コロナ禍の今、仲間やイエスマンに囲まれて、狭い狭いアナログ世界で生きている、政治家や経営者や官僚などの支配層。
それに比べれば、一人、ITを駆使して、広いデジタル世界で生きている一般人の方が、現実を、客観的かつ正確に把握して、生きているのではないか。
日本で、コロナの流行が抑えられているのは、そのせいかもしれない。
支配層なんて、自分たちとステークホルダーの利益しか考えない連中ばかり。
国民に金を配るにも、わざわざ、クーポン券にして、ステークホルダーに、金が回るように工夫する輩。
一般人の健康や幸せなんて、どうせ、二の次、三の次だろう。
そもそも、国家は、支配層の所有物などではなく、国民のものなのに、民主主義の名の下に、国民の付託を受けたと称して、支配層が、全てをコントロール。
確かに、昔は、たくさんの国民の意思を、国政に反映することなど、物理的に不可能だったから、やむを得ず、政治家や官僚に、国家の運営を任せてきただけなのに。
いつの間にか、任せられていた政治家や官僚たちが、任せていた国民よりも偉い「上級国民」だと思い上がってしまった。
とんでもない話である。
あなたたちは、国民への奉仕者。より慎み深く、真摯に努力してくれなければ困るのだ。
これまで、民主主義は、ベストの政治制度だと見做されてきた。
しかし、民主主義と言っても、所詮は、「たった一人の人間」に、すべの国家権力を収斂させる制度。
その点では、「独裁主義」と同じ。
だから、民主主義だって、一歩間違えば、程度の差はあっても、独裁になりかねないということだ。
そもそも、人口が数十万人の国家ならば、「たった一人の人間」に、すべの国家権力を収斂させてもよいかもしれない。
しかし、一億人を超える人間の生活、ましてや生死を、本当に、一人の人間に任せてよいものだろうか。
情報革命前の時代ならば、たくさんの人間の意思や意見を集約するすべがなかったから、許されたかもしれない。
しかし、情報通信技術が、飛躍的に進歩した現在、どんなにたくさんの意思や意見でも、まとめ上げることは可能。
直接民主主義だって可能だろう。
進化していく情報化社会を生きる私たちは、国政を、最終的に「たった一人の人間」に任せる「代表民主政治」の危うさに、そろそろ気づくべきだ。