観察してると タンポポの花は
朝は閉じて日が高くなるにつれて
何時もの花の形に開いてゆく
何故閉じる必要があるのか
開いてるのは当たり前だが
寒さを避けるためでもなく
タンポポに聞いてもしゃべるわけはなく
この時期だけではなく
花咲かすもの綿毛を飛ばすものが混在している
鶏が先か 卵が先かという話があるが
綿毛が先か 花が先か ふと考えるが
答えなど出るわけも無く
これが 自然のありかただと思うと
この娑婆世間のにぎわしさも
人の栄枯盛衰も 世間様の毀誉褒貶も
あり でいいのかなとも思う
過ぎ行きて来た自分の日々を思えば
渦中にある時は それが全てのように思い
新たな出来事が起きれば またそれで頭が一杯になり
そんな繰り返しをしてきたが
考えれば
何事もあったけど 何事も今に繋がるわけでもなく
過ぎ去れば 脳の記憶として残るばかり
過去はそんなものと思うけど
過去はそんなんだったとも思い
過去があるから今があるわけで
過去は過去でありそれ以上でもそれ以下でもなく
綿毛が先か 花が先かなど
そうなんだから そうでいい
思考を停止するわけではないが
やはり そうあるんだから あるままでいいとも思う
小さな子供の頃 心にフィルターは無かったように思う
見るもの 聞くもの 味わうもの 触れるもの
全てが新しく わくわくに溢れていた
何時しか 社会適応のため 無数のフィルターを使うようになった
同じフィルターを通して同じ景色を見る人とだけ群れ集うこともあった
もう この頃は フィルターは無用になった
同じ景色が オリジナルのまま飛び込んでくる
新鮮だ
すっぴんの目で世間様の風景を見る
年を取るのは悪くない