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竹島を記載した「石見外記」 原本に近い写本発見【気になるNEWS特番】

竹島を記載した「石見外記」 原本に近い写本発見
2021/10/09 09:30 朝日新聞



「石見外記」所収の地図「大御国環海私図」(日本国際問題研究所蔵)。当時の松島(現・竹島)が記載され、高田屋嘉兵衛についての記述もある=2021年10月8日、松江市殿町、大村治郎撮影 

 公益財団法人「日本国際問題研究所」(東京都千代田区)は8日、竹島(島根県隠岐の島町)を記載した江戸時代後期の石見国の地誌「石見外記」の写本が見つかり、分析の結果、原本により近い写本だと判明したと発表した。江戸後期の回船業者・高田屋嘉兵衛が蝦夷(えぞ)地を目指す時に竹島を目印にしていたことや、当時竹島が日本領だと認識されていたことが確認できる重要な資料だとしている。

 同研究所は領土、主権、歴史の調査研究などのため、2018年度から島根大の舩杉力修(ふなすぎりきのぶ)准教授らに竹島の古地図の研究を依頼。舩杉さんは20年10月、東京都内の古書店で「石見外記」の写本を見つけた。

 「石見外記」は浜田藩の儒学者だった中川顕允(あきすけ)(1761〜1833)が記した石見国の地誌で、1820〜27年に成立したとみられる。原本は所在不明だが、写本が何種類かあるという。

 舩杉さんによると、今回の写本は装丁や文字が丁寧で、地名など記載内容が多いのに対し、これまで研究されてきた浜田市立図書館所蔵本や石見地方未刊資料研究会の復刻本は文字の記載が粗雑で、地名などの記載が省略されていることがわかった。

 また高田屋嘉兵衛についての記述でも、従来研究されてきた写本では、高田屋嘉兵衛が蝦夷地へ行く時は下関(山口県)を出て北西方向に進み、当時の松島(現在の竹島)と竹島(現在の鬱陵島〈うつりょうとう〉)の間に出て方向を転じて「丑寅(うしとら)ヲ目アテニ乗リシニハアラズ」(北東方向を目標に乗ったのではない)とあり、文意が通らなかった。それが今回の写本では「丑寅ヲ目アテニ乗リシニハアラサルカ」(北東方向を目標に乗ったのではないか)とあり、高田屋嘉兵衛が松島の北側を航路として北東方向に進んだと推察されるという。

 こうしたことから、今回の写本はより原本に近いと判断した。また松島が鎖国下の当時、異国だと認識されていたならば、高田屋嘉兵衛は航行できず、幕府からとがめられていたはずであり、今回の写本は松島が日本領と認識されていたことを補強する資料だとしている。

 写本の奥書には「邇摩郡大森 熊谷氏」と書かれていたことから、写本がかつて石見銀山(大田市)で最も有力な商人だったという大森の熊谷家が所蔵していたこともわかった。

 今回の写本に収められている「大御国環海私図(おおみくにかんかいしず)」の複製版は県竹島資料室(松江市殿町)で展示している。(大村治郎)

竹島問題 図書館


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