森の中の恍惚

野山が笛を吹いている

川島町農業商工祭 2016

2016年11月23日 | 空色の休日 2016 

さあ、2016年の新嘗祭も「川島町農業商工祭」。今年からメイン会場を平成の森公園から川島町役場庁舎前に移しての開催です。


新庁舎前の駐車場いっぱいに模擬店のブースが並んでいます。


ここは以前多目的広場で、商工祭などでは駐車場として使われていた所ですね。すっかり様変わりしてしまいました。


農産物品評即売会は体育館より町民会館に移動。


せっかくなので平成の森公園。


川島町の水害との闘いを記録する「川島町の和船」を展示している舟小屋があります。


 川島町は周囲を四つの川に囲まれた輪中地帯で豊かな穀倉地帯ですが、古くから水害が多く、堤防が重要とされてきました。江戸時代初期の寛永六(1629)年、県東部地域に流れていた荒川が、熊谷市久下で旧和田吉野川の流路(現在の荒川)に瀬替えされて以来、洪水の常襲地域になったため、さらに堤防を高めるようになりました。
 その後、明治四十三(1910)年八月に発生した未曾有の大水害で川島町内各地で破堤し、川島全域が壊滅的な被害を受けました。中でも伊草、三保谷、出丸、八ツ保地区は全村床上まで浸水しました。その惨状に明治政府から見舞金が寄せられ、その見舞金で洪水時の救助・運搬用の水災予備舟を作った地域もありました。
記録では伊草村四艘、三保谷村十二艘、八ツ保村八艘の川船が建造されました。
 戦後は、昭和二十二(1947)年のカスリーン台風以来、河川改修、排水機場が進み、大きな水害が発生していないこともあり、使われなかった川船はいつしか老朽化してしまいました。幸い八ツ保地区大字下八ツ林にある薬師堂では堂内に二艘大切に保存されておりました。二艘の内一艘は保存状態がよく使用可能であったため、この平成の森公園に展示して川島町の歴史を理解していただくことにしました。
 昨今、各地で発生している水害に対し、私たちは郷土の災害を知り、備えを怠らない防災意識をさらに高めたいと思います。
平成二十八年三月 川島町


バラの小径にチョイ寄り。秋バラがチラホラ。


なんといっても、メチャクチャ寒~い今年の「川島町農業商工祭」でした。

>森の中の恍惚:川島町農業商工祭 2015

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ラベンダーティーツリー | トップ | 100年の冬 »

コメントを投稿

空色の休日 2016 」カテゴリの最新記事