

完全に力が抜けている状態とはいえません。

これが難しいところ。

似たような表現にリラックスというのがあります。

これも、イメージしてみてもピンときません。

つまり、脱力という状態を知らないのです。

本当に脱力してするのは、死んだ時くらいではないかと思います。

それでは解決にならないので、もう少し近い状態はというと、

寝ている時でしょうか。

あるいは、体験しにくいですが、無重力状態。

どちらも地球上で運動するには不都合です。

何が言いたいかといいますと、

言葉で表現しても、それはその人にしかわからないイメージであるということです。

脱力に関してもそうです。

運動しながら、脱力するって?

敢えて定義してみると、

目的の動作に必要とされる最低限の力を使っている状態

かな。

0(ゼロ)ではないけど、0に近い状態。

1/n(n→∞)みたいな感じです。

限りなく0だけども、0ではない。

0に近づいている運動の様子とも言えるような。

こんなことを考えていたら、

常々疑問に思っていた「平和」という言葉。

そもそも、平和という状態とは?

すぐに思いつくのが、戦争でない状態。

じゃあ、戦後日本は平和なのでしょうか?

自殺者が年間3万人。未遂や自殺願望を持った人を含めたら

きっと大変な数になるでしょう。

これを平和と呼べるのか?

平和とは何処をどう見渡しても、生死に関わるような状態でないこととすると、

私は平和というものを体験したことが無いといえるでしょう。

ということは、平和という言葉を使う時、知らない状態について述べているということになります。

経験したことの無い、理想あるいは幻想についての表現です。

で、先程思いついたことから、

平和といわれる状態に近づいている様子のことを平和

とするしかないだろうとなります。

裏を返せば、平和には近づくだろうけれども、決して平和にはならない

ということを孕んでいるわけです。

極限の考え方です。

いみじくも桜沢氏如一氏の陰陽の定義にも、

完全な陰、完全な陽は無い

とあります。

■7号食の体験

一度でも体験できれば、あるいは別の事象であっても本質的に同じであれば、

ひとつの基準が出来上がります。

それがその人の定義になるわけです。

脱力にしても平和にしても、それらしいことに肉薄できれば良いのですね。

その視点を用いると、7号食というのは

その人にとって最も快適な状態に肉薄する行為

といえます。

完全無欠な快適さは知らなくても、それに限りなく近い状態を知る事ができるわけです。

結果、獲得した感覚は死ぬまで覚えているので、ちょっとした異常にも気づきます。

また、体も何らかの異常を身をもって教えてくれます。

■否定の繰り返し

脱力、平和、7号食を考えてみました。

どれも、現状の否定をしているわけですね。

そうしないと、飛躍できませんから。

ある状態に向かうということは、現状の否定を繰り返すこと。

その先には理想のみがあって、ゴールは無い、ということか。

(ange)


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