
過去、未来、現在、あなた、私、母、父、多くの訴えや時間軸が交差されすぎて、誰の主眼なのかが解りにくい映画の中で、家族という一つの影が浮かび上がる。
美しき、善き発展を遂げていたアメリカに育ち、人とのつながりが希薄になりつつある現代でも、まだ過去の思い出に浸りながら、その優しさを時代錯誤にも求めている幼稚な男の追憶である。
全てが相反する人の好みの視点がギリギリのところで衝突している。
世俗的な父と神の恩寵で包む母。
コレは映画の中の台詞でも現れた。
富と貧、現在と過去、生と死。
結果として喪失感のようなものが映像からは感じられる。
宇宙と、自分。歴史の流れ、人の息づかい、そしてそれを、わざと難しく感じさせようと不快な映像に仕上げる作者。
映画というインスタレーション。
恐竜や、水の中の情景。
もっと簡単に見せても良いのではないか?な。
解る人にしか解らない。
こう言った映像に仕上げれば評価が高い、そんな狙いが感じられる。
もっと映像のプロならば簡単に表現してもいいのではないのかな~
ナンか僕はわざと難しく見せようとする意図は大嫌いだ。
読み解く手掛かりは、冒頭で引用される旧約聖書「ヨブ記」かも知れない。
でも、僕はそんな神がかりは信用しない。
何かがあったから導いてくれた。
コレをしたからこう言った結果が出てくれた。
神様は決していない。
意思を決めて行動するのは自分である。
その結果に生まれた事が現実なんだ。
楽しては未来は切り開かれない。
辛い思いをしてでも自分が突き進むしかない。
それをわかって欲しいな~
くしくも日本も今は「盆」の時期。
霊や神様を敬う時である。
良く聞く、「切実な叫び」
叫んでルだけじゃなくて、さっさと行動しろ、僕はこう言いたい...そんな映画かな。