hana story

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久々の外出で

2015-02-28 11:08:04 | 日記
行きはバスでと懸命に頑張って歩いてバス停へ、やって来たバスは高い乗降口2段になっていて
ようやく乗ると乗った所に座る場所はなかった。ヨロヨロと中ほどまで歩いた。
その時後から「はよ座りなはれよ」と声がかかった見かねてか悪気かどちらにもとれた。
見返す余裕も無く空いた中ほどの座席にやっとかけられた。
思い返しても何となく悲しいし、腹も立つ言葉。これからはもうバスには乗れないと思った。

次は電車へ行き違う時スマホを見ながら電車を降りて来てぶつかりそうになった。
電車の乗り降りにもスマホは必要か誠に怒りを感じているのは私だけではありますまい<`~´>
取り締まりは出来ないのだろうか。???

やっと耳鼻科医院へ辿りついて「鼻が痛い、声が出ない」と言いますとするすると
カメラを入れて診て下さって「声帯は綺麗やで」と言われてほっとしました。
声が昔のまゝだと良く言われますが声帯が痛んでないからか。
名医に言われるといつもほっとする私です。

帰りに長い駅の階段を歩いて降りて見た上手く降りることが出来てそこへ電車が
すーっと入って来て乗ることが出来た。

タクシーの運転手さんと話していると「前は28年間コープこうべにいました」とのこと
ふと見ると前をコープこうべの車が走っていた偶然に驚く。

庭の水仙が本格的に咲き始め何の花も無い2月を明るくしてくれました。

 

自治会の苦悩

2015-02-22 10:14:38 | 日記
先日来ここの隣保へ副区長が回って来るという事で若い人たちが
やりたくないという事で「区を出る」と二人が言い出して7軒しかない
この隣保でこんなことがあってはならない。私に相談が来て「寝耳に水」とは
このことで頭を殴られた気がした。

2・3日考えて 
市役所や他の自治会にも問い合わせ上手くまとまっている所や色々の様子。
役所もそんな相談が区長さんからよくあるとのことでした。
市民の20%が自治会に属してないという事。
田舎育ちの私には考えられないことであった。

区や隣保に恩恵を蒙っていないなど、想像も出来ない物言いであった。
こんなことを考えている人が身近にいたのかと今まで私達も区長も
して来たし そんなことは何だったのかと・・・・・

なだめすかして ふと考えたのはある人に絞って選挙で決めるという提案を
した所了承されて若い方に引き受けて貰い落着となった。

永年に渡り編み物研究会の役員をしてきたことが頭に残っていたのでしょう。
その時は大変だったが過去の色んな経験が何か生かされたことで良かったと
思っている今日であります。(@_@。
大方「限界隣保」になる所であった。

庭にも春のきざし

2015-02-15 10:45:45 | 日記
ようやく春のきざしが見え始めた庭。
水仙の花が寒い風の中咲き始めた。今年は特に寒さが応える。
余り喜ばしいことが無いからかも知れない。
昨日は腰が無茶苦茶痛かった。それでも家事はしなければならない。トホホ・・・・

COOPこうべの我が家の担当のいい加減さ強引さに流石の私もやりきれず。
考えに考えて「もう辞めます」と伝えると「Uさんに辞められたら困ります」ということで
上司の方二人が考えて下さって、担当を変更して下さった。一日で忙しいのに。
思いがけないスピードであった。
本当に他の宅配に変えようと迄考えていた。

4月に入社して半年位からころっと態度が大きくなって自分の言ったことに責任を
持たず嘘をつく始末。許せなかった。<`~´>
まだ入ったばかりの人 上手く育って欲しいと甘くし過ぎたようだ。
私の孫より若い人に馬鹿にされていたようである。悔しい・・・・
私達の孫と同じように思っていたのが誤算であった。
以後は気を付けることにしたい。


暖かくなるのを待ちわびながら・・・・・

辛い一日であった

2015-02-10 19:58:49 | 日記
9日は整形外科へ。S看護師さんはもうおられない何か淋しい。
次の人はまだ決まっていないらしく皆が忙しそうだった。
次のお勤めは如何でしょうか。

帰りに昔から行っている文房具屋さんへ寄ってお父さんはお元気ですかと
聞くと90歳で亡くなりましたと言われ驚きました。
この間までお店に立っておられたのに・・・・・優しいいい方であられました。

そして夕方 思いがけない人の死を告げられ愕然としました。
連れ合いが勤めていた学校の現校長の突然の訃報でありました。
10日入試を控えての8日の死であったそうです。
他の先生方の忙しさが分かる気がしています。葬儀は11日です。

逝きし人ひとりまたひとり聞く2月

暮れにも72歳の人が逝かれ夫を取り巻く若い方の死はやはり辛い・・・・・
なのに私達二人は病院通いはしているものの何とか生きていることに不思議さを
感じるこの頃です。

心酔する石川啄木 

2015-02-05 10:52:37 | 日記
先日のテレビで「啄木の辿った道」が放映された。
50数年前から私は啄木の心酔者であって10年程前になろうか
わざわざ盛岡の「渋民村」を訪ねもした。これは永年の願いであった。

盛岡駅の近くを流れる北上川の美しさ、その向こうに岩手山。 映し出された
景観に胸いっぱいの思いが溢れました。あの震災の時思いはその景色はどうなったかと
即座に思った。大丈夫のようで安心した。

銀河鉄道に乗って渋民村へ。優しい方に出会い「啄木記念館」へ連れて行ってもらった。
念願の渋民村の啄木の家や歌碑など心行くまで見学し 春の岩手山を目の前に
見た事も心に残っている。

この間の高橋源一郎さんの解説に
  
  東海の小島の磯の白砂に
  われ泣きぬれて
  蟹とたはむる

この歌は北海道に住んでいた時のことを詠んだものと言われていて長年の
謎が解けた思いであります。その後 東京で「一握の砂」は編集出版されたとか。
三行に書いたのも啄木が始まりだそうです。

永年心酔している啄木 歌集も痛んで2冊目を今 折に振れ読んでいます。
苦しい時、悲しい時 どんなにかこの歌集に助けられたことか。
これからも読んで行きたいと思っています

歌手「福田こうへい」さんも渋民村辺りが玉山区になっていてそこに
お住いのようで、何かご縁を感じています。私が勝手に思っています(#^.^#)