3月11日 魔の14:46まで、まさか大地震が来るなんてみじんも思わず普通に仕事をしていた。みんなきっと同じだっただろう。昼を過ぎ、ようやく待ちに待った休憩。この日はめずらしく新作パスタを自分で作って良かったから、ウハウハでトマトソースのパスタを作り皿に盛る。フォークを用意して、さあ食べよう!とした瞬間、
揺れはじめる。このタイミングの悪さ、一口も食べず揺れ始めた。ちょっとした地震かな、とたかをくくっていたのだが。。。
なんか、違う、今までの地震とは違う、と思っているうちにだんだん揺れが激しくなる。調理場の揚げ油や何リットルも入ったスープ達がたぽたぽとこぼれ、上からは物が落ちてくる、店内に居たお客はたちまち逃げ、大変な状況に。自分が映画のワンシーンに居るような感覚に「ああ、もう人生終わりかな」と脳裏によぎる。
そして、一旦揺れが落ち着いた。店内は埃で真っ白。すぐに保育園に電話をするがもちろん繋がらない。携帯も繋がらない。早くLaLaの無事を確認し、迎えに行きたかったのだが、まだ勤務時間中だったのでそれもできず、にっちもさっちもいかない。
その後余震が何回も続く恐怖の中、足ががくがくの状態で後片付けや残った仕事を続ける。そして、変なとこだけ冷静の脳みそが働いて、さっき作ったまかないのパスタをがっつく。おいしかったのかまずかったのかもよく覚えていない。
少し早めに仕事を切り上げさせてもらい、ようやくお迎えに。車が渋滞しているため、進みが悪い。気持ちだけが先走って思うように目的地にたどりつけなかった。よく事故を起こさなかったな、と思う。保育園につき、LaLaが笑顔で外に出てきた時は、安堵で涙が出てきた。子供を守ってくれた先生に感謝の気持ちでいっぱいだった。
そして、次なる難関は家の中だ、普段食器棚に皿をばらばらと重ねているから、きっと床に落ちているんだろうな、と思いながら家に入る。
が、不思議なくらい何も落ちていなかった。あんなに揺れたのに、こんなに日常??と思うくらい。唯一洗面所の電気がつけっぱなしになっていた。うん、これは平和な朝に、単につけっぱなしで家を出たんだな、と思うと、更に心がきゅーっとなった。朝までは日常だったんだなあ、と。
テレビをつけて、更に事の大変さを知る。「津波」ありえない光景に背筋がぞっとする。
その夜は、何度か余震が続いていたので、家族みんないつでも避難できるようにそれぞれ暖い普段着で布団に入り、LaLaは入学用に初めて購入した「防災頭巾」を枕元に置いておいた。
そして、この悪夢の日から、日本が大変な状況になっていく、とは素人の自分には想像もつかなった。。。
3月14日 地震から3日経ち、まだ余震が続く中、大渋滞で遅刻しながらもとりあえず出勤。職場もいつもとは違う雰囲気で誰もが仕事モードではないかんじだった。
そして仕事を終えて一歩外に出ると、突然の計画停電を宣告された住人達で街はパニック状態。電池、懐中電灯、米、水・・・人々が買いたいものは10分で売り切れたようだった。結局自分はあまり意味のなかった短時間の出勤をしている間に乗り遅れて、何も買えず。どうにもならず長野に住む両親に泣きの電話。とにかく何でも良いから宅急便で送ってーーー!!相変わらず迷惑かけてばかりでごめんっ。
そういえば、今日はホワイトデーだった。。。
3月15日 LaLaの卒園式。延期もありえる中、何とか式は行われることに。良かった。この日のために買ったスーツ、とても明るい色すぎて、今回の卒園式と入学式くらいしか着れないしー、って違うか。いや、真面目に今生きていること、それだけでもありがたいのに、親子揃って卒園式ができることに心の底から幸せを感じた。
LaLa、保育園よくがんばったね。卒園おめでとう。
そして卒園式終え帰宅するとそこはやはり現実。夕方からまた計画停電がスタート。式の疲れもあったし、寒いし、暗いし、とにかく寝よう。。。とウトウトしていると、「トントンッ、○○さーん」と玄関のドアを叩く音が。真っ暗のこんな時になんだ??非常事態か?とまだ地震の怖さから立ち直れない時だったので、心臓バクバクでドアを開ける。するとそこにはヤマトの宅急便屋さんが。「そっか、停電だからピンポーンが使えなかったのか」とその時気づく。ぜいぜい息をきらしながら2個の重い段ボールを届けてくれた。停電で信号機もない中、トラックを運転して運んでくれた宅急便屋さんに感謝!
そして懐中電灯を照らしながら箱を見ると、昨日長野の親に頼んだばかりの「何でも良いから送ってー」な物達が2箱のダンボールにぎっしり。うう~泣ける~~。一日でこんなに用意してすぐ送ってくれたなんて。。。頼りになります。ってか頼りすぎでゴメンナサイ。
送られた数々↓↓↓ 若干笑えるものも入ってましたが。。。とりあえず電池30本も確保!
3月16日~ 計画停電、ニュースにくぎ付けの毎日が続く。停電によって水道も出ないから、トイレの水はお風呂の残り湯をおけで手作業で運び、流す。その後手も洗えないから重いポりタンの水を家族に持ってもらいながら手を洗い流す。さらに一日2回停電が実施されると脅されてる日はもー大変。停電と停電の合間に買い物や銀行やご飯の用意、水をためておく、入学のための縫い物のミシン作業などなど・・・超慌しい。時間との戦いの毎日でかなりストレス。
でも、そんな中、とりあえず欲しくて何日もガススタまわりをしてた甲斐あり、この日ようやくガソリンと灯油をGET!ひとつ問題をクリア。
しばらくこんな毎日が続くのだろうけど、少しでも家族で笑い合いながら「サバイバル生活」を楽しめたらいいな。後は、被災地の人々の困難や福島の原発による放射能問題、各企業の大変な状況がこれからしっかりと解決をしていくことを祈るしかない。