お茶飲み友といつまでも

素敵な出逢い!

小田原城&小田原城:関東大震災の史跡一覧&小田原:報徳二宮神社

2021-09-21 10:51:08 | Weblog
                     
小田原城

🏯小田原城
天守閣は、昭和35年に市制20周年記念事業として
総工費8千万円をかけて復興された小田原市のシンボルです。
江戸時代に造られた雛型や引き図
(宝永年間の再建の際に作られた模型や設計図)を
基に昭和35年に江戸時代の姿として外観復元され
内部は歴史資料の展示施設となっています。
復興に当たっては、「瓦一枚運動」が展開され
多くの市民からの寄付が寄せられました。
🏯馬出門(うまだしもん)

馬出門は二の丸正面に位置する門で
馬出門、内冠木門と土塀で周囲を囲む枡形門の構造を持ちます。
馬屋曲輪へ通ずることからこの名が付いたとみられます
(平成21年復元)

🏯銅門(あかがねもん)
馬屋曲輪(うまやくる
から
二の丸に通じる位置にあり、二の丸の正門にあたります。
渡櫓門(わたりやぐらもん)内仕切門(うちじきりもん)と
土塀で周囲を囲む枡形門(ますがたもん)の構造を持ちます。
渡櫓門にはその名の由来となった
銅板の装飾が映えます
(平成9年復元)
🏯 常盤木門(ときわぎもん)
小田原城本丸には常盤木門
鉄門の2つの城門があります。
このうち常盤木門は本丸の正門にあたり

多聞櫓と渡櫓門を配し、多聞櫓は武器等の貯蔵庫として
用いられ本丸の正面に位置し、小田原城の城門の中でも
大きく堅固に造られています。

🏯二の丸隅櫓と学橋 
唯一の二の丸櫓
関東大震災で石垣ごと堀の中に
現在の建物は、昭和初めに復興されたもので
形状は往時より小さく石垣も低くなっています。
                 

   小田原城  関東大震災の          銅門土塀模型 
         小田原城復興碑

🏯小田原城:関東大震災の史跡一覧の写真



           関東大震災の史跡一覧の写真
🏯小田原城天守台
震災によって御用邸は閉鎖され、二の丸平櫓も倒壊し
石垣も大部分が崩壊しました。
その後、
1953年(昭和28年)天守台の石積工事が完成
後に、小田原市制の施行20周年記念事業で
天守の復興が計画され1960年(昭和35年)に
天守の再建工事が完成しました。


小田原:報徳二宮神社   

社務所と御社殿を結ぶ渡り廊下    
    
御社殿    報徳の神前結婚式               
明治42年本殿・幣殿を新築
拝殿を改築し神苑を拡張して現在の社地の景観を整えました。
平成6年(1994)には創建百年記念奉告祭を斎行して
今日に至っています。
現在、神社本庁別表神社
社殿は神明造り(神社建築の一様式)

手水舎
作法 参拝するときには
まず鳥居の所で衣服を整え軽く一礼してから境内に 
1、右手で柄杓を持ち、を採り左手を清めます
2、左手柄杓を持ち替え、を採り右手を清めます
3、もう一度右手に柄杓を持ち替え、を採りを清め
残りで左手清めます。
4、最後に水を採り、柄杓を縦にして柄を流し戻します。
祈祷殿
恒例祭典や結婚式などで御本殿が
使えない時でも、祈祷殿にて御祈願を執り行います。
元は、宝物殿として使われており、納められていた物は
報徳博物館に展示されています。
社務所
御祈願の受付、準備、待合の場所です。
記念写真の受付も社務所で行ないます。
神池
🐟錦鯉が気持ちよさそうに泳いでいます。
二宮金次郎像 
薪を背負って歩きながら本を読む
二宮金次郎像の姿が初めて登場したのは
明治24年(1891)に出版された
幸田露伴の『二宮尊徳翁』という本の挿絵で
当神社にある少年像は昭和3年、昭和天皇即位御大 礼記念として
神戸の中村直吉氏より寄進されたブロンズ像
製作者は三代目慶寺丹これと同じ像は
全国の小学校に向けて約一千体制作されましたが
戦時中全て供出に遇い、二宮金次郎像の姿が
現在残っているのは、この一体だけです。
尚、この像は当時のメートル法普及の意図を反映して
ちょうど1メートルの高さに制作されています。
  二宮尊徳翁像

兵庫県西宮市報徳学園創立100周年記念として
彫刻家 南部祥雲氏に依頼作成された
報徳二宮神社にある「二宮尊徳翁立像」は
10体の内の1体だそうです。

   ご観覧 御座いました


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 鎌倉:妙本寺&日比谷花壇大... | トップ | 熱海城&武家文化資料館 & ... »
最新の画像もっと見る

Weblog」カテゴリの最新記事