高田馬場1丁目から狭山市北入曽へのブログ

2017年8月1日に高田馬場1丁目から狭山市北入曽へ越しました。

オレは猫だっ! Ⅱ

2019-08-16 09:26:15 | とかくこの世は

オレはまだ生きている。毎日毎日エサを探し歩いて、エサにありついて「ほっ」として夜は寝る。寄る年波には勝てない。暗くなると眠くてどうしようもない。話し相手がいるわけじゃなし、一家団らんなんてのにはほど遠い。もっとも家に飼われているネコなんて碌なもんじゃねえとバカにしてた。そう思ってもやっぱり身寄りがないっていう辛さを感じる時もたまニャあるんだ。つくづく野良ネコの悲哀を感じるね。それでも生きてる。ネコは自殺なんかできないからな。ネコが自殺したなんて聞いたことないだろ、そんなネコがいたら尊敬しちゃう。この間、自動車に轢かれたのを目撃したんだよ。自動車はそのまま行っちゃったけど、轢かれたネコは道路の真ん中でヒクヒクしてる。危ないから道路の脇に運んでやりたかったけど、オレにはそんな力がないし、「あっしには関わりのないことでござんす」っていう木枯紋次郎だから…。そのあとに一台の自動車が通りかかって、瀕死のネコの前でピタリと止まった。てっきりその若い男の運転手が移動してくれるのかなと思ったらそのまま動かない。もう固まって動かないんだ。すると散歩の帰りかなんかのヒマそうな爺さんが通りかかって、そのネコを運んだね。そしたら安心したのかそのネコは死んじまった。爺さんは棺桶代わりの段ボールに入れて、家の前に「ネコの棺桶」って書いておいといたら、役所から引き取りにきた。後から考えると、自分から自動車に飛び込んだのかもしれないね。人間は年に3万人近くが自殺してるんだって、ネコに伝染しちゃったのかな。いくら人間と同じネコになりたいっても、そんなバカなネコはいないと思うけどな。だいたいネコは絶望したり世をはかなんだりしないし、逆にいつも前向きだし昔のことを覚えていたりしない。まあ、のんきといえばのんきだね。

さてと、エサをあさりに行くかな。最近歯が弱ってせんべいみたいな硬いエサは食えないんだよ。どうしようもなくてたまに前にエサを出してもらったところへ行くんだけど、相変わらずその硬いエサを出す。食わないで帰ると「あら、ウチのエサは食わないんだね」って言うから、「食わないんじゃなくて、食えないんだよ」っても通じない。「いいよ、分かったよ、もっと旨いエサを出してくれるところへいきな」という。なんでわかんないのかな。人間って、年をとると考えることに余裕がなくなるんだね。ネコの気持ちをおもんばかるっていう想像力もなくなってる。最近、そういう人間が多くなっているよ。少なくとも、我々ネコにも分け隔てなく接してもらいたいね。そしたらネコと人間が中心の新しい世界が出来るような気がするんだ。それには人間もネコ並みに利口になってもらいたいニャア。