
中山道と合流する甲州街道終点の宿場町としての華々しい歴史を持った「下諏訪宿」。その本陣問屋として栄華を極めた「岩波家」の屋敷跡一部が公開されている。

中山道は東海道の裏海道として江戸と京都を結ぶ大きな街道であった。その中央に位置し、軍事道路でもあった甲州街道の終点であった下諏訪宿は交通の要地であり、従って中山道で最も規模の大きい宿場であり本陣であった。参勤交代、日光例幣使、茶壺道中の行列や公用で通る諸大名等が多く宿泊している。下諏訪宿は一般の宿泊客も多く、四十五軒の旅籠が軒を並べていた。
又、問屋としては交通運輸の一切をとりしきった。荷物の送継ぎ、一般の交通の便をはかり、問屋場を運営して、宿場の一切の責任を負っていた。
問屋は幕府の下にあって、宿内の最高責任者であり、村々より人足を自由に集めたり裁判所に当たる仕事もして宿場の運営に当たった。苗字帯刀御免、別札宗門などは、その権威を裏付けるものであった。(パンフレットより)

屋敷門を入ると、主屋入口まで敷石が続きます。

本陣主屋。京風数寄屋造りという奥座敷と中山道随一と称される本格的築庭式石庭園が岩波家本家のご苦労により当時のまま残され、公開されています。右手の入口が玄関(受付)となりますが、現在もここで暮らす本家の女主人の方が居ていろいろとお話を伺うことが出来ます。

では中へ。明治天皇の王座にもなった最奥座敷。

奥には立派な土蔵も見られます。

そして、本陣庭園。
中山道随一の名園と称される。各地の名石を集め自然の地形を利用して作庭された本格的築庭式石庭園で、東西の山や諏訪大社秋宮の森を借景にして、間に何も見せないように深山幽谷の趣に作庭されている。滝口付近は戦国時代よりあったと伝えられるが現代の様式を調えたのは江戸中期といわれている。
滝の水は諏訪神社秋宮の南方を流れる承知川の上流より引水され、本陣用水として石垣で囲まれた屋敷の周囲を流れていたがその水の一部をとって屋敷中央を通し池の水に用いている。春のつつじ、新緑、初夏のあやめ、さつき、秋の紅葉、雪景色と四季折々に装いを変える。(パンフレットより)

敷地総坪1,825坪(約6033㎡)、主屋建坪280坪を誇った本陣も明治維新によりその制度が廃止され、時代の流れの中で建て替え、取り壊しを繰り返しながら現在に至っている‥‥。
本陣 岩波家
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開門時間
4月~10月 09:00~18:00
11月~3月 09:00~17:00
観覧料
大人:400円
小人:200円
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