フランクルはご存知の通り、ナチスドイツの迫害を受け、極限状態の苦しみの中で、深い洞察力と強い意志で人生を示唆した精神科医。
ロゴセラピーは実存の本質を追求し、生きる意味を見出す事に焦点を当てている。
しかし、生きる意味は曖昧で形にはならず、容易には語れないし、人の命のようにはかなく脆い。
時々、例えようもなく虚しくなる気持ちが避けられない。そして、自分の存在をこの世から消し去りたい欲求に駆られる。
かと思えば、生き生きと活動したくなる時もあり、まだ生への渇望は存在していると実感。
諦念は必需品だと思う。不老不死への諦め。自分を大きく見せる事への諦め。
大きな財や名声を得ようとする諦め。
ロゴセラピーの中では、逆説や多種多様な全体像を見る事で、現在の立ち位置を確認する。
即効性、持続性はわからないが、目の前の出来事だけに囚われていた自分から解放され、なるようにしかならない人生を再構築できる可能性に満ちているのかもしれない。
生きるって?
答えはすぐそばにあるのに、語り尽くせないものなんだね。