森の中の恍惚

野山が笛を吹いている

When words leave off music begins.


越生町 山吹の里歴史公園

2014年04月21日 | 空色の休日 2014 

「七重八重 花は咲けども 山吹の 実の一つだに なきぞ悲しき」の和歌で有名な太田道灌ゆかりの地。越生町の「山吹の里歴史公園」に、山吹の花見頃!


けっして大きくはない公園ですが、3千株のやまぶきの囲まれた水車小屋とお茶屋さんが風情豊な雰囲気を感じさせます。


今回も理由あって(?)斜面はここまで・・・・。


なので「みそおでん」をいただきました。

 「鷹狩りの途中、にわか雨に遭った若き日の太田道灌は、蓑を借りに貧しい民家を訪ねた。すると、出てきた少女が何も言わずに一枝の山吹を差し出した。道灌は少女の謎掛けが解けなかったが、のちに山吹の花にちなんだ古歌『七重八重花は咲けども山吹の実の(蓑)一つだになきぞ悲しき』を教えられた。蓑がない悲しさを歌に託した少女の想いを知り、自分を恥じた道灌は歌道を志し文武両道の名将になった」という逸話の故地である。歌は勅撰和歌集『後拾遺和歌集』に載る。醍醐天皇の皇子中務兼明親王の作である。
 付近一帯には古くから山吹が自生し、かつては地名も山吹であった。また、越生駅前にある古刹法恩寺の寺伝『法恩寺年譜』や『熊野那智大社米良文書』の記述から、太田道灌の時代、この辺りに山吹姓を名乗る一族が居たことも知れる。
 公園内には町内外の文人たちの数多くの文学碑がある。数多くの民謡や童謡を遺した詩人野口雨情の詩碑もその一つである。昭和八年(1933)、町から八高線開通記念の新民謡創作を請われた雨情は、来町して『越生小唄』と『山吹の里』を創った。碑表には『越生小唄』の一節「歌に床しきあの山吹の 里よ武蔵の越生町」の雨情直筆が刻まれている。
   平成二十五年三月  越生町教育委員会


七重八重 花は咲けども 山吹の みのひとつだに なきぞ悲しき


「KyotoCamera」で山吹色の八重山吹を撮ってみました。


お昼はお隣「山富貴」さんで、美味しいお蕎麦をいただきました。


七重八重 花は咲けども 山吹の 実のひとつだに なきぞ悲しき

:ここです→ Google マップ

:公園入口脇に6台ほどの駐車スペースあり。交差点近くのうえ、出入口の縁石がちょっとおじゃま。さらに、車止めのすぐ先が崖というスリリングな駐車場です。
 ここです→ Google マップ

コメント
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