SKY VISION

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少年時代

2005-07-30 00:27:44 | Weblog
私は子供の頃、親が離婚した為に小学校1年~4年まで逗子に住んでいました。
離婚の時に父親についたのだけれど、父も仕事が忙しく、結局おじいちゃん、おばあちゃんの元に預けられたよ。おじいちゃんは無口な人で、おばあちゃんは、とてもやさしく活発な人でした。おばあちゃんは小学生ドッチボール大会に参加するほどでしたよ。でも、今考えたら無理していたのかなぁ、俺の為に・・・。周りは若いお父さんやお母さんばかりなのに、とてもがんばっていた・・・。俺、とても覚えているのが、母親参観日の事。うちはおばぁちゃんが来たのだけれど、おばぁちゃんに向かって「なんで、みんな若いお母さん来てるのに、うちはおばぁちゃん来るの?こなくていいよ」なんて言ってしまったっけ。・・・その時のおばぁちゃんは、悲しそうな顔をしていた。・・・たぶん他の若いお母さんが、うらやましかったんだと思う。・・・あ~あ、なんてひどい事言ったんだろう・・・いくら子供の時だって、今でも悔やんでる、誤りたくとも、もうおばぁちゃんはこの世にはいない・・・ごめんね(泣)。

あと、その時の家での日課はポスト受けから新聞をおじいちゃんに手渡す事と鯉にスイミー(餌)を与える事。鯉は餌を食べる時パクパクしてきて可愛いんだ~。

遊びの方では崖登りをしたよ。急斜面に上がり頂上に5人位で秘密基地を作って遊んだ。仲間しかわからない秘密の場所、ああっ楽しかったなぁ。


映画

2005-07-22 01:18:28 | Weblog
映画を見たくなる時って、どんな時ですか?普段の私生活から開放されたい時?それとも作品自体を楽しみたい時?人それぞれ違うと思いますが、私は、ケイスバイケース。見たい時に観るという感じかなぁ。(まぁ当たり前、なんじゃそりゃ~)私、映画館の場合は1回こっきりなので、ストーリを観ますが、次DVDになった時は、このシーンの撮影場所いくら掛るのか、どれ位の制作費がかかるのだろうと考えながら観ています。どちらかと言えばバックステージより・・・。映画は基本的にストーリ順に撮らないので、作る方は大変です。画が繋がらなかったら、やばいよねこりゃ・・・。みなさんは、こんな事を考えずに楽しんでくださいね!!

役者を目指していた頃

2005-07-21 00:27:09 | Weblog
初めて役者を目指したのは、今から何年前の事だろう?当時、右も左もわからず、どうすれば役者になれるのだろうか?といつも考えていたよ。ある時、人からそういう雑誌があると聞き、早速、応募した。1次審査(書類審査)があって、その後2次面接、実技審査があって見事合格。うれしくて~うれしくて。でも、今考えたら誰でも受かるんだよね。養成所だから(養成所は教えるのが仕事)、事務所や映画と言う言葉につられ入ってしまったよ。でも、やっぱり仕事はなくて・・・。今まで教えを受けた事で、1番びっくりしたのは、人前でキチガイになって「ハトポッポ」を歌った事。これ真面目に教えてるのかなぁと最初は思ったけれど、「役者は心の開放と羞恥心無くす」という訓練。同じレッスン生でめちゃくちゃかわいい子がいて、そういう子は、レッスンについていけないんだけれど(可愛い子は自分を持ってるから羞恥心ある)その子もキチガイ「ハトポッポ」最初出来なかったのに、時が経って出来るようになった時には、なんかショックだった。ちょっと恋していたかもね?苦い青春でした。

初めてのブログ

2005-07-18 00:04:08 | Weblog
今日からブログ始めました。どう?
これからも、いろいろ書いていきたいなぁ。第1回目は舞台の事。

この頃、私の周りでは舞台に立つ人が沢山居る。みんな夢の為にがんばっているよ。
私自身も、数年前の夏に1度だけ舞台に立った。場所は帝國ホテルで特攻隊の役をやりました。題名は「サクラ」、戦争のお話です。制作は東映だったので衣装も映画「ホタル」で使われているものをしようしていた。
この舞台はワイドショーでも紹介されたよ。でも、内容はちょこっとで来ていた人の方が紹介されていた。
森前首相や各界の著名人、他タレントだ。
当時、叶美加さん(叶姉妹)とデビィ婦人が仲悪くて、2人とも会場に来ていたのでマスコミは、そっちばかりインタビューしていたなぁ。
俺ら舞台が終わって会場外で敬礼していたのだけれど、叶美加さんが1番最初に出て行ったよ。
そして敬礼していると、どこかの会社社長に「お国のためによくがんばった」と声を掛けられた。でも、しゃべっちゃいけなかったのでシカト・・・。
とにかく舞台は600人位お客さん入っていました。大成功。
終わったあと涙が止まらなかったよ~。