お・な・か ぽんぽこりんのチロちゃん

ヨーキーのチロとの読書生活。

ことばが劈かれるとき 竹内 敏晴著

2019年02月20日 | 


はじめに
 凍っていたノド
 からだとことば
 ことばが劈かれるために

ことばとの出会い
 失われたことば
 発語への身悶え
 敗戦
 物語と音への目覚め
 師・岡倉士朗との出会い
 他者のまなざし

からだとの出会い
 解体することば
 野口体操との出会い
 演技=行動するからだ
 祝祭としてのレッスン
 弓の修行から
 こえとの出会い
 話しかけのレッスン

治療としてのレッスン
 竹内演劇教室のはじまり
 「ふれる」ということ 
 吐くということ
 引き裂かれたからだ
 こえの治療
 対人恐怖について
 自閉症児とのふれあい
 現代社会とこえの歪み
 明示性と合意性の統一

からだそだて
 「体育」を「からだそだて」と読む
 姿勢について
 「からだ」としてのことば
 「からだそだて」の観点から見た全教科のパースペクティブ
 「からだそだて」が目指すもの


〜「目次」より 思想の科学社 〜

「我と汝・対話」マルティン・ブーバー著

2019年02月19日 | 


「世界は人間のとる二つの態度によって二つとなる。

 人間の態度は人間が語る根元語の二重性にもとづいて、二つとなる。

 根元語とは、単独語ではなく、対応語である。

 根元語のひとつは、<われーなんじ>の対応語である。

 他の根元語は、<われーそれ>の対応語である。

 この場合、<それ>の代わりに<彼>と<彼女>のいずれかに置き換えても、根元語には変化はない。

 したがって人間の<われ>も二つとなる。

 なぜならば、根源語<われーなんじ>の<われ>は、根源語<われーそれ>の<われ>とは異なったものだからである。

 (中略)

 根源語<われーなんじ>は、全存在をもってのみ語ることができる。

 根源語<われーそれ>は、けっして全存在を持って語ることができない。

 (中略)

  <なんじ>を語るひとは、<なにかあるもの>をもたない。否、全然なにものをも、もたない。

  そうではなくて<なんじ>を語るひとは、関係の中に生きるのである。」

 植田重雄訳 岩波文庫

バベットの晩餐会 イサク・ディーネセン著

2019年02月18日 | 



「お分かりでしょうか、お嬢さま。

あのかたがたは、おふたりにはまるで理解することも信じることもできないほどの費用をかけて、

育てられ躾けられていたのです。わたしがどれほどすぐれた芸術家であるかを知るために。

わたしが最高の料理を出した時、あのかたがたをこの上なく幸せにすることができたのです。」



「芸術家が次善のもので喝采を受けるのは恐ろしいことなのです。

あのかたはおっしゃいました。

芸術家の心には、自分に最善をつくさせてほしい、その機会を与えてほしいという、

世界じゅうに向けて出される長い悲願の叫びがあるのだと」

桝田啓介訳 ちくま文庫

生まれてはじめての感謝状

2019年02月17日 | 日記



山中伸弥先生から、感謝状をいただきました。

iPS細胞のご研究にささやかながらも支援を通しつながれる機会をいただけて、とてもうれしいです。

これからもご研究を、そして山中先生を応援しています。



山中伸弥先生の「京都大学 iPS細胞研究基金」ご寄付のお願い

1円分からのTポイント寄付や、100円からの毎月寄付も受け付けています。

スポットの寄付、継続的な寄付、企業・団体からの寄付、そして、ご遺贈・相続財産のご寄付もできます。




孔子伝 白川 静著

2019年02月17日 | 


「孔子は最も狂者を愛した人である。

「狂者は進みて取る」ものであり、「直なるもの」である。

邪悪なるものと闘うためには、一種の異常さを必要とするので、

狂気こそが変革の原動力でありうる。

そしてそれは、精神史的にも、たしかに実証しうることである。

中国においては、その精神史的な出発のところに、孔子の姿がある。

あらゆる分野で、ノモス的なものに対抗しうるものは、

この「狂」の他にないように思う。」

文庫版あとがきより 中央文庫