ニクふらふら日記

ふらふらしたニクの日記です

ごえっほごえっほ

2006-07-30 11:21:03 | Weblog
喉についた風邪菌が、ふらふらさせる効果をもっていて困ります。こんにちは、二久です。
今日は洗濯しようかどうしようかとなやみつつ、お天気さんあなたをどれくらい信じていいの、とちょっと葛藤しています。が、朝からパソコンと向き合っているのでおそらく洗いません(堕落した一日の始まりだ…)
ゲームは夜にやるときめたので、朝と昼はやらないどー!かわりにパソコンを開いていますがね。まるで意味なし。
昨日は途中まで読んでここのところ放置していた『戦国名臣列伝』を読んでぶるぶるしていました。落書きをいっぱいしました。趙の国に身もだえしていた…あとおじいさまを書く練習もした。『gakki』に出てくる伯老の名シーンをかきました(ああそうかい)。あと、なんとなく好きではなかった呂不韋が好きになった。『奇貨居くべし』ってこの人のことを書いた作品なのだろうな、読んでみたいと思いました。あと『呂氏春秋』はこの人によるものだと、昨日知った文学部四回生…もうちょっと意欲的にいこうぜベイベ(BRの三村は素敵だなということを主張する語尾)
そのまえに孫子とうっかり買った孟嘗君を読まないと。本当興味の移り変わりがはげしくて本に失礼だな…
絵は二つかいたうち後にかいた「怒り狂う藺相如」です。髪の毛が逆立って冠をつきあげそうらしいです。激しいなあ、愛しいなあ。

やばい、いかん

2006-07-28 22:07:54 | 日記
気付いたら夏休みが迫っていました…というかテストはないので、実質的にもう夏休みに入っています…時の流れが恐ろしい!二週間前に借りた本の返却日が読まないうちにやってきたり、そのようなことが今学期に入ってから3、4回はあったかと思うと、時の流れの恐ろしさを感じずにはいられません(お前のなまけぶりもな)
免許を取ったり卒論をすすめたり(やる人はやってる話を聞いて戦慄した今日の午後。)博物館の実習に行ったり掃除したり…やるべきことをさぼっちゃいけないよ、ドゥフフ。

博物館の実習で思い出したのですが、今日、お世話になる館の学芸員さんに挨拶に行ってまいりました。そこは浮世絵の展覧会をやっておりまして、「今度見にこよう!」と思いつつ挨拶を簡単に済ませると、「実習中はゆっくり見る事ができないかもしれないから」といって、特別展のティケットを下さいました、ティケットを、ええ。
得した!かなり得した!こういうことは言っていいもんかとも思いますが、まあ、どこか分からないだろう。分かりませんよね、そういうことにしておいて下さい(バカヤロー)

眼福でした。なんであんな描き方思いつくんだろうと驚きに尊敬が混じっているような気持ちになったり、場面がそのまま動きだすような、また静かな風景が出てくるような絵たち、小さーな人物を描く時にも手の抜かれていない作品たちを前に、もう、満足を越える満足が得られました。美術に関してど素人ですが、ここがこうだった、と興奮しつつ思い出します。
ただ一つ、「すほう きんたいばし」と書かれた絵を前に天にも昇る気持ちだった時に(地元(大きく見た)が出ると嬉しいですよね)、後ろからきたおじいさんが「すほう、きんたいばし。広島じゃの」とひとりごちたおかげで、私の心はまっさかさま二分の一、という感じでした。ち、ちが…山口だっつの!!!

もろもろ

2006-07-27 01:21:09 | Weblog
感想ではありませんが『gakki』のネタバレがモロモロ出て来ますので、まだ読んどる途中じゃという方はお気をつけください。
(※二久の定義するモロモロ=おからが崩れる動きを表した擬態語。実際におからに対して使用したか、記憶は定かではない)













がっき様が趙の関所を抜けたのはいつなんだろう、武霊王の所にないかなと思って『史記』趙世家を見ていたら、武霊王が秦に使者と偽って入った話にあたり、キュン…となってしまった。
『gakki』の武霊王の話の中で、一番か二番目に好きです。いま一つは、滅びゆく中山と中山王に殉じようとする兵士たちとそのように慕われる中山王に対して主父が落涙して、恵文王に「よく見ていなされ」という感じのことを言う所。(ウロオボエンです、すみません)
話を戻しまして、宮城谷先生の『gakki』で、武霊王が秦に使者と偽って堂々と入るところがとても好きです。使者ぶっちゃって、この役者め!…いや、本文で「あの使者は堂々たるものであった。あれが臣下であろうか」と、秦王に疑われたり、史記にも「人臣の態度でない」とあるので、そうでもないのか…?
秦王に謁見(と言っておく。)する使者のふりした武霊王に、口から心臓飛び出す!というくらいに驚いている楼緩がむちゃくちゃ可愛い。「席から落ちかけた」にキュン。武霊王の宿舎にやって来て、語気も荒く諫める所にキュン。うーおーおー!!!(なんだよ気持ち悪いな)君臣ばんざーい!君臣が心底繋がってる関係は、大好きです。本当やられちまうだよ。武霊王は臣下を愛する人、みたいにありましたが、そういうところにときめく…
楼緩びっくりの場面を探すために文庫を行ったり来たりしましたが(話あまり覚えられない)、中山王(シシ)と伯老の別れの場面やがっきが父の死の知らせを聞いたりした場面など、一度目に読んでぐっときたところに差し掛かるとやはりぐっときました。


ん、これ感想と違うか…?

ぼにゃー

2006-07-19 17:57:04 | Weblog
昨日、バイトが終わり帰宅すべくバス停でバスを待っていました。河原町通りという二車線の通りを挟んで、反対側の歩道を行く人を見たり雲がぎっしり詰まってそうな暗い夜空を眺めて、二十分ほど過ごしました。
顔の皮膚に夏の夜の生温い風が当たるのを感じながら、人間みんなこうなんだよなーと思いました。当たり前のことなんですが、隣に居る人でも遠く姿の見えないところに居る人でも、血が通っていないだとか「楽しい嬉しい腹立たしい」くらいしか気持ちの変化がないとかいうことはないんだよなあと考えていました。みんな同じ感じ方だとか人間の出来具合が同じなんてことはありませんが、「にんげん」だと思いました。
そんなことを考えつつ反対側の歩道を見て、「輝いて生きるとはどういうことだろう」とがっき様に感化されたのかそうでもないのか、そんなことを考えました。

人に褒められるという行動をとるのはいいことです。ちょっと逸れて私は褒められるのが好きです。
ですが、人が納得する(賞賛する)生き方をしてもそれが自分が納得する生き方でなければ、人生むなしいんだろうなあ、とか思いました。
だからといって自分の納得する生き方を貫きすぎて社会の常識を逸脱したりしても、気持ちのいいものではないでしょうね。
ですが、社会の常識が大きな目で見て、普遍的に見てとるにたらないと感じたら、こだわる必要も無いかもな。とも思いました。勿論、ひとりよがりな考え方でそう考えて実行したらまわりが迷惑しますが。しかし「自分」という中から湧き出す倫理観だとか道筋で見なければ、結局は社会規範にのっとって考えることになるのか…
道を先人の行動に学び、自分の内部と合致するものを見つけたら、それが社会の常識と少しずれていようが、信じて生きてみたいものだよな、とふと思っただけです。それで人が死ぬとか多大な損害を被るというのは、アウトですが。これは社会の常識というか、人の中に組み込まれているルールだと思う。