今の、資本主義社会には
「心配することはない、人生なんて、思うようにいかないことばかり。失敗したとしても、それは、あなたの責任ではない。」
と言ってくれるような為政者は、どこにもいない。
為政者の口から出てくる言葉は、「自己責任」。
たまたま、宝くじに当たっただけで、為政者になれたような、あなた方に、自己責任などと、軽々しく言われたくない。
それどころか、「運がないこと」まで、自己責任だなどと言う輩さえいる。
酷い話だ。
所詮、資本主義社会における人生なんて、生まれながらにして「不平等かつ不公平」。
どんなに愚かでも、「名家」に生まれれば、努力もせずに偉くなれる。私たちより、どうしようも無い人たちが、この国の政治を司っている。
それが、資本主義社会。
富の力で、民主主義まで、捻じ曲げてしまう。
資本主義を動かしている資本家や経営者、民主主義を動かしている政治家や官僚と言った、支配層にとっては、とても心地よい社会なのだろう。
それに引き換え、資本主義、民主主義、自由主義という、巨大なインフラを支える、その他、大勢の人間なんて、支配層から見れば、奴隷のようなものなのだろう。
そうでもなければ、「国民に給付金を配ったところで、どうせ貯め込むだけで無駄」、「投資能力もない、貯め込むだけの国民に金を持たせていは経済が回らない」、「そんな国民からは増税して、金を吐き出させる」なんて発想が、出てくるはずがない。
お前たちに、金の使い方まで、指図される筋合いは無い。
こんな「支配層に、いいように手玉に取られる人生」が思うようにいかないからといって、気にする必要などない。
自分のことを反省する前に、支配層と自分の、どちらが、この世界において、必要かつ尊い存在なのかということを、思い出そう。
そうは言っても、資本主義社会では、生きていくために、稼がなければならない。
稼げなければ、路頭に迷うか、最悪、死が待っている、残酷な社会なのだから。
しかし、これはおかしい。
働かなくても、遊んで暮らしている連中は、たくさんいる。
そう、それは支配層、「ふざけるな」と言いたい。
支配層は、常に、真面目で、言うなりになる人々に、競争を強いてくる。
「こんな不平等で不公平な競争なんて、真っ平だ」などとは、決して言わない人々に。
言ってみれば、私たちは、支配層を支えるための競争を戦わされているのだ。
だから、そんな不合理な競争に、負けても気にすることなどない。
胸を張って、支配層から助けてもらえばいい。
そもそも、競争というのは、勝者より、はるかに多くの敗者を生む。
敗者を再び、競争に参加させる施策を考えるのが、為政者の役目。
それができない為政者など、いらない。
「国民を脱落させない政治」こそが、本当の政治だ。
資本主義社会では、勝者など放っておけばいい。
勝者なんて、庶民の日々の努力により作り出された、維持されている社会インフラをフルに利用してのし上がっただけの連中。彼ら彼女らからこそ、インフラの利用料として、たくさんの税金を取ればいい。
それより、生存限界を生きる敗者のために「生きる術と、敗者復活の道」を与えることこそ、為政者の務めだろう。