森の中の恍惚

野山が笛を吹いている

皆野 椋神社

2012年01月14日 | 空色の休日 2012 

「のだめカンタービレ」の作者二ノ宮知子所長の出身地としても知られている秩父郡皆野町に鎮守する「皆野椋神社」に参拝。大きな朱色の鳥居が目印です。


木製の両部鳥居の両脇にイチョウの樹が見えますね。左へ下って行くと「円福寺」。


そして、神紋は「三銀杏」。皆野町の町の木も「イチョウ」。


本殿の右に護国神社。裏には多くの境内社が祭られています。


決して広くはないけれど、とても落ち着いた雰囲気のある境内ですね。何故なんでしょう?また違う季節に訪ねてみたくなる神社でした。


御朱印をいただきました。


御由緒  皆野椋神社

御祭神
 猿田彦命(さるたひこのみこと)
 大乙貴命(おおなむちのみこと)
 八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)

本社創立は天皇十二代景皇天皇四十一年皇子日本武尊東国御巡見の砌、甲斐之国酒折宮より北転し武蔵、上野の国に至り給ふ。国造り経営の各地を巡見せられ秩父の山中に入る。而して当時原野に出づる事を望み給い御矛を立て国造りの祖八意思兼命を遥拝し秩父の山並を望み給ふ時、御矛忽ち光を放ちその光飛来して当地原野西隅の森に止まる。尊怪しみてその地に至り給うや該森林の椋樹の下に老翁現れて曰く、吾尊郷導しその行路を護らんと茲に、尊その御名を問い給うに、翁対へて吾は「猿田彦」なりと云って、お姿を隠し給ふ故に、此の地に神籬を立て猿田彦之命、大乙貴命、八意思兼命の三神を鎮め祭りて椋神社と称す。
延喜式神名帳に記されている秩父二座の内その一に載せられ偵観十三年従五位上を授けられたる由緒正しき旧社にして神威最も験著である。
当社はもと椋宮(倉の宮)明神と称して、元慶五年辛丑真言法孫源仁僧都、平量山円福寺を建て空海上人の手法に習ひ深く当社を崇拝し広く神仏習合の法莚を布く。爾来当社の神勤は同寺の世襲するところとなり明治政府の神仏分離令に至るものなり。
又秩父の庄司武光、武重別当重能は当地に館を構え厚く尊信せると、その後重能は瘴を感じて当地に没す。平将平、重能の墓は円福寺に在り武光、武重の墓も同所に在ると云うるも詳にらず。
然るに国乱れ戦国の世となり戈干止む時なく当社も為に衰退を極む。時に鉢形北條の家臣用土新左門正光、当地方東端に竜ケ谷山田野城を築き甲斐武田に備ふ。永禄十二年武田信玄秩父に侵入するに及び新左衛門当社に戦勝を祈願し大いに武田勢を破る。今もこの地を戦場と呼び地名として残る。
新左衛門当社の信仰弥々厚く社の破損甚だしきを憂い本殿の修復祭祀を復活、この折獅子舞を奉納して神慮を慰めまつりしを以って当社獅子舞の起こりである。
爾来徳川の世となり領主阿部松平に至るも先規となり例祭に使臣の上覧あり。当時の獅子頭三個あり社宝として現存する。
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