「日本の植物学の父」と呼ばれる牧野富太郎は文久2年(1862年)4月24日、高知県高岡郡佐川町に生まれました。
≫高知県立牧野植物園
「何よりも貴き宝もつ身には 富みも誉れも願はざりけり」 牧野富太郎
この日を記念して4月24日は「植物学の日」とされています。
学んだというよりは遊んだのは植物の学。別に師匠というものが無かったから日夕天然の教場で学んだ。絶えず山野に出でて実地に植物を採集しかつ観察した。
花は、率直にいえば生殖器である。誠に美麗で、且つ趣味に富み、まったく美点に充ち満ちている。この花は種子を生ずるために存在している器官である。そしてこの種子を保護しているものが果実である。草でも木でも自分の子孫を継ぎ、種属
を絶やさぬことに全力を注いでいる。これは動物、人間も同じ。子を生まなければ種属は絶える。つまり我らは続かす種属の中継ぎ役をしてこの世に生きている。暑い夏に鳴きつづけている蝉は雄蝉であって、一生懸命に雌蝉を呼んでいる。うまくランデブーすれば、雄蝉は憐れにも木から落ちて死骸を地に曝し、蟻の餌となる。雌蝉は卵を生むが最後、雄蝉の後を追って死んでゆく。蝉と生まれて地上に出でては、まったく生殖のために全力を打ち込んだわけだ。これは草、木、虫、鳥、獣、人でもその点はなんら変わったことはない、生物はみな同じだ。我らが花を見るのは、この花の真目的を嘆美するのではなくて、ただその表面に現れている美を賞観して楽しんでいるにすぎない。花のために、一掬の涙があってもよいではないか。
≫高知県立牧野植物園
「何よりも貴き宝もつ身には 富みも誉れも願はざりけり」 牧野富太郎
この日を記念して4月24日は「植物学の日」とされています。
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