8日早朝傘寿野郎の危惧は徒労に終われた事を喜びたい!
然し世界との友情は犯した事を忘れる事は出来ません。
オリンピックIOC総会にて2020年開催地選挙、日本時間8日日曜日早朝5.00には決まるとマスコミは決まったが如く報道をしているこの前日、後12時間経てば判るが、傘寿野郎書かずには居れない心中となり、今9月7日17.00アップデートさせて頂きます。
結論一次予選3地域の中でイスタンブールが先ず落選、二次予選マドリード対東京で・・・・「マドリードが選ばれ残念ながら東京は惜敗」・・・・・となるのではないでしょうか。
一言で!内閣総理大臣から全国会議員、JOC幹部・日本全国民ノー天気!に尽きる。
今更何を言えばいいか! 世界中から日本をどう見ているか、この前日韓国は東北地方の食料品の輸入禁止と報道。 本当に日本国民の一人として残念と思う前に総理大臣を初め、国会議員らは、68年前の犯して出来事心情を勝手に忘却、近隣諸国からの反感を買い、逆なでする政治家に憤りを感じる。近隣諸国発展途上国からは過去を肯定する行動は友好的絆が芽生えず、その上原発処理のていたらくいい加減さ!この2点がすべてではないか。
傘寿野郎右でも左でもない政治的問題は投稿しない心情の理念でのブログでしたが、今日は書かずに居れないはやる気持ちで投稿した次第です。
落選後の問題はこの結果から国民の心に改めて68年前ポツダム条約受託で清算した訳でなく近隣諸国の指導者は永遠に自己都合の悪い時に必ず68年前を持ち出し自国民政策に遡上利用となる。一度あった事は事実で世代が変わっても重い心情を受け継ぐ事を常に表明し続ける必要があると思います。今の政治家にこの心全くない。
傘寿野郎25年前を回顧する。男ヤモメになった親父を東京に呼び東京見物に土・日曜日オヤジ「東京中行きたい所何処でも車で案内してやるよ」「何処へ行きたいか?」「・・・・・いの一番皇居二重橋・靖国神社・・・・・」九段下から上がり参道途中の車寄せで「オヤジここから社殿まですぐだから一人で行って来てくれ」「俺は行かないよ!」「???」小生一貫して27人が合祀されている事は心情的に許せない!信念は今も変わりません。但し200万人を超える戦争犠牲者には鎮魂は不変ですが。此処が小生と総理大臣と違う処です。
27人であったか27~50人以上いたか、戦勝国が引いた線引きの真偽は判りませんが最小戦争指導者である事は事実。親父、明治生まれの男と議論はせず「行ってらっしゃい!」共に行動せず。
靖国神社参拝の言動の問題は、この行動が有る限り何時何処かでリアクションが有っても甘んじて受けなければならない事を忘れてはならないと思います。
昭和20年4月叔父の工場疎開先現瀬戸市郊外に転校5年生、近隣に強制労働で連れてこられた朝鮮人家族が有り、それまでに日本人の子供がみすぼらしい朝鮮人の子供をイジメテいた様で、彼らの母親が「チョセン・チョセンと馬鹿にするな!同じママ食って何処違う?!」と言って追っかけて来る。それ以前を知らない小生にとって怖くて逃げたものです。8月15日午後そこの子供達棒を持って追って来る。大人達は「逃げろ!」と教えられる。その前に6~8月グラマン艦載機は地上に動くもの有れば急降下して頭の上で急上昇して行く。当時国民学校5年生こんな経験しかありませんが。歴史近代史を是非心広く理解し、国のかじ取る政治家を改めて再評価することが不可欠ではないでしょうか。 5月14日我家は名古屋城と共に戦火の中に消失、両親は焼夷弾降る中丸裸で生延びて呉れました。
こんな事を思い浮かべ慙愧の念に堪えません。正夢に成らない事を今晩熟睡します。
投票開始を聞きました!東京40対26対26・2・3位決戦一票差でイスタンブールに決まり、最終決戦は60対35票で東京決定と政治家のエラーを国民の願いが超越通じたか!マドリード対イスタンブールの同数によって次点決戦はイスタンブールの勝利し消去法選択によって無難さ選択からの結果であったと思わざるを得ない。結果おめでとうございます。 8日早朝号外は東京に居なくとも読めます下記
http://cdn.nikkei.co.jp/parts/ds/pdf/001/20130908_1.pdf 日経号外1号
http://cdn.nikkei.co.jp/parts/ds/pdf/001/20130908_2.pdf 日経号外2号
近隣諸国の投票行動を知りたいものです。