ギャンブル依存症と今日一日

20歳から27年間ギャンブルにはまり、依存症から脱却する日々を目指すダメ人間の日記

回顧録 20代~30代 12

2012年04月28日 03時12分01秒 | 回顧録 20代

 

 前回の続き

 

【転勤】

 会社へ入社して1年半が経過したころには、私は

 再び、ギャンブル場へ毎日足を運ぶ生活に戻っておりました

 といっても、学生時代とは違いお金はあるが、暇がない

 そんな、感じでジレンマに陥ってました

 

 だから、できるだけ有給を使い会社を休みパチンコを打つ

 時間を作っていました。

 

 ある日、上司より東北の会津若松へ出張して欲しいと言われ

 ました。 

 

 私たちの、会社は機械メーカーですので、大型受注をすると

 プラント工事となり、建設から施工まで約1年ほどかかるのです

 

 私は、喜んで引き受けました 他の社員は二の足を踏む案件

 ですが、私にとっては好都合でした

 

 というのも、お金には困っていなかった時期を過ぎ、カードで

 お金を借りてまでパチンコにのめり込んでいたからでした

 

 出張となると、出張費があり安い宿をとると結構お金が余るんです

 

 私は、バックに荷物を詰め込み住んでいたマンションも解約し

 売れるものは全部売り、東北に向かう新幹線に1週間後に乗り

 込みました

 

 意気揚々と乗り込んだ会津若松でのプラント工事でしたが、

 先輩上司からの厳しい叱責、勤務時間の長さ(朝8:00~

 夜24:00過ぎまで)休みは週一回あればいいほう

 

 3ヶ月後、私はその現場を夜逃げしました

 その次の日、本社に辞表を提出しその会社を辞めました

 

 消費者金融のカードが作りたい為に入った会社でした

 すぐにやめようと思っていましたが、約2年程お世話に

 なりました

 

 今も、まだ頑張っている同期の人間がその会社に在籍し

 交流があるのですが、今では、役職も付き多くの部下を

 抱え仕事に奔走しています

 

 今思えば、その当時の会社の上司もいたらない自分をよく

 面倒みてくれました その上司は今では取締役クラスになって

 いるのですが、今でも私のことを気にかけてくれているようで

 その同期の人に私の近況を聞くそうです

 

 あの時、一緒に怒鳴られながら頑張り抜いた同期の人間と

 頑張りきれず、夜逃げをしたヘタレな自分と20年経過した今

 初めて大きな差がついていると感じる時があります

 

 会社に辞表を提出したものの、自己都合では失業手当は3ヶ月

 後、マンションは引き払っており所持金は数千円しかありません

 でした

 

 その時の、カードでの借金は300万は超えていたと思います

 

 私は、なぜか、東京に行こうと思い

 辞表を提出したその日に、新幹線に乗り込み一路東京へ向かって

 いたのでした ただ、すべてカード支払いで5枚目のカードももうすぐ

 限度額いっぱいになる直前でした

 


あの人たちは 今、どうしているかな

2012年04月24日 03時45分35秒 | 日々思うこと

私が、ブログを初めてこの夏で4年になる

ブログ村に登録して約2年

 

先日、自分のブログを初めから読み返してみた

 

結構、はじめのころはいい加減で、本気でやめようと

いう気概がなかった

 

でも、このブログ村で多くの仲間ができて色々なコメント

を頂くうちに、自分でもやめれるかもしれないと、きっかけ

を作ってくれた

 

交流もさせて頂き、お互いに頑張ろうとブログ上ではあるが

支えあう仲間ができた

 

でも、時としてその交流が途絶えてしまう

ブログをUPしていないので、近況がわからない

 

今頃、どうしているんだろうか

 

再び、ギャンブル場に足を運んでないことを心から

願ってやみません

 

 


回顧録 20代~30代 11

2012年04月19日 04時16分13秒 | 回顧録 20代

 

 前回の続き

 

【社会人として】

 

 クレジットカード申請の為、正社員の肩書きが欲しく

 朝刊に載っていた求人へ応募し、即決で採用が決まり

 入社した会社ですが、私はその会社の概要を全く知らなか

 ったのです。

 

 今はもうその会社は退職したのですが

 今では、よほどの高学歴ではないと入れない一流会社でした

 

 会社に入社するも、正社員の肩書きが欲しいだけで

 すぐにやめるつもりでしたが、いい上司に巡り合い現場では

 先輩に怒鳴られまくり、パチンコをするどころではありませんでし

 た

 

 給料も手取りで30万以上あり、パチンコを打つ必要性があり

 ませんでした

 

 今思うと、ここがターニングポイントだったと思います

 

 この時、やめていればその後の歯車を変えることはなかったんで

 しょうけど 

 

 その、会社に入社して1年が経過しました

 

 パチンコには行ってましたが、時々という感じです

 お金があるので逆に打ちにいかなくても、十分趣味を楽しん

 でました

 

 彼女もでき、ボランティア活動を始めたりもしました

 

 でも、ある時こんなに怒られながら仕事するより

 パチプロで稼いで暮らせるんではないかと思ったんです

 

 それは、ある芸能人がパチンコ

 でマンションを買ったというテレビを見たからでした

 また、パチプロ集団のことが連日記事として出ていたので

 感化されたんだと思います

 

 そこから、人生の軌道が大きく外れていきました

 

 

 


ギャンブル依存症からの脱却 2 (GAについて)

2012年04月14日 04時05分04秒 | その他

先日、GAで回復できない人もいると書きました。

なぜかというところを書いていきたいと思います。

 

GA(自助グループ)は現在、全国で100以上あり

新しい会場も毎月のように増えていっています

 

関東の各県ではほぼ毎日どこかの会場でミーティ

ングをしています

 

ただ、チェマン(責任者)の考え方により会場の雰囲気

にバラつきがあるように思います。

 

これは、当然のことでAA(アルコール)でもあることで

その会場が合わなければ違う会場に行けばいいだけの

ことです

 

だけど、私が接して来た仲間は1~2回だけ来ては

合わないと判断し、他の会場を訪ねることなくGAに

参加しなくなります

 

しかし、GAはAAと違いまだ会場が少ないのが現状

でこの会場が合わないから違う会場へと言っても

県に1ヶ所しかないところも多数あるのですが

 

ちなみに、わたしの参加しているGAも県に1ヶ所

しかありません

 

たまたま、私には居心地のよい場所であったのです

 

GAは、万能薬のように書籍などでは書かれていま

すが一概にそうとは言い切れません

 

GAに来て、本当に1年クリーンを迎える人は恐らく

5%前後ではないでしょうか

 

刑事罰がある薬物や、肉体的に大きなダメージを残す

アルコールと違ってパチンコはスリップしやすい依存症

であると感じます。

 

ただ、現在の日本においてギャンブル依存症からの脱却

にはGAしかないのも事実です

 

あくまで、体験してきた私の主観ですが、カウンセリング

や心療内科などではなかなか回復しません

 

やはり、集団療法と言われる言いっぱなし・聞きっぱなし

が一番気づきを得られる治療法であると思います

 

でも、GAにはすばらしい出会いがあります

私は、この仲間との出会いが自助グループの本来の

目的のような気がするのですが

 

どうでしょうか?

 

また、色々なご意見聞かせて下さい。

ではでは

 


ギャンブル依存症からの脱却 1

2012年04月10日 04時32分06秒 | 日々思うこと

1999年に発刊された本で、「パチンコ依存症からの脱却」と

いう恐らくはじめてギャンブル依存症にスポットをあてた書籍

がある。

 

今から13年前の本であるが、今読んでも色褪せない本であり

私にとってはバイブル的な本でもある。

 

この、10年で色々なギャンブル依存症に関する書籍が出て

きたが、最終的には自助グループの参加を勧めている

 

だが、このギャンブル依存症からの脱却は、確率論から入り

パチンコは絶対常勝できないことを述べている

 

私は、GAに参加して4年が経過したが、確かに色々な方が

言われるとおり自助グループは回復には必要なグループである

ことは確かで、すばらしいグループだと思います。

 

AAのビックブックを源流とする言いっぱなし・聞きっぱなしは

気づきの上では必要不可欠であることも確かである

 

ただ、自助グループは絶対ではないと最近思うのです

 

GAに来たから必ず回復することはないのです

 

ギャンブル脱却からの脱却について、自分の感じたことを

しばらくの間書いていこうと思います。