When words leave off music begins.
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Vitali Chaconne [Arthur Grumiaux]
「鷹狩りの途中、にわか雨に遭った若き日の太田道灌は、蓑を借りに貧しい民家を訪ねた。すると、出てきた少女が何も言わずに一枝の山吹を差し出した。道灌は少女の謎掛けが解けなかったが、のちに山吹の花にちなんだ古歌『七重八重花は咲けども山吹の実の(蓑)一つだになきぞ悲しき』を教えられた。蓑がない悲しさを歌に託した少女の想いを知り、自分を恥じた道灌は歌道を志し文武両道の名将になった」という逸話の故地である。歌は勅撰和歌集『後拾遺和歌集』に載る。醍醐天皇の皇子中務兼明親王の作である。
付近一帯には古くから山吹が自生し、かつては地名も山吹であった。また、越生駅前にある古刹法恩寺の寺伝『法恩寺年譜』や『熊野那智大社米良文書』の記述から、太田道灌の時代、この辺りに山吹姓を名乗る一族が居たことも知れる。
公園内には町内外の文人たちの数多くの文学碑がある。数多くの民謡や童謡を遺した詩人野口雨情の詩碑もその一つである。昭和八年(1933)、町から八高線開通記念の新民謡創作を請われた雨情は、来町して『越生小唄』と『山吹の里』を創った。碑表には『越生小唄』の一節「歌に床しきあの山吹の 里よ武蔵の越生町」の雨情直筆が刻まれている。
平成二十五年三月 越生町教育委員会