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2015-02-28 | 日本100名城&番外



今は亡きお袋は明治生まれで トメ といいます、本郷三丁目(お袋は弥生と呼んでいました)の生まれで嫁入りの時に刀を持たされました、江戸子だってね寿司くいね~で、当時、女性は神輿を担げないのに、お神輿が近づくと、子供をホッポり投げて玄関の戸を開けたまま、スウトンデいきました
そのお袋が、ある日 畳の部屋で正座して寂しそうに、若き血潮の予科練の、錨に桜の七ッ釦を、その釦はなんじゃ、初めてお袋が重い口を開きました、
お姉さんが若くして亡くなり、甥が外室許可がでると、遊びに来たときに、とれそうに成っている釦を繕いだ残りだそうです、敗戦後 訪ねて来なかったので、どうなったか判らないでした、なお手紙 遺書などは一切なく、侍だったのでしょうかね、

特攻隊員が出撃するまでの間 寝泊りした半地下室の兵舎が再現されています、こんな暗い室で言葉もでません、
遺書のある部屋では涙で文字が霞んでしまいます、


敵に包囲され逃げ場が完全になくなってから、解散命令された沖縄の ひめゆりの塔は民間で造られています、
国設の平和祈念公園の半島の先端の洞窟の在る所に、司令官の馬鹿でかい記念の塚が立っています、あぁぁ~日本は-------でした。