徒然、気分屋日記

自分による、自分のための、自分の日記

東京暮らし

2017年04月17日 21時13分54秒 | 日記
北海道を出て、四日目

久しぶりに飛行機に乗って、墜ちるんじゃないかと手に汗握りながら飛び立ち、手をぷるぷる震えさせながら東京へ到着

思い込みっていうのは怖いもので、自分がどれだけ怖がってても、それは自分の中だけのお話で
相手と自分では、考えていることも感じていることも違う
いつからこんなにも自分の中で壁を作り上げていたんだろうって思うくらいに人見知りや家族や友人に対しての余所余所しさが目立つ
全部、自分の中で完結させてしまっているのだけれど

東京の姉にお世話になりながら旅行する計画
初日は兄も東京にきて、兄弟揃ってわいわいと過ごした
笑顔が絶えないし、口も悪くて、それに対しても笑い合う素敵な時間
楽しいし、いつまでも続けばいいなって思えるくらい幸せな時間だけど
頭の中では楽しい反面、話が兄とだけに偏り過ぎると姉に申し訳なくなったり、会話には入れなかったら複雑な気持ちになったり

…よくよく考えると自分は持て囃されている気でいるだけなのかな
たまに構ってもらうのが当たり前みたいに思ってしまうこともあって、それを知らないうち見逃して見逃して気付かないように蓋をしていたのかもしれない

兄と姉は将来のことをしっかり考えて、見据えて、着実に進んでいこうとする
それに比べて、どうだろう。自分は。
このまんまじゃ、ふわふわして何処かへ飛んで行ってしまうんじゃないだろうか

四日目にして、USJに姉と遊びに来て、楽しい時間が過ぎた
楽しいだけで過ぎていって
USJを出て、夕食を食べている時に不意に将来についてどう考えているのか訊かれて返答に困ってしまった
考えてる言葉を浮かべては、否定して、消して
姉の目も見れずに、なんて言っていいのかもわからなくって、黙ってしまった
姉にはそれが自分が責めて黙らせてしまっていると思わせてしまったのだけども、そんなことなくて
自分のことを凄く想ってくれて、いろんな話や将来について話してくれていることはわかっているつもりで
ひょんな事からヒントが出るように毎度毎度話してくれるのは泣きたいくらいわかるんだけど
言葉が出ない
頭にあるのに
確かにあるのに
言葉が言葉を変換してくれない
最後の最後で思いの丈を伝えられた時
姉は笑ってくれて
凄くホッとしたのと
今まで自分の想いって、伝えられてる気がしていたけど伝えられてなかったんじゃないかなんて思ったのと
このまんまじゃ、自分で飛ぶんじゃなくて、ふわふわ飛ばされて行くだけなんだな。なんて思った


土台作り
それが20代では必要で
その土台には知識、技量じゃなくて
コミュニティや自分の人間性の習慣化が必要
なあなあにやっていると、気付いたらもう出来なくなっている
そうならないように必死に伝えてくれていることになんで気づけないんだろう

一つに固執し過ぎなのかな
頭固いのはわかってるつもりだけど
どう変えたら、どうやっていけばいいのか
考えて頭が重くなってくる

答えがほしい

信頼

2017年04月04日 04時54分09秒 | 日記
働いていた会社のこと

一年程前に20歳の子が入ってきた
それ以前は、会社には20代が入ってきても、24歳だった自分と同僚よりも上の歳で、若い人はその子が初めてで本来の後輩が出来ることに嬉々とした

その子がインターンを経て、部署の希望を出したのが自分と同じ部署
本人曰く、理由は一番大変そうだったからだそう

それからは上司の指導のもと働き始めていた
あまり教えるのが得意ではない自分は遠目で見ながら、わからなさそうなことがあれば教えたりする程度
教える時は、はじめはわからないことだらけだろうから親身に。
会社の人とも打ち解けているようで明るく談笑しているのも見受けられる


比較的に大変な部署ではないはず
インターンの時にも、きっとそれは感じていたはずだ
本人はわかっていたような素振りがあった気がしたのは3ヶ月ほどのこと

日に日に動きが遅くなり、仕事も雑な物がこちらに流れ始める

決定的だったのが、少しの確認不足で打ち付けた部材が移動中に外れ、家具が倒れて作業員が下敷きになりかける事故が起こったのだ

それがきっかけで、このままでは些細なことで事故になったり、何かあってからのお客からクレームになっても不味いと自分もその子をキツ目に怒るようになった

怒ればきっと、繰り返すまいと意識に残るだろうし、怒られまいと動きも変わるはずだろうと

些細なミスで怒った後は、自分なりに改善案や励ましをして、「明日からまた頑張ってな!」と
落ち込んでも、気持ちの切り替えするよう、和らげるよう努めた気でいた

でも、次の日にはその子は頭が痛いと休み

1日休んだら何事もなかったかのように働き始める
けども
叱った次の日は同じように休むようになってきた

なんとかできないものかと怒るのを諭すよう変えたりするとミスが目立ったり
相変わらず動きは鈍く、ミスを恐れてか作業も疎らになっていた

次第にそんな彼を疎ましくも思ってしまうようになってしまっていた

お互いに居心地が悪くなるのであれば、離れた方がいいだろうと必要最低限な会話しかしなくなり、些細なミスはスルーしてこちらで受け持つようにした



自分が会社を辞める日が近づいた頃
その子のミスは少しずつ減り、でも動きは相変わらずだけど、これからかなという感じだった

会社を辞める日
1人1人に挨拶していき、その子に話す時に「これから大変だろうけど、負けずに頑張ってな」的なこと話して終わった

不安はあったけど、自分がいなくなることできっと仕事もやらざる負えなくなって責任感も増して立派になるんじゃないかとも思った

ブラックな考え方かもしれないけど、自分はそれで辛かった反面、仕事が楽しくやりがいが得られていた
自分の存在意義というか、必要とされることが嬉しかった
だから、今まで頑張れていたこともあった

だからこそ、同じ境遇があれば、やりがいとか楽しさとかも生まれるんじゃないかって


思い込んで、相手に押し付けていた



最近、会社の人とLINEをしたらその子のことが話題に上がった

「もう今月に入って週一のペースでしか来てないよ」


自分が働いていた頃、なんだかんだいって正直に信頼なんて出来なかったし、日常的に苛立ちがあった

相手にもそれが伝わっていただろうし、周りもその子に対して少し呆れが入り混じっていたような感じだった


だけど、今更になって「信頼」ってなんだと思い始めた

どうやったら信頼出来たのか
自分は相手のなにを見ていたのか

考えるふりをしながら相手に当たっていただけなのかもしれない



今、思うと
信頼は自分の出来ていないことを認め
それを相手に頼むことなんじゃないか
なんて思い始めている

自分のできること、できないこと
相手のできること、できないこと
自分一人ではなし得ないもの
相手が協力を求めるもの


気付けば、いつも自分のことばかり
相手の否定して、出来ていることを見れてなかったんじゃないか


今になってはわからないけど、もっと違う良い道があるのかな

次は、相手を知るところから始めよう
それを踏まえて自分を知って、信頼していこう